思い出のピース
華さんと駄菓子屋に行った帰り川沿いの道を歩いていくと
「ここらへんで少し休まない?」
「全然いいですけど」そう言って坂になっている所に腰を下ろした。
華さんは駄菓子屋で買った金平糖を取り出す。
「はい、颯太くんにもあげるね」
「あ、すみません。ありがとうございます」
華さんからもらって手にした金平糖は何だか特別で、しばらく見つめてしまった。隣で金平糖を食べながら、夕暮れの景色を眺めている華さんの姿に僕は何となく切なさを感じた。僕はこの日の金平糖の甘さと夕日の景色を忘れたくないと思った。
その後しばらくその景色を堪能した後、お菓子の話をしながら喫茶店に向かって歩いた。
喫茶店に帰って友子さんから言われた言葉に僕は現実を突きつけられた感覚を持った。
「ここで働きな」
たったこの一言だけだった。華さんは客人なんだからいいと言ってくれたが、家事もやらなければお店の手伝もしない男をただ家に居座らせるのは僕だって嫌だ。それに僕はこの世界のお金を持っていない。ありがたい事だったので「お願いします」とまるでここで働かせてくださいと言わんばかりの勢いで返事をしたのが三分前。
目の前では納得がいかないという顔をする華さん。
「いいのに。颯太くん無理してない?」と不安そうに言う華さん。
「いや、むしろありがたいです。ご迷惑になるのであれば断りますが……」
「そうじゃないの。ただ……」と少しの間があり、華さんは小さくうなずくと「わかった」と言って喫茶店のレシピを見せてくれた。その夜は必死でレシピの流れを頭に叩き込んだ。
朝起きるとこっちの世界のままで僕は昨日教えてもらったレシピを持って厨房に向かった。もうすでに友子さんは支度を始めていた。
「おはようございます」
「……まず皿洗いと皿拭きをやっておいて」そう言ってさっきまでやっていた作業にすぐ戻っていった。
「はい」
言われた作業を終えてからはひたすら友子さんの盛りを見ながら、同じように盛る作業だった。簡単そうに見える盛りですら、どちらが盛り付けしたのか一瞬で分かってしまう。初日とはいえ情けない。
「……」
「……」
沈黙が続く。
「……ここで……左手を指だけ返すんだよ」
「……あ、はい!」
嬉しかった。正直上手いとか出来るようになったと褒めてもらえるのが一番嬉しいが、友子さんと話せることのほうが嬉しかった。
それからそんな日々が一週間ぐらい続いた。ようやく段取りを一通り覚えてきて、僕が初めてこの喫茶店に入った時にいた常連さんとも話せるようになったある日、僕の不思議な世界での穏やかな時間はあっという間に変わった。
いつものように自分の借り部屋に戻って書物館で借りた本を開いて確認をしていたら、
{私のこの日の選択がのちの人生の大きな分岐になっていたのだ。ここで私は間違った選択をし、大切に思えた時間も人も記憶もすべて消えてしまう。だから君には間違わないでほしいと願う。君が本当に大切なことは何なのか、よく考えて決断してほしい。……}
そう書いてあった。僕はものすごく戸惑った。もちろんこれまで僕が過ごした時間はこの執筆者も同じ経験をしている。だから信じられる。けれど選択、決断。何のことだか皆目見当がつかない。それにいままでこの執筆者と同じ道をたどっている僕が違う選択肢なんて選べるのだろうか。大切な時間、人や記憶が消えてしまうのは誰なのかどこなのか全く理解が出来なかった。突然の深刻な状況を聞かされた僕はただ部屋の中でこれから起きる事に対して不安しか抱かなかった。扉からノックの音が響き僕は慌てて本をしまった。
「入ってもいいかな」
「あ、はいどうぞ」
数秒後ゆっくりと扉を開けて華さんは僕の部屋に入ってきた。
「ごめんね、疲れてるとこに」
「いえ、全然。ちょうど一息ついた時だったんで」
「そっか。……あのさ、明日またお出かけしたいなと思って。喫茶店もお休みだし」
「わかりました」
「ありがとう。じゃあまた明日」
華さんが部屋を出た後僕は本をもう一度読んだ。これから起こる事のすべてがどんな風にその先につながるかはわからないが、僕は後悔のない選択をしたいとこの世界に来て初めて思った。
次の日僕たちはこの前とは全く違うお店に行くことになった。洋服屋では僕がこの世界の服を一着も持っていないのは困るだろうということで買うことになった。僕が普段から着ているような感じではなく、着物や西洋風の服などが並んでいた。僕はどれを選べばいいかわからず何となく見ていた。
「おにいさんどんな服を買うつもりなんだい」店員さんが優しく声をかけてくれた。
「えっと、とくにはないんですけど……」
「お兄さん背が高いからこれなんかはどうかね」と並んでいる棚から何着か持ってくる。着物だったり、ピシっとしたスーツのようなものもあった。僕はどれも着たことがなかったのでどうするべきか悩んでいた。すると後ろから
「君にはこれが似合うと思うな」
「え?」振り返ると高級感のある服装に品のある雰囲気のその男性は上が紺色で下は灰色の落ち着きのある袴を指さしていた。
「あ、旦那いつもありがとうございます」
男性の顔を見るなり店員さんは、男性に近づき親しげに話す。僕は男性が指していた袴を見る。何となくお店の左側の女性のブースを見ると、華さんは靴や帽子を見ていた。僕は男性にすすめられた袴を着てみることにした。初めて着た袴姿は違和感でしかなかった。
「うん。似合うね」男性はうずいて店員さんの方を見た。
「旦那はやっぱりいい目を持ってらっしゃる」
その男性は店員さんにこそッと呟くと店員さんはレジに向かった。
「素敵な出会いの記念にプレゼントさせてくれないかい?」
「え! いやそれは申し訳ないです」
「そうか、素敵な出会いは大切にしたいのだが……」とものすごく残念そうな顔と雰囲気を出され僕は戸惑う。
「君、誕生日はいつなのか聞いてもいいかい?」
「え、えっと、十月四日ですけど」
「じゃあ、プレゼントには丁度いいね」と言うとレジに向かってしまった。
僕は慌てて袴を脱いで、着ていた服に着替える。そしてレジに行くと店員さんと男性が談笑しながらお会計をしていた。
「あの、本当に申し訳ないので……」財布を出しかけた時
「僕のワガママを聞いてもらえないだろうか?」
どうすればいいのか困っていたところに、
「颯太くん、どうかしたの? って宗一郎さん?」
「え?」僕と男性は声をそろえて振り返った。
華さんは左手に袋を持って僕の隣に立っている男性の方を見ていた。
「華さんの知り合いだったんだね」と言うと店員さんから袋を受け取って僕に渡してくれた。
「あ、すみません。本当にありがとうございます」どうしようもなく袋を受け取る。
「これから寄っていこうと思っている所があるのだけれど、お二人も一緒にどうかな」
「そんなこれ以上良くしてもらうのは」僕は首を縦には振れなかった。僕がこの世界の人間でないとばれてしまうともっと迷惑をかけてしまうそう思ったからだ。華さんの方を見ると僕以上に困った顔をしていた。
「宗一郎さんのお誘いありがたいのですが、このあと人と会う約束をしているんです。すみません」
「そうなのか。それは仕方がないね」
その後お店を出ると華さんと僕は右に宗一郎さんは左に折れて歩き出した。
「宗一郎様、この後のご予定は」
「屋敷に戻る。少し調べたいことが出来たのでな」さっきとは違う声色と表情で執事に話す。
「かしこまりました」
黒い長い車のドアを開ける五十代ぐらいの男性。その車に乗り込む宗一郎の顔にさっきまでの笑顔はなくなっていた。
宗一郎さんと別れてから華さんはどことなく苦い顔をしていた。僕にはとてもいい人に見えていたので、彼女のその表情は僕には不思議でしかなかった。
「華さんあの人と何かあったんですか」
「……え? あ、喫茶店によく来てくださるお客さんなの。最近は来てくださらないけど……」と苦笑いをする華さんに僕はこれ以上聞くのは野暮だと思った。
その後僕たちはまた書物館に行くことになり、向かうと正志さんが居た。華さんは借りていた本を返してまた借りる本を探していた。僕は正志さんにあの本について詳しく知りたかったので聞くことにした。
「あー。君が借りた本だよね」
「はい。白紙なのにこの書物館においておける人って誰なのかと気になって」
僕は本の不思議な現象については伏せたまま話した。
「それがわからないんだよね。俺がここで働きだした頃にはあったらしくて、誰が置いていったのかも全くわからないままなんだ」
「じゃあこの本が誰のかもいつ頃のかも調べようがないってことですか……」
「まあそうなるな……あ! そうだ。その本な白紙だし誰のかもわからないってことで廃棄になりそうなんだ」
「え? じゃあこれ」と言いかけたところに
「うん。そう言うと思ってあげたいやつがいるって言ったんだ」
「ほんとですか」
「うん。そしたらありがたいって言ってたよ」
「僕の方こそ」
「この書物館は多くの人が残した知識がいろんな人の手に渡り受け継がれていく。だからたとえ白紙だろうとなくしたくないんだ」
僕は正志さんの言葉を聞いて書物館を見渡す。棚に並ぶ本を手に取って目をキラキラさせている人達の姿が見える。それから僕は正志さんおすすめの本を紹介してもらうことになりいろんな棚をまわった。
僕は紹介してもらった本から二冊借りることになった。そこに三冊を手にした華さんが来た。華さんから本について聞かれ正志さんのおすすめだと言うと、私も何時間もおすすめされたと呆れながら言った。正志さんは不満そうな顔をしながらぼそぼそ呟いた。僕はその正志さんを見て笑う華さんの笑顔を見てさっきの出来事での表情を思い出したが、その笑顔に安心してしまった。
そしてこの幸せな時間が突然一つの嘘によって、大きな出来事となり華さんのその笑顔が曇ってしまう事も、この本が繋いだ想いの本当の意味を知ることになる事も、この頃の僕には到底わかりもしなかった。
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