記憶の続き


 その日はなかなか眠れなかったせいなのか寝転がった時のままの体勢に散らかった部屋が広がっていた。

 わかり始めていた謎に対してその先に待つ未来に行きついてしまうのが怖くて、楽しかった時間までもが幻だったのではないかと思ってしまう。なのにいきょおうもまたナニモンあかったように一日は過ぎていく。

 僕は自然と涙があふれていた。僕の胸の中で渦巻く答えの見つけられないいくつもの問いに頭が回らなくて、まるで頑丈な木の根が僕の足に絡みついて離さないそんな感じだった。

 この先に起こる事に僕はどう選択すれば良いのか、ずっと心の奥にたまり続けている感情が何なのか。そんな堂々巡りの頭の中を追い払うように目を閉じて深呼吸を二回して布団から起き上がる。

 閉まっていた窓をできるだけ勢いよく開ける。この場所に住むようになってから何日も経ったおかげか最初に開けた時のホコリっぽさはなくなっていた。

 空は僕の心とは反対に澄んだように晴れていた。少し外の空気を吸ってから身なりを整えていつも通り厨房に向かう。


「おはよございます」

「……今日は昼前に閉めるからメモ書きしといてくれ」

 僕の顔を見て少し気まずそうに言って厨房に入って言った友子さんを見て、僕も特に何も話さず言われた通り作業を始める。その少し後に華さんが二階から降りてきた。

「おはよう」

「おはようございます」

 僕はあくまでいつも通りに話をする。華さんは友子さんに少しだけ話すと僕の方に向かってきた。

「今日お店閉め終わったら友子さんと一緒に行きたいところがあるんだけど颯太くんもどうかな」

「……行きたいところですか」

「うん。颯太くんにも関係のある所かもしれないんだけど、どうかなと思って」

僕は特に詳しくは聞かずに小さくうなずいた。華さんは分かったと言って作業に戻っていった。


 それからいつも通り常連さんが一通り遊びに来てしばらく話したら、みんな口をそろえて「また来るよ」と言うとお店に入ってきた時よりも笑顔でお店を出ていく。その光景が僕にはとても素敵で、いつまでも見ていたいと思ってしまうほどだった。常連さんがみんな店を出た後、華さんと一緒に店内の片づけをして作業を終えたころに友子さんからお昼ごはんが出来たと三人分の料理を持ってきてくれた。三人で一緒のテーブルに座って食べ始めた。僕は今日も相変わらずナポリタンで、友子さんと華さんはハンバーグのミニサイズを食べていた。

「三人で食べるのは久しぶりかな」

「……あんたが出かけることが多かったからね」

僕は慌ててフォローのつもりで

「いいですね、やっぱり誰かと一緒にご飯を食べるのは」と言ったが微妙な雰囲気に違ったと後悔した。

彼女はそんな僕の姿を見て面白くなったのか「颯太くんは嘘が下手くそだね」と言って笑いながらハンバーグを口に運ぶ。

「すみません。僕には向いてなかったです」とため息をつきながら言った。

「その方が颯太くんらしいよ」と意地悪っぽく笑いながら言う華さんに友子さんはやれやれと言いたそうな顔をしながら食べている。僕もナポリタンを口に運ぶ。

 お昼ご飯を食べ終わって支度をすました友子さんと華さんがお店の戸締りをして「じゃあ行こうか」と言って歩き出した。僕もその後ろから歩き出した。


 お店通りを歩いて少し外れたところで一本道を折れるとそこには大きな木が地面に広い樹影を落として立っていた。その公園とも広場とも言えない場所は僕にはいろんな想いが込められているような気がしていた。その想いをため込んだ木がすべてを抱えて立っているように思えて切ない感情に心が締め付けられた。

「ここに来るのは何年ぶりだろうね」

「もう十年は前だね」

 友子さんは木の葉の部分を、華さんは幹の部分を眺めながら言った。僕は何も言葉にすることが出来ず、ただ二人越しに木を見つめる事しかできなかった。

「いつまで待たするつもりなのかね」

 その言葉を友子さんが言った瞬間僕の頭の中に新しい記憶が入ってきた。


「きっと僕はあなたたちのことを忘れてしまうけれど、いつかまた会いに行くから」


 今までに記憶の欠片で声を聞いたことはなかったが、その時はっきりと記憶の中で男性の声が聞こえた。男性が誰に話したのかもどんな人なのかもわからなかったけれど、きっとこの先二度と会えない人への言葉なのだということがわかった。そしてあの本に出来事を記していた人物なのだということも。そこで初めて僕がこの先に待つ最悪な未来に近づいている事も、変えなければいけない未来なのだという事も。


「僕は忘れたくないです」言葉を絞り出すように言った。

「え、颯太くんどうしたの?」

 華さんは僕の顔を見ると心配そうに言った。僕の頬からは涙が流れていたのだ。

「すみません。この綺麗な景色に少し感動してしまって」

 笑ってごまかすが二人は申し訳なさそうに僕の方を見る。僕は記憶のこともあってか気になって聞いてみることにした。

「ここで誰を待ってるんですか」

「え……」二人は少し戸惑った表情を見せた。

「もしよかったら聞かせてもらえないですか」

「……」華さんはそれから少し黙って考えだした。

 するとその姿を見ていた友子さんが一つ大きなため息をついてから木のそばに腰を下ろした。

「これは何年も前の話さ、私たちの所であんたぐらいの年の子が働かせてくださいって言ってきてね。当然最初は断ったんだよ。だけど何日も店の前で座り続けるから仕方なく店に入れたんだ。それで条件付きで働かすことになったんだよ。迎えがここを突き止めたら素直に帰る事、そして二度とここには関わらないこと。それから二週間がたったころそいつが突然顔を見せなくなったんだ。私らは帰ったと思っていつも通り過ごしていたんだ。だけどある日一人の男性が店に来て息子が消えたと探しに来てね。私たちは後悔したよ。あの時……」

 友子さんはそれから空を見上げて口を閉ざした。

 僕は駄菓子屋のおばさんの話を思い出した。そして本の内容も。だけど気になる点もたくさん浮かんできたがそれに関しては二人には話さず「そんなことがあったんですね」と言った。

「だからね、初めて君を見た時戻ってきたんじゃないかと思ったの。話を聞いて違うってわかったけど」

「そうだったんですか」

「うん。なんだかごめんね」

「いえいえ。僕こそ……」

「じゃあ、そろそろ帰るかね」友子さんはそう言って立ちあがり身なりを整える。

 僕と華さんも立ち上がり、僕はもう一度大きなその木を見つめる。僕より何倍も大きな木はさっきとは違い温かさを感じられた。

 帰り道を歩いていて僕はまた驚くことになった。それは以前僕が考え事をしていて迷ってしまった通りだった。僕が来た方向とは逆の道で社の方まで来て僕は身構えたがあの時浮かんだ記憶は全く浮かんでくることはなかった。

 その後、静かな住宅地を抜けて明るくにぎやかなお店通りに出てきた。さっきの道とは真逆でたくさんの人の声が聞こえてきて、空気が様々なものによって変化するのが感じ取れた。


 喫茶店に帰ると友子さんは明日の支度に取りかかり、華さんは夕飯の支度をし始める。僕は何か手伝うことがあるか聞くが断られてしまったので、おとなしく二階の自分の部屋で待つことにした。部屋に戻って僕は今日話を聞いて気になったことがあったので本を手にした。所々の話の食い違いが起きているという事。それを確認しようと開くと、今までの記録にたった数行だけ書き足されていて他には何一つ書かれていなかった。


{この時の僕の判断はたくさんの人を悲しませ、切ない思い出だけを残させてしまった。と後悔をしながら自分の消えていく記憶を振り返った。だからこれから君に起きる事は僕の体験した通りになるかもしれない。だけど君に後悔しながら選択してほしくない。君には変えられるかもしれないから。そして忘れて欲しくない。君と君が大切に想う人たちが笑っていることを願っている。}


 その文章にこの人のすべてが込められているのだと僕は思った。詳しくは見えてこないことばかりだけれど、記憶の続きをこれからは僕自身が体験していくのだとこの本の記録から感じ取って僕は思わず身震いした。

 この日の僕はこの不思議な出会いを体験した中で最も真実に近づいた、そう思った日だった。



 大きな洋風のお屋敷の二階の窓から外の景色を眺める。小さなノックが三回して「入れ」と私が言うと「失礼します」と度のきついメガネをかけた中年の男が部屋に入ってくる。

「調べられたのか」

「はい。その者はここ最近店で住み込みで働くようになったようです。詳しい身元に関しては一切情報がございませんでした」

「おまえをもってしてもわからぬ者か。興味深いな」

「どうされますか」

「まあ、もうしばらく様子を見るのも手ではあったのだがな。少しばかり関わりすぎているようだ」

「では……」

「ああ、その方向で頼む」

「かしこまりました」

 そう一言言うとその男は私に一礼した後静かに部屋を出ていった。

「身元がわからぬ男か。まあ面白い相手だろう」

 手に持っていたグラスをサイドテーブルの上に少し音を鳴らしながら置いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る