第13話 ミホノブルボンだ

 ぼくらは幼いころの記憶の中にしかなかった、スーパーマーケットを名乗る商店、相模屋に入り、一冊の競馬新聞……という表現でいいのかな、『競馬ブック』とビックリマンチョコを2つ手に取って、レジに持って行った。


「これ使ってよ」という江上京子が差し出したのは500円玉だ。平成元年の刻印がある、ふちもギザギザじゃない古いタイプの硬貨。たしかに、2007年の刻印があったりする黄色っぽい500円玉は使えないだろう。

 ぼくはそれよりも、「京子がわざわざ古い硬貨を用意していた」ということを噛み締めた。京子は今の状況を、レジで500円玉を出す状況を予期していた。準備をしたうえで、ぼくをタイムマシンに乗せたのだ。


「なんで自分でレジに持って行かないの」そう聞くと京子は「1992年に若い女性が競馬新聞を買うの、ちょっと不自然でしょ」と小さい声で答えた。

 少し前のオグリキャップブームで競馬好きの女性は増えていたはずだ…と思ったけれど、別に何も言わずレジに出して、相模屋のおばちゃんからお釣りを受け取る。


 競馬新聞の日付は1992年5月30日。土曜日だ。表紙に踊る「日本ダービー」の文字。

「長井、競馬好きだったでしょ。今日明日のレースで何が勝つか、わかる?」

向かいの児童公園まで歩きながら、京子がぼくに質問する。


「そう言うと思ったけどさ、1992年ってぼくら8歳、この日付だとまだ7歳か。まだ競馬を見始めてもいないよ。わからないと思うなあ」

 残念ながら、ぼくが競馬を観るようになったのは小学校高学年になってから。ナリタブライアン以降の競馬しかリアルタイムでは知らない。そして、競馬新聞の表紙に出てくるダービー馬候補っぽい”サクラセカイオー”なる馬を僕はまったく知らないのだ。嫌な予感がしていた。


「だいたいさ、競馬ってそんなに一攫千金できるような金額が儲かることって少ないんだよ」

 僕のせいにされても困るという気分もあって、予防線を張ってしまう。

「いいのよ、タイムマシンがあるんだから、何度もやれば」


 でも、児童公園のベンチで競馬新聞を開き、ダービーの出馬表を見た瞬間に知っている馬の名前があった。

「ミホノブルボンだ」

「その馬が勝つの?」 

「そう。二着馬もわかる。このライスシャワーって馬」


 競馬、そこそこ好きだけれど、2着馬までパッと思い出せるレースはほとんどない。そもそもこの時代というか、1992年の競馬なんて見てもいない。けれどもミホノブルボンが皐月賞、ダービーの二冠を獲ったこと、ダービーではライスシャワーが二着だったこと。それは知っていた。そうか、それが1992年だったのか……。


「くわしいじゃん!」

 京子がぼくの肩を叩きながら喜ぶ。

「ウイニングポスト7のおかげだなあ」

プレステ2でさんざん遊んだ競馬ゲームの名前を京子は知らないようだったが、それはどうでも良い。

 自分の気分がたかぶってゆくのを感じる。競馬新聞を読む限り、ミホノブルボンは皐月賞も勝った有力馬として挙げられているが、ライスシャワーに触れた記事はほとんどない。相当な配当が見込めそうだった。



「タイムマシンで明日に飛ぼう。馬券を場外馬券場で買うんだ」

そう勢い込んでいうと、京子は困ったような顔をした。

「馬券を買うのはいいけど、あのタイムマシンはそんな便利なものじゃないの。場外馬券場には電車で行かないといけないし、明日に飛ぶこともできない。次は元の時間に戻るしかないのよ」

 なんて不便なタイムマシンなんだよ。


「とりあえず、今日のレースで勝てる馬はわかる?」

 京子は気軽にそう聞いてくるが、今日、土曜東京のメインレース、”メイステークス”なんてレース名からして聞いたこともない。ダービーとはわけが違う。

「無理。まったくわからない。わかるわけもないんだよ」

 憮然としてそう答える。


「なら明日を待つしかないよ。寝床もないけどね」

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