第2話
急転直下、という言葉を体感することになるとは思ってもいなかった。
私は愚かで、愚かで、そして愚かだ。
兄は勇敢で聡明で慈悲深く、まさに英傑というべき存在だった。しかも、誰もが憧れるであろう国王直属の騎士として、その剣をふるっていたのだ。
その兄が殉職したのはつい半年ほど前になる。
長きに渡る激戦も終焉の影を見せ始め、諸国同盟軍、つまり我々の勝利という形で締めくくられようとしていた矢先のことだった。
軍を率い、その先頭に立って兵を鼓舞し続けた兄。
疲れもあっただろう。
喉も渇いていたのだろう。
馬上で熱気のこもる兜を脱いだ、その瞬間。
恐らくそれは狙ったものではなく、流れ弾と言った方が正しいのかもしれない。アーチを描くように飛んできた矢が、兄の頭を打ちぬいたのだ。
落馬しその場にくずおれ、言葉を残すこともなく、兄はこの世から旅立った。
今も、兄を抱き起こした時のぬくもりが腕に残っている。
目を閉じれば、兄が
私はあの時、あの場にいた。
私と兄は兄弟でありながら、主人とその従者という間柄でもあった。
「いつかお前も、私と同じ主君に
兄の言葉は、私の夢そのものだった。
幼いころから小姓として働き、騎士道を学んだ。その頃の兄はすでに従騎士として、あちこちの戦場に駆り出されていた。
帰還のたびにその活躍ぶりを耳にし、我が事のように誇らしく思ったものだ。
その後兄が騎士の叙任を受けたのに合わせ、私も従騎士となり、兄の教えのもとで修業を積んだ。兄の至妙の剣技などとても真似出来るものではなかったが、それでも必死で食らいついた。
優雅な身のこなしで繰り出される礼儀の数々、懐深い気遣い。兄の生き様そのものが手本であり、指導の言葉がなくても付き従うだけで十分に学ぶことができた。
だがもう、教わることは出来ない。
おのおのの戦績、武勇を自慢しながら酒を酌み交わそうというささやかな楽しみも、叶わなくなってしまった。
戦は無事勝利を収め、私も国へ引き上げた。
兄の葬儀は、国王からの御心付けもあり盛大に執り行われたが、わが家の悲しみは深く重いものだった。
殊に父の沈みようは見ていられない程で、それが因果なのかは分からないが、もともと患っていた肺の病が悪化し、兄の葬儀後すぐに亡くなってしまったのだ。
終戦から一か月。
たった一か月だ。
わが家は跡取りを亡くし、そして当主をも失った。
順位からいけば次期当主は私ということになるが、私が父の跡を引き継ぐことはなかった。
私には兄だけではなく、幼い弟がいた。まだ齢6つになろうかというその弟を、跡目にと推す者が多くいたのだ。
幼い当主の下で意見番を装い、実権を掌握しようと目論む者もいただろう。
弟の母は後妻で、我が子を当主にすることで、家内での地位を上げられると考えたに違いない。
誰が何の目的で私を引きずり降ろそうとしたのかは分からないが、事実を明らかにしようとは思わなかった。誰かと争えるほどの胆力は、もうひとかけらも残っていなかったのだ。
私は、継承権を弟に譲り渡した。
国王付きの騎士として兄とともに王国を支える、という夢が潰えた私には、そのために積み上げた地位や名誉や権力など、何の意味も成さなくなってしまっていた。
次期当主の座に就いた弟──恐らくその後見人であろうが──は、私に領地を分け与えた。
領土の最果てにある村一つ分の、小さな土地だ。
ここをやるから、大人しく引っ込んでいろということだろう。抵抗する気も、それを辞退する理由もない。むしろ、この先まだ長く残る余生を静かに過ごすにはちょうどいいと思った。
私は今までの家名を捨て、新たな領の主としてその村に移り住んだ。
その村は、とても貧しかった。
平らで柔らかな土壌だが水はけが悪く、ひとたび雨が降れば
自給自足でやっていけるのならそれでも構わない。しかしこの辺りでは生活に必要な塩が採れないのだ。
これまでは、領主からの配給でなんとか賄っていたが、独立した今はそれに頼ることができないため、蓄えがなくなる前に他所から分けてもらわなければならない。
その対価となるほどの作物は収穫できず、かと言って他に交易品となるようなものもなく、有効な駒がないという現実は私を徐々に追いつめた。
私はここの領主だ。
小さい村とはいえ、領民の生活のために手を打つ必要がある。
しかしずっと剣を振り戦術を考えるだけの生活をしてきた私には、何かをつくりだすということが大変難しく思えた。
畝に種を蒔いたら勝手に育っていくわけではなく、肥料を与えたり間引きをしたり、他にも色々手を掛けてやらなくてはならない。それも育ち具合や時期を見て加減を判断しなければならないなど、単純なものではないらしい。
そこに加えての、恵まれない土壌。村が出来てからこの方、皆でいくら試行錯誤しても農作物の収穫量は上がらない。
ここに長らく住む者が成し得なかったことを、付け焼刃の知識しかない私が同じ立場で思案したところでどうにかなるものではないだろう。
何か、もっと別の目線で考えなければ、新たな道は拓けないのではないか。
そんな事を考えている内に、私は少しずつ気付き始めてしまった。
この村で農作を生業とする者たちと過ごし、実際に土を耕すことによって、己が今まで正義としてきたことの愚かしさに。
今まで私は、守るために戦う、ということを繰り返してきた。
生きるために、殺す。得るために、奪う。
強者が弱者を蹂躙するのは当たり前で、力無き者の辿る末路はただ一つ、滅亡だけだ。
私はそれを肯定してきた。そんな血塗られた理を世の理とし、人を、国を護っているつもりでいた。
騎士道に間違いはない、そうただ漫然と信じ、幼いころから鍛錬を積んできた。
それがどうだ。私は今や、それとは逆の、むしろその道を否定せんばかりの思考を拭えないでいる。
殺さずとも、共に歩む道はあったのではないか。
奪わなくとも、生みだせば良かったのではないか。
守ることは戦うことだけではなく、他にやり方があったのではないか。
兄が
そうではなかったのだ。
私は、騎士になる資格のない人間だったのだ。今になってようやく気付いた。神は私を試したのではなく、私をお止めになったのだ。
私が信じて進んできた道は、決していばらの道ではなく、最も手っ取り早い手段でしかなかった。
簡単で分かりやすく、その上華麗で美しい。
決して間違いではないのだろう。そうやって支配する者がいなければ、世が混沌に陥るのも事実なのだから。
愚かなのは、力が
奥中に潜む業には目もくれず、良いところだけを汲み取って、これが私の理想とする世界の在り方だと信じて疑わなかった、無垢な私の心こそが愚かだったのだ。
そしてそれを受け入れらず、今なお騎士道に罪を見出そうとしている。
何たること。
私は幾年も間違った観念を抱え、振りかざしていたのか。
これほど自分を恥と思い、絶望したことはない。
私は。
私は。
私は……
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