迫る包囲網

「ときに姫様、食事は摂られましたか?」

「食事、というと……あれか。おかしな硬い袋の」


 まずい。気持ちが沈み過ぎてて気遣いができてなかった。

 クラファ殿下、携行食を食べるどころか開け方もわかってなかった。


「もしかして刃物はお持ちでは?」

「あるように見えるか」


 失敗した。しかも、いま気付いたけど姫様のズボン、ウェストがゆるゆるだ。横の調整ベルトで締めることも出来るんだけど、気付いてない。もしくは、侍女なしに自分の手で身支度を整える習慣がさほど、ないのかも。

 そう、あとブーツもだ。マークスも殿下もこの世界のスタンダードらしい地下足袋の親戚みたいな履物じゃ意味がない。


「少々お待ちくださいね」

「わたしのことより、もう貴様が寝る番だろう」

「そうなんですけどね。ぼくも、気付いてなかったんです」

「なにがだ」

「自分が空腹なことにです」


 そうだ。まだ、終わってない。むしろ、逃避行の本番はこれからなのだ。

 姫様のも含めて軍用携行食をふたつ分、加熱容器に水を入れてセットした。温まるまでの間に“武器庫アーモリー”を立ち上げる。

 戦闘服BDU用のベルトと鞘付きの戦闘用ナイフ、タクティカルブーツに靴下、保護用グローブとポーチと水筒を購入。緊急用の高栄養価ブロックとペットボトル入りミネラルウォーターのグロスパックも。個人の持ち物を背負えるデイパックやファーストエイドキット、武器兼用の山刀マチェットも一本くらい要るか。重くなり過ぎないように注意しないと。


「あ、あれ?」


 いま気付いた。姫様って昨夜あのまま髪を濡らしたまま寝たのか、綺麗な金髪が派手に乱れて跳ねまくってる。

 ……っていうか、タオル渡してないわ。髪以前に、濡れた身体のまま着替えたってことか。

 うわ……最低だな、ぼく。


「……ホント、すみません」

「なにがだ」

「これタオルです。濡れた髪とか、汚れた身体とか拭いてください。渡すの忘れてました。あとこれ、ベルトとナイフ、あと水筒にポーチ、医薬品少し買っといたんで、それとミネラルウォーター」

「待て、待て待て待てマークス。まったくわからん!」

「え」

「わたしに、異界の言葉はわからん。噛み砕いて話せ」

「はあ」


 装備はふたり分なので、同じように装着しながら説明する。姫様は首を傾げたり感心したりとコロコロ表情を変えながらぼくの話に聞き入る。特に驚かれ喜ばれたのはタクティカルブーツ。軽くて柔らかいのに水が染みないソールが滑らない靴は素晴らしいと絶賛された。革のブーツも考えたんだけど、たぶん慣れてないと靴擦れするし。

 必要な装備を身に付け最低限の非常物資を収めたデイパックを背負い、ポンチョを被って装備は万全。もし離れ離れになっても、再会まで延命できる程度には揃えた。はず。


「これで良いでしょう。では殿下、ご飯を食べましょうか」

「ああ、うん」


 携行食の加熱容器から吹き上げていた湯気は収まり、加熱は終わっていた。

 温まったレトルトパウチを手袋で押さえ、ナイフで切って樹脂製スプーンと一緒に渡す。


「おう、熱いな。火を使わず食事を作るとは。これが異界の技術か……魔法より理不尽で不可解だ」

「そんなもんです」

「美味い。不思議な匂いがするが、実に美味い」


 疲れているし空腹でもあったのだろう。久しぶりの温かい食事を摂ってクラファ殿下はホッとしたような笑顔になる。いまさらだけど、前世で高校生だったぼくと似たような年齢みたいだ。苦労してきたせいか王族としての責任からか、随分と大人びて見える。

 マークス、何歳なんだろう。身体に違和感はないから、そう大きく掛け離れてはいないと思うんだけど。


「もう少し明るくなったら、さっきの銃を撃ってみましょうね」

「“えすけーえす”か。あれは、どのくらい飛ぶのだ」

「さあ。飛ぶのはともかく、当たるのは二、三百メートルってところでしょう」

「“めーとる”?」


 うん。そうだね。元いた世界の単位は通じないね。

 ぼくはマークスの記憶を探って距離の単位を思い出そうとするが、国際的な統一尺度がないらしいことがわかって頭を抱える。各国の為政者が独自に制定した単位が――少なくとも、その王朝が続く限りは――その国の固有尺度になるようだ。

 なにそれ、古代?


「ええと……ヒューミニアの単位でいうと、一ファロンから一ファロン半くらいですかね」

「長弓の射程くらいはあるか。悪いが、食事が終わるまで待てんかも知れん」


 姫様、残ったシチューを急に行儀悪く掻き込み始めた。そんなに早く撃ちたいのか、などと思うほどおめでたくはない。


「追っ手ですか」

「おそらくな。あの音、大型の装甲馬車だ」


 耳を澄ませば、たしかに雨垂れの音と別に、遠くから複数の馬のいななきと木や金属が軋む音が聞こえてきた。油断したな。護衛のはずのマークスぼくが最初に気付くべきだったんだ。

 湿気ったパンみたいなのをポイポイと口に放り込み、ミネラルウォーターで飲み込む。同じように急いで詰め込んでいた姫様がグイッと袖口で口を拭う。


「マークス。森の奥ここでは“じゅう”の利点が活かせん。視界の開けた場所に移動するぞ」

「はい」


 このひとは、やっぱり生まれついての王族だ。どんな苦境でも、泣き言をいったりしない。

 クラファ殿下は傍のSKSカービンを抱えると、獰猛な笑みを浮かべてぼくを見た。


「あいつらを、迎え撃つ」

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