第14話 やめてマイネペトリュース

 翌日、僕と江上京子はタバコ臭くて人込みのすごいWINSの小さなモニターを見つめていた。窓口で2万円分買った馬券、ミホノブルボンとライスシャワーの馬連を握りしめて。


 「なんなのここ最悪」

 WINSに入る前から京子は顔をしかめて文句を言っていた。外れ馬券に競馬新聞、食べたパンやおにぎりの包装紙。WINSの床はゴミで散乱していて、ウロウロしているオッサンも、たいていタバコのヤニで燻製したような鈍い色のジャンパーを着ている。

 「仕方ないだろ、これが競馬なんだよ我慢してよ。俺らが大人になることには多少綺麗になるから」


 日本ダービーが始まる。ファンファーレ、昔っぽい格調を感じるアナウンス。WINSテレビ越しにも手拍子する人がいる。結果から言えばミホノブルボンは僕がダビスタ関連本やウイニングポストで仕入れていた記憶の通り、大きな栗毛の馬体を勇躍させ日本ダービーを逃げ切る。二着にはこれも記憶通りライスシャワーが入った。

 最後の直線、まったく記憶にないマヤノペトリュースなる馬が猛然と追い上げて二着になりそうで、膝が震えた。無意識に「やめてくれ!!」と情けない調子で叫んでしまったが、その甲斐あってかライスシャワーは踏みとどまって二着になってくれた。


 そこから先はよく覚えていない。震えながら払い戻し窓口に馬券を持って行くと少し待つように言われ、出てきた職員に連れられて、別の窓口で大金を渡された。紙の帯がついた札束が5つ。590万円とすこし。封筒に入れたそれを握りしめて京子と合流し、早足で駅へ向かい電車に乗り今ここ、例の「タイムマシン」のある空き地まで戻ってきた。


「すごいな」タイムマシンの中で隠れるように数える。紙の帯で封されたお札は何度見ても福沢諭吉のお札だ。


「これを繰り返すのよ」

京子は僕の眼を見る。

「いったん戻って、このお金を拠点や生活資金にする。それとタイムマシンを改造して……」

「疲れたよ。早く元の時代に戻ろう」と僕は言った。


 昨日の「寝床もないけど」という京子の言葉は正しかった。僕らは土曜の午後から、ダービーが終わってここに戻ってくるまで、ゆっくり眠れていない。夕方歩いてファミレスに行ったりしたが、結局、京子は「あのタイムマシンが心配だから」と、この空き地兼駐車場の端っこのタイムマシンの中で座って夜を過ごしたのだ。風呂も入っていない。歯も磨いていない。金だけならある。古い諭吉の顔。


「そうね、私も早く戻って寝たい」

京子はそう言って白い薬、錠剤を差し出して来た。

「次は長井が飲むの。行きに飲んだ人は帰りには飲めない」


 僕は渡された錠剤を買っておいたバヤリースオレンジの缶ジュースで飲んだ。

「お金、半分は長井のだから。約束は守るから」

 僕は前席に潜り込むとパネルとかを無視して背もたれに体を預けた。ゆっくりと意識が変になる、モヤがかかったようになる。


 「帰れなかったら」すこしだけそう思い浮かべた。

 「590万円なんに使おうか」その半分だけど、人生最初のまとまったお金だ。


 意識が途絶えた。

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