真夜中の音色

 能見は夢から覚めたかのように我に立ち返った。


 一度身震いをすると、灰皿代わりの空き缶に煙草を揉み消し、家の中に戻った。風が無い分、部屋の中は少し穏やかで、ようやく心地よい酔いを感じることができた。


 そしてまたパソコンの前に座ったが、すぐに画面を開く気はおきず、しばらくじっとしていた。


 ふと、部屋の片隅に置いてある古びたフォークギターが目に入った。ギタースタンドの上で、長い間放置され、埃を被り、まるで拗ねた子供のように、後ろ向きのまま息を潜めていた。


 能見はギターを取り膝の上に乗せて座った。久しぶりに持ったギター。フォークギターの比較的大きな筐体に腕を回すと、幼い子供を抱きかかえた時のように、癒される気持ちがした。


 弦は古びて、ひどく錆びついていた。腫れ物に触るかのように恐る恐るコードを押さえながら、静かにゆっくり、上から下に弦を擦るように鳴らしてみた。──乱れた和音。すぐにチューニングを始めたが、どの弦も少しのネジの回転ですぐにでも切れてしまいそうな、嫌な緊張感を醸していた。


 一通り丁寧に音程を整えると、彼はいくつかコードを弾いてみた。真夜中の静寂の中ですら、かろうじて聞こるかどうかというくらい小さな音だった。久しぶりにコードを押さえる左手の指先は、弦が指の腹に食い込み、痛みすら感じさせる程だった。


 そして一つの曲を静かに弾き始めた。それは能見自身が昔に作った歌だった。徐々に鮮明に蘇る歌詞とメロディー。すると次第に高揚感は高まり、調子を上げていった。──音にならない音、声にならない声。しかしその歌は、彼の中で魂を余すところなく独占し、身体中を駆け巡り、激しくも静かに、彼を恍惚とさせていった。


 ブチン!


 突然、大きな音がして弦が切れた。能見の手もピタリと止まった。彼を包み込んでいた音楽の泡は一瞬にして弾け散った。残されたのは、高まった鼓動と生暖かい息づかいだけだった。


 能見はしばらく、切れた弦が垂れ下がってゆらゆらと揺れている様子を眺めていた。やがて、少し落ち着くと、ギターを元の場所へ戻した。


 そしてまたパソコンに向かい、一息つくと、例の下書きのメールを開き、再び続きを書き始めた。

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