第二章

変化する想い


 僕と華さんの二回目のおでかけはたくさんの謎と思い出を残して終わった。そしてあの日を境に華さんは時々お店を空けることがあった。それまでにも何回かはあったけれど、僕は何となくその時とは違うのだと感じた。だけどそこまで人のプライベートな部分に触れるのは気が引けて特に聞かなかった。

 そして華さんが朝から店の仕事をおやすみしていた時に僕は今までのことに納得した。その日は喫茶店で使う材料が途中で無くなり、近くの八百屋さんでお使いを頼まれていた。

「すみません。イーリスの者ですけど、頼んでた食材取りに来ました」

 奥からパタパタと靴の音を鳴らしながら恰幅の良い女性が出てくる。その女性は僕の姿を見るなり驚いた表情を見せて、下から上まで品定めするかのように見つめて僕と目線が合った途端「ごめんなさいね」と一言言って食材を集め始めた。

 メモに書かれた食材を一通り集め終えたところで

「お兄さんは華ちゃんとお知り合いなの?」

 目では疑いを持ちながら声は世間話の感じで言った。

「働き場所が一緒なだけです」

「あら、そうなのね。歳が近そうだからてっきりね」

 てっきり何なのだと言いたかったが堪えて苦笑いをした。

「これ頼まれていたの全部入ってると思うから」

「ありがとうございます」

「いいえ。また何かあったら来てね」

 僕は二度と来たくないと思いながら社交辞令を繰り返した。それから喫茶店に戻ろうと籠を持って歩きだして、重さのせいなのか目の前の景色に対してなのかはわからないが立ち尽くした。

 華さんと宗一郎さんが二人で街を見た事もない綺麗な洋服を身にまとって歩いていた。すれ違う男性や女性の視線は二人に集まっていた。反対側の通路の方からでもわかるその姿に僕は逃げるように路地に入った。

 何故か荒くなったその息を整えて目を閉じる。さっきの仲良さそうに歩く二人の姿が頭から離れない。もう一度一息ついてまた歩き出す。あの日を境に出かける回数が増えたのは宗一郎さんに会うため。僕が一緒にいた時に困った顔をしたのは二人で出かけていたのを見られたから。そんなところだろう。僕は華さんの謎だった行動に納得がいった。だけど何だか心がざわついて顔をしかめる。そうこうしてると周りの見たことない景色に慌てる。

「ここどこだ」

 あきらかに違う道に来てしまったのだ。周囲を見渡すが同じような建物で自分がどこら辺にいるのかもわからない。もう一度周りを見渡すと目線の先に小さな神社が建っていた。僕はその神社の所まで歩くとなぜだか懐かしさを感じた。そしてさっきとは違う感じの心の感情があった。

 神社は鳥居があって石の階段を二段登ると小さな社が見えた。初めて来たはずなのに僕にはすごく記憶に残っていた。階段を登り終えて鳥居をくぐると頭の中にこの神社の記憶が浮かんできた。その記憶は今までとは違って詳しい記憶だった。

 この神社で僕ともう一人の誰かが何かをしているのが頭に浮かんだ。会話やいつ頃のことかはわからないけれど、確かにこの場所に僕は一度来ているのだとその記憶ではっきりした。だけど僕には明治にいたこともこの場所で誰かと話す理由もない。僕はただこのよくわからない状況に立ち尽くしていた。そしてその状況から我に返ったのは僕が左目から流していた一滴の涙でだった。僕は涙をぬぐおうと手を上げて手にぶら下げていた籠とおつかいを頼まれていたのに気づく。

 神社を出て、自分でも驚くほどに迷わず来た道を戻る。その時一度だけ神社を見たのはその記憶のせいか、またこの場所に来たいと思ったからなのかはわからないけれど。

 見慣れた街並みに安心し、喫茶店に戻ると友子さんは厨房から慌てて出てきた。

「何があったんだい」

「え?」

「またあいつなのか」憎しみのような思いがこもった声で言った。

「あいつって……」

「あ、いや。何もないならそれでいいよ、厨房の冷蔵庫に食材しまっといておくれ。それが終わったら昼ごはん食べな。まかないは中に置いてあるから」

 僕はそれを聞いて喫茶店の時計を見る。頼まれて出て行ってから一時間半も過ぎていた。

「本当にすみませんでした。帰りで道を間違えてしまって」

 そう言うと友子さんは数回頷いて二階に上がっていった。悪いことをしてしまったと食材を運びながら思う。そしてさっきの二つの出来事を思い出す。

 宗一郎さんと仲良さそうだったな、と素敵なことのはずなのに僕の心は相変わらずざわついて仕方がない。冷蔵庫にしまい終わってまかないを冷蔵庫から取り出す。今日もナポリタンだ。それも小さなハンバーグ付きだ。僕は少しだけ温めて二階に向かう。突き当りの部屋をノックして「ありがとうございます」と一言言って自分の部屋に戻る。

 机を出して目の前の窓を少しだけ開けると、外の空気と一緒に様々な音も入って来て部屋が一気に賑やかになる。机にはナポリタンと本を置いたがその二つは温かさと冷たさを持っていた。ナポリタンをフォークで右手の親指と人差し指と中指で、クルクル回してつかんで口に運ぶ。トマトソースの酸味とパスタの絡み具合が独特で僕はここでのまかないはほとんどこれだ。初めて食べた時の感動は今でも忘れないし、その時の友子さんの笑顔に僕は何となく華さんを重ねた。

 左手で閉じていた本を開く。やっぱり本には今日の出来事が書いてあって神社のことも書いてあった。それを読み進めて僕は途中で目線を止める。そこには僕が何度か頭に浮かんでくる記憶のことは記されていなかったのだ。

「この人には記憶は浮かんでないのか」

 僕はフォークを置いて今まで僕が浮かんだ時の所までさかのぼる。そのどこにもそう言ったことは書かれていなかった。それに今までは特に違和感なく読んでいたが、この執筆者はこの街に対してすごく知識があるのに対して、現代にはそんなに知識がないそんな感じに思えて仕方がなかった。

 ナポリタンを食べ終えて僕は部屋を出て友子さんの部屋を三回ノックした。そして一階に行き厨房でお皿を洗って、書置きをして喫茶店を出た。


 僕は一人で華さんと行ったお店をすべてまわった。そのすべてに僕は一回だけとは思えないほど記憶があって、駄菓子屋に来た時僕は確信した。

 そしてお店に入ってお店の人に話しかけた。

「あの、すみません」

 中から出てきたその顔は初めて見るはずなのに知っている顔だった。僕が修学旅行で出会った京都で万華鏡を譲ってくれたお婆さんに瓜二つだった。華さんに似ている一華さんの事が頭によぎる。

「なにかさがしものかい」

 そう言って僕を明らかに不審そうな顔を隠さずに見てから、少し考えるような表情に変わって中から出てきた。その女性はしばらく僕の顔を見ると「やっぱり」と言ってレジの横に置いてあった椅子に座る。

「なにか僕のこと知ってますか」と期待を込めて言うと

「あんたイーリスの娘と一緒に来てた子だろ」

「あ、はい。少し前からお世話になってます」

「あそこは不幸を呼び寄せるのさ。不幸をもらいたくなければさっさとほかに行くことをお薦めするよ」

「不幸を呼び寄せる? どういうことですか」

「あそこにあんたと同じくらいの男の子が突然働きだしたことがあったのさ。だけど少ししてから、忽然と姿を消しちまってそのあとその男の子を見たものは誰一人いないって」

 僕はとっさにあの本の持ち主ではないのかと思った。そしてそれが僕と同じ違う世界から来た人間なら、この世界に来たのが何らかの理由で元の世界に戻ってそれから二度とこの世界にはこれなくなったのではないかと。僕はだんだんと繋がっていく謎に頬が火照り胸が弾む。だけどそれと同時に女性の言った言葉に本の記述にもあった選択のことが頭によぎる。

「それっていつぐらいのことですか」

「あたしがまだ三十の頃だったからね。十年前ぐらいの事だよ」

「その男の子はどのくらいそこで働いていたんですか」

「さあね。詳しくは知らないけど、初めて見てから二週間ぐらいたったころには見かけなくなってたからね」

 その言葉を聞いて僕の心臓がドクンと音を鳴らした。

「それにしてもあの子はどうしてあんな幸せな誘いを断っちゃうのかしらね」

「幸せな誘いですか?」

「そうさ。私らからしたら願ったり叶ったりな話だってのに」

 そう言うと不満そうな顔をして店の奥に帰ってしまった。僕はお礼を言って駄菓子屋を出て川沿いの道に行く。金平糖を食べた時の景色と今の景色は全く別物だった。それは時間の経過が解決するものなのかと僕は座ってしばらくその景色を見る。だけどそれは一向に変わらずため息をついて立ち上がり、帰ろうとしたその時だった。

「颯太くん!」

 聞きなじみのある声に振り返ると、さっき見た綺麗な恰好はなくいつも通りの恰好をした華さんが目の前にいた。

「華さん今日の用事は終わったんですか」

「あーえっと、うん。ごめんね一日お店おやすみしちゃって」

「僕も実は道に迷って友子さんに迷惑かけてしまったのでおあいこですね」

「そうなの? じゃあまた街の探検でもしようか」

 そう言って笑う華さんの笑顔と声にそれまで感じていた悩みや不安があっさり飛んで行ってしまった。僕は今日の出来事は詳しくは話さず一緒に帰った。

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