第1話 黙示録のコンビニ

 目を覚ますと、時計は3時12分を表示している。明るいから午後だろう。今日は火曜日だったはずだ。のどがひどく渇いていて、ぼくは二階の自室から一階に降りて冷蔵庫を開けた。


 トランクスとTシャツのぼくを横目で見て母がおはようと声をかけて来た。おはようと小声で返すと、母はそのまま通販生活に目を落とした。2リットルのペットボトルに入ったミネラル麦茶をグラスに注ぎ、一息に飲み干して二階へ戻った。


 どんな気分なんだろうか。23歳の息子が、何もせず家にいるというのは。考えたくもないけれど、愉快でないのはわかる。バイトでもすれば良いじゃないと言われて、僅かにでもしてた頃はまだよかったなと、自分でも思うのだ。だからこの数年、いや、もっと前から、出来るだけ昼は部屋から出ないように、親と顔を合わせる回数を減らしたくて、昼夜を逆転させ、昼は極力寝るようにしている。


 今日は午前6時に一度寝て、午前9時に一度起き、少しネットをして正午にまた寝たのだ。のどが乾いたから起きてしまった。読みかけのコーマック・マッカーシー「越境」でも読もうかと思ったが、結局また布団に潜り込んだ。


 再び目を覚ますともう窓の外は真っ暗で、午後9時だった。睡眠時間はトータルで12時間くらい寝ていて、これが平均的なぼくの睡眠時間だろう。6時間程度しか寝ずに本を読んで勉強でもすれば良いとは思うが、ついつい寝られるだけ寝てしまう。

 午後10時、母が寝るために二階の自室に上がる音を確認してから5分後に一階に降りると、晩御飯の残りがあって、ぼくはそのカレイの煮付けを皿にとり、象印炊飯器で保温されたご飯を茶碗に盛った。

 食べ終わると父と母の分を含め、流しの中の食器を全て洗う。ぼくの辞書に労働という文字があるのなら、そこには皿洗いと刻まれているだろう。


 パソコンでネットをしながら午前2時になると、そろそろ出かけようかという気分になる。ぼくは風呂に入ってジャージを着ると黒のジャンパーを羽織り、古ぼけたマウンテンバイクで夜の街を走った。


 最寄りのセブンイレブンに自転車を停めてチェーンでロックし、店内に入ると立ち読み可能な漫画の棚で「アカギ 〜闇に降り立った天才〜」を読む。高校生の年齢の頃は、近所のコンビニに昔の同級生やその兄妹がバイトしていたりするから、とても入ることができなかったけれど、この歳になると近所のコンビニでバイトしている元同級生などおらず、だいぶ気軽に利用できた。


「やー」

漫画を読みはじめて1時間ほどだったろうか、隣に人がいて声をかけられた。どうもぼくは本を読んだり、何かに熱中していると周りの物事に気付きにくくなる。

 横をみると、女性がいた。若い、というか、ぼくと同じくらいの歳だろう。黒い髪と、鼻筋の通った小さい顔、少し三白眼気味の目に、どこか見覚えがあるような気がした。

「長井でしょ」

 名字を呼ばれたあと黙っていると、若い女性はすこし困ったように自己紹介した。

「江上だよ。覚えてないの?」


「あー、江上京子」

 渾身の普通のテンション、普通の応対が決まった。クロネコヤマトの配達すら物音を立てないように居留守で避けるぼくからすると、昔の同級生からの突然の攻撃はかなりの難易度だったが、この応対は悪くないと思う。すこし無言の時間があったけれど、慌ててるようでもなく、卑屈でもない、普通の応対ができたのだ。


「今何してんの?」

「麻雀漫画読んでるけど」そう返すと、江上京子は口の端を引き上げ、片方だけ笑みに近い口の形を作った。

「私はコンビニでアイスを買いにきた。それと、必要なものを探しに」言葉を切ってから、江上京子は質問した。

「その漫画、面白い?どんなの?」

「面白いよ、麻雀で血を抜いて戦うの」そうぼくは返した。

江上はちょっと困ったように眉をひそめた。

「なんでそんな嘘つくの?」

 なんとなくぼくは、宗教か、マルチ商法の勧誘かなと、うすうす感じ始めた。


 ぼくがとんでもない厄介ごとに巻き込まれつつあるのだと、そのときは気づいていなかった。せめて、マルチの勧誘であってほしかったよ。江上京子。

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