傾く鼎

 生きたまま魔物に喰われる恐怖が効いたか、カルフェン・コールマーは面白いようにうたい始めた。


 マークスの手引きでクラファ殿下が獄中から脱走した後、第一王子ケルファの命で追撃に出た宮廷筆頭魔導師ルモアが消息を絶った。

 そのことで、上級貴族が居並ぶ謁見の場で国賊への誅殺を宣言アピールした第一王子派閥が責任を問われ窮地に陥ったらしい。

 政治的・経済的利害および王位継承権を巡って対立していたはずの第二王子トリリファ派閥はなぜか・・・動かず、麾下きかの軍閥から斥候を出すのみで静観。

 同じく対立していた王妃と第一王女マグノリファの派閥は、これを奇貨として攻めに出た。

 逃げたクラファ殿下が母君の祖国エルロティアに向かったと見て、“王家の影”まで出してハイゲンベル原生林で網を張ったのだ。自ら出陣する愚は予想外だったが、子飼いの精鋭兵士二十名近くを引き連れ、装甲馬車も仕立ててのこと。よもや全滅するとは敵対派閥も含めて誰も思っていなかった。

 そして、こうなったわけだ。


「……王宮が愚物揃いなのは、わかった。だが、わたしの質問は、“貴様が何のためにここに来たか”だ」

「いうまでも、なかろう! ヒューミニアに……弓引く、国賊を討ち、王家の威光を……守る、それが近衛の」

「笑わすな。金にも売名にもならん汚れ仕事でが動くものか」

「ぐッ!」


 近衛部隊は、王からの命令しか受けない、“王家の剣にして王都の盾”。

 建前上は、だ。

 実態は上級貴族子弟が箔付けに配属される儀仗兵だ。実戦用の装備や訓練経験が乏しく、士気も練度も低い。


「一般兵士の装備で、しかも、たった三騎というのが不自然だな。狙いは……第一王女マグノリファか?」


 鋭い視線を向けるクラファ殿下に、カルフェンはビクリと震えて身構える。これは、当たりなのかな。

 しかし、国王が、自分の娘の殺害を命じる? 側妃の娘でエルロティアの血が濃いクラファ殿下ならばともかく、マグノリファは両親を含めて生粋のヒューミニア人だ。


「おおかた伝令だとでもいって第一王女マグノリファに近付き殺害、軍装から第二王子トリリファに疑惑を押し付けるとかだろう。腑抜けの第一王子ケルファがやりそうなことだ」


 王命ではなく、王位継承権を争う兄弟間の殺し合いか。

 王家の内部事情は、ぼくにはいまひとつわからない。マークスの持つ記憶や情報を検索しても表面的なものでしかなく、理解には至らない。それでも漠然と察したのは、クラファ殿下という“共通の排除対象”を失ったことで三派閥は急速に対立を激化しているということ。

 イジメられっ子を生贄にして調和が取れてたクラス、みたいなものか。はらわたが煮え繰り返るな。


 口をつぐんだカルフェンは俯き、震え始めている。痛みか出血による体温低下か、いずれにしろ長くはなさそうだ。こいつに同情する余地などない。だって……


「こいつらにとって、姫様は“既に害されている前提”ですよね?」

「無論だ。“宮廷筆頭魔導師まじょ”と“王家の影”、その後に王妃の手下が十余名だ。孤立無援で丸腰のわたしとマークスが生き延びられる要素など微塵もない」

「では、迷うこともないでしょう、姫様。殺す気で来たのであれば、死ぬ覚悟もできているはずです」


 ぼくの言葉を聞いて、カルフェンが顔を上げる。青褪め血の気の引いた肌に、赤黒い血が垂れ落ちてゾンビのようだ。


「……お、王族のめいだぞ、……近衛騎兵の自分が、拒否など、できるわけが……ない」

「それがお前の生き方だというなら、否定はしない。いぬのように生きたのだ、狗のように死ね」


「姫様」


 ぼくは姫様に注意を促す。戦闘に巻き込まれないよう少し離れた位置に繋いでいた馬が、不安げに騒ぎ始めていた。

 何か・・が来るのだろう。クラファ殿下を見ると、目顔で頷かれた。


「魔物ですか」

「あるいは、肉食の獣か。いずれにせよ会いたいような相手ではない。マークス、いまは先に進むぞ。会敵前には馬を放つ。あいつらは解放されれば厩舎に帰るよう躾られているからな」

「了解です」


 馬を呼ぶクラファ殿下を見て、背後のカルフェンは必死でもがく。


「待て、待ってくれ、頼む……」

「北西領の民たちも、貴様にそういったのだろう?」


 栗毛の馬に飛び乗り、姫様は北に向かって駆け出す。背後で草むらを掻き分ける音がしたかと思えば、凄まじい悲鳴が響き渡った。

 振り返ると、ゴブリンらしき人型の魔物にたかられているカルフェンの姿が目に入る。

 ジタバタと暴れる彼の悲鳴が止んでいるのは、喉笛に噛み付かれているからだ。代わる代わる齧り付かれた腕は早くも骨が見え始めていて、ぼくは思わず小さく呻き声を上げた。


「マークス、わたしは」

「は、はい」

「無能だった。あのときも、いまも。どうするべきだったのか、どうしたら民を救えたのか、わからない」

「無理です」


 ぼくは初めて聞いた姫様の弱音を、さらりと突き放す。


「力無き者は死ぬ。自然の摂理です。だから」

「力を得るしかないと?」

「ええ、そうです。ただし、あなたは王族だ。ヒューミニアとの関係がどうあれ、いずれは人の上に立って国を率いるべきひとなんです。だったら、それが自分自身の力である必要はない」


 一瞬、彼女は怪訝そうな顔でぼくを見る。

 きっと、他人に頼るという発想自体がないのだろう。ある意味で美徳ではあるのだろうが、全部自分でやろうとする為政者など無能以上の害悪でしかない。


「これからは、信じて、命じてくださいよ姫様。ぼくに、そして未来の忠臣たちに」

「しかし」


 マークスの記憶のなかにあった彼女の瑕疵かしを、ぼくは静かに突きつける。彼女は、もっと上手くできるはずだった。そうするべきだったのだ。

 成し得なかった責任の半分は、自分の力を理解できなかったマークスにある。

 そしてもう半分は。

 マークスの能力を把握できず無駄に無益に使い潰したクラファ殿下にあるのだ。


「マークスには最期まで使われなかった“隷属印”を。その力の解放を。制御は、ぼくが引き受けます。あなたは」


 ぼくは姫様を見据えて、告げる。


「ぼくの主人あるじなんですから」

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