第二章

第二章

その日、由紀子のもとにやってきた、山口朱美は、ちょっと様子が変だなと感じさせるところがあった。とりあえず由紀子がお茶を出し、今日は一体どうしたのと尋ねると、朱美はこんなことを言いだした。

「ねえ由紀子は、自分の人生に満足している?」

「どういう事?」

由紀子がそういうと、朱美は、小さくため息をつく。

「ていうか、あたしなんだか人生間違えたような気がするんだよね。ほら、旦那が、正確にいえばあたしの旦那なんだけどね、赴任先の海外で、川に落ちた子供を助けようとして、代わりに逝っちゃったの。」

そんなこと、由紀子にしてみたら、今初めて聞かされたことだ。それについての感想を求められても、困るだけである。

「すごいご主人ね。それだけすごいことをやったんじゃないの。でも、ご愁傷様ね。」

由紀子はとりあえずそうあいさつした。そうすると、朱美はやっぱりそうか、という顔をした。

「やっぱり、由紀子もそういうこというよね。そんなこと言われるけど、あたしとしてはどんなところがすごいといえるんだろう。確かに、誰かのために逝ったっていうのは、カッコいいのかもしれないけど、あたしにとっては、いい迷惑なだけよ。だって、子どものことだって、あたしが全部引き受けなきゃならなくなるのよ。それでは、あたしばっかり忙殺されて、なんだかあたしはなんでこんなことしなきゃいけないのかなって、もう馬鹿らしくなるわ。それに、あたしは、立派な死に方をした人の奥さんなわけだから、表沙汰では、カッコいい顔をして居なきゃならないし。ほんと最悪よ。もう子供二人はいう事聞かないし。あたしは、どうしたらいいのか。」

そういう事を赤裸々に語る朱美は、なんだかちょっと変わってしまったのではないか、と思われた。

「朱美ちゃん、この前は、幸せでしょうがないって顔をしていたのに。其れは違ったの?」

「ああ、そんなものは過去形。今は本当に、辛くってしょうがない。もうそういう楽しかったことは、永遠に来ないかもしれない。」

朱美は、わざとおどけているが、その裏には、ちょっとどころか、すごくつらいことが入っているような、そんな表情だった。

「一体どうしたの?朱美ちゃん。ご主人亡くなって、なにか変わったんじゃないの?」

「由紀子が正解よ。やっぱり、結婚して子供作るよりも、すきな人は、結婚なんかしないで、そばにいるだけで充分だわ。あたしは、何だか人生間違えた。」

そんなことをいう、朱美。

「朱美ちゃん、いったいどうしたのよ。何かあったの?人生間違えたなんて、此間ここに来たときは、すごく楽しそうにしていたはずなのに。何かあって、ため込んでいたら、絶対にいけないって、あたしは思うことにしているの。何かあるんだったら、話してしまえばいいでしょう。そのほうが、SNSとか、そういうモノに頼るより、よほど確実よ。」

「まあ、由紀子は優しいのね。そういう事、出来れば、お役所の人に言ってもらいたいわ。お役所の人に、育児で疲れている、何とかしてほしいと相談持ち掛けても、そんなことで困っている人は、ほかにもたくさんいるとか言って、相手にしてもらえないのよ。」

確かに、お役所は、大事なところなのだが、そこの職員というのは、なぜか高慢で、威圧的にふるまう人が多くいるのだった。其れは、由紀子も何となく感じているが、困ったことがあって相談に行くとなると、また、態度が違うのだろう。

「相手にしてもらえなくても、そこしか使えるところはないし、育児で大変なら、保育園を探すとか、そういうことをしてみたらどうなのよ?」

「保育園か。行けたら本望だわ。幾つか問い合わせてみたけどさ、定員がいっぱいで、もう入らないんですって。」

由紀子がそういうと、朱美はため息をついた。いわゆる待機児童というモノになってしまうのだろうか。

「でも、保育園に通わせる権利はあるはずだから、役所へ文句言ってもいいんじゃないかしら。ほら、保育園落ちた、日本死ね!何ていうブログを書いた人だっているでしょう。そういう事しちゃう人だっているんだから、文句言う権利だってちゃんとあるわよ。」

「由紀子は、そういってくれるけどさ。誰もそんなこと言ってくれやしないわよ。だって、立派なことして逝った人の妻なのよ、あたしは。そういって、文句言えば、お兄ちゃんは、一生懸命子供さんのために尽くしたのに、なんであなたは子供のために何もできないのかって、妹の菊代からも文句を言われるのよね。全く、男というのは勝手なものよねえ。そうやって、自分の好きなようなことやって、勝手に死んじゃうんだから。」

「朱美ちゃん、そんなに困っているの?じゃあ、カウンセリングの先生とか、そういう人に頼ってみたら?ちょっと愚痴を吐き出すのもいいんじゃないかしら?」

朱美の言葉に、由紀子は、そうアドバイスするが、朱美は、首を縦に振らなかった。

「じゃあ、朱美ちゃんは何が欲しいの?」

と、由紀子は朱美に聞いてみる。

「そうねえ。」

朱美は、はあとため息をついた。

「まず初めに、あたしは、これからあの子たちを食べさせるために、働きにいかなきゃいけないし。その間に、保育園にも連れて行かないで、家の中に子供を閉じ込めておくなんて、冷たすぎるって妹が言うから、とりあえず、子どもをどっかで預かってもらいたいわ。保育園には何回もお願いしたけど、悉く、定員がいっぱいでだめですって、追い出されてばっかりだから。」

そうか、それが彼女の切実な望みか。由紀子は結婚したわけではないが、保育園の数の少なさは、一寸疑問に感じている。公立の保育園は、少子化の影響で次々に閉鎖されており、民間の企業に委託されている。それに、ひとつの保育園に入るにしても、保育園はだんだんに小規模化しており、定員もだんだん少なくなっている、と、富士市の広報などに書いてあった気がする。こういう待機児童もいるのに、なんだかお役所は何をやっているのだろうと、由紀子は疑問に思わないわけではなかった。その代わりに、お役所は、高齢者の施設ばかり作っていて、こういう保育園まで、手が回らないというように、由紀子には見えるのだが、、、。

「そう、大変な目にあったのね。」

由紀子はそれだけ言った。

「由紀子、なにか知らない?駅の中で誰かが会話していたとかそういう事でもいいわ。ちょっとでもいいから、とにかく子供たちを預かってくれるところを、教えてよ。」

そういう彼女の顔は真剣で、決して嘘も偽りもなく、困っているんだなとわかった。

「あたし、今、夜の仕事してるんだ。そうしなきゃ、子どもたちの生活費が賄えないのよ。だから、出来れば夜も見てほしいなあと思うんだけど、そういうところに電話かけても、やっぱり、だめだったわ。看護師とか、介護関係の人が、みんな分捕っちゃうのよ。まあ、確かにそういう人は忙しいのは分かるんだけど。」

確かにそれはそうだ。もし、育児を手伝ってくれる人がいてくれれば、また違うんだろう。しかし、今は他人の手を借りずに暮らせるツールはいろいろあるのに、育児に対しては、そういう便利な道具は何もない、というのが、現状である。

「そうなのね。でもあたしは知らないわよ。結婚もしてないし、子どもを預かってくれるところ何て。」

由紀子は正直に答えた。

「そんなに保育園を断られたの?それは何か理由があるんじゃないの?」

「ええ、そうね。うちの子、ちょっとほかの子と違って、外で遊ぼうとかそういうことしないから、だからなのかもね。」

朱美は、半分泣きながら言った。

「でも、そんなことしてたら、あたしいつまでたっても働きに行けないじゃないの。そうしたら、あたしは、どうしたらいいものか。」

「朱美ちゃん、そんなに困っているの?」

由紀子は由紀子で、答えが見つからないなりに考えている。ちょっと、このまままでは、彼女がかわいそうな気がした。

「由紀子は良いわね、そういう事が言えて。」

しまいには、自分のほうまで、攻撃されるのではないかと、由紀子はちょっと怖くなって、なにか答えを出さなければと思う。

「じゃあ、一寸年齢が若すぎるかもしれないけど、あたしが知っている、施設で預かってもらえば?」

「そんなところあるの?」

朱美は、そう聞いた。

「ええ。施設と言っても、ただ、居場所のない人たちが、寝泊まりする場所なんだけど。そこへ行ってみたらどう?まあ、そこでも受理されるかどうかは、あたしも知らないわよ。でも、事情があって、どうしても預けたいと言えば、また違うんじゃないかしら。」

由紀子はそこの施設の名前をいう事ができなかったが、朱美は何か感じ取ってくれたようだ。

「乳児院、みたいなところかしら?」

「いいえ、違うわ。そういう矯正施設みたいな雰囲気は全くないし、皆、社会とか学校とかで、躓いた人ばかりだから、好意的に接してくれる人が多いと思うわよ。」

由紀子がそういうと、朱美は嬉しそうな顔をした。

「どこにあるのよ。本当にあたし、逼迫してるから、すぐに預かってもらいたいの。」

「ええ、大渕よ。ここからだと、一寸遠いわね。」

ここで、朱美は、一寸落ち込むかなあと思った。大渕と言えば、決して気軽に足を延ばせる距離ではないと思う。

「わかったわ。とりあえず、そこにコンタクト取ってみる。グーグルか何かに載っている?」

「いえ、どこにもないわよ。ただ、口コミで、入りたい人がくるみたい。」

由紀子は手帳を取り出して、製鉄所の電話番号を書いて、そのページを破り、朱美に渡した。

「ありがとう!持つべきものは友達ねえ。由紀子ちゃん、本当に助かったわ!」

そういう朱美は、ほんとうに嬉しそうだった。朱美ちゃん、そんなに悩んでいたのね、と由紀子は、ちょっと後ろめたく感じる。

「じゃあ、ここへ電話してみて。多分、あんまり期待しないほうがいいんじゃないかと思うけど、一応今西由紀子の紹介と言えば、とおしてくれるかも知れない。」

由紀子は、そこまで喜ぶ朱美に、ちょっと申し訳ないことをしたなと思う。

「由紀子ちゃん。有難う。本当に助かるわ。由紀子に相談して本当に良かった。」

「まあ、あんまり期待しないで頂戴ね。」

とりあえず、由紀子は其れだけ言っておく。

後は野となれ山となれ、と自分もそう思ってしまっていた。


数日後。製鉄所に妙な客がやってきた。名前を山口朱美という女性で、あかりと友美という小さな子供を連れている。

とりあえず、製鉄所の主宰者である、青柳懍は、困った顔をして、彼女たちを応接室に通した。手伝い人として、製鉄所に来ていたブッチャーは、大変心配そうな顔をしていた。

「で、用件は何でしょう。」

懍は、白髪交じりの髪を少しかじって、そんなことを言った。

「ええ、とにかく、この子達を、一月ばかり預かってもらいたいんです。あたしは、仕事があって、どうしても、それをしないと、生活がままならないものですから、、、。」

と、朱美は、もう一回頭を下げた。

「そうですか。一体どうしてうちを知ったんでしょうか?」

「ええ。ここでお世話になっている、今西由紀子の紹介で知りました。」

朱美が「切り札」としてその言葉を言うと、

「由紀子さんがそういうことを言ったんでしょうかね。」

と、ブッチャーが、変な顔をして、そういうのである。

「でも、由紀子さんは、ここなら、預かってくれるって、そういってました。本当に、生活に困窮していて、でも、妹からは、この子たちをほったらかしにして、何をやっているんだって、叱責されるばかりだし。」

という彼女に、ブッチャーは、朱美が少し可哀そうになった。確かに、自分も精神障害のある姉を持っているけれど、早く親のありがたみをわからせろとか、そういう無神経な発言を、近所の人は平気で言う。時には怪しい宗教の話を持ち掛けて来ることもある。そういう事は、ブッチャーもよく経験しているので、彼女の気持ちがわからないわけでも無い。

「そうですね。確かにそういう事もありますよね。まあ、小さな子供さんであっても、利用者たちには、いい勉強になるかもしれない。ただ、ここには規則がありまして、ここを終の棲家にしないという事だけは、守ってください。つまり、子供さんをここに置き去りにしないでという事です。」

と、言う青柳先生に、

「わかりました。約束は守ります。預かってくれるだけでも、本当に助かります。」

と、朱美は、もう一度頭を下げた。

「ええ、それでは、宜しくお願いします。お願いなのですが、必ず連れて帰ってくださいね。それだけは、お願いしますよ。」

青柳先生も朱美の必死な懇願に、負けてしまったらしい。そういうところは、青柳先生、ずいぶん年を取ったなあと、ブッチャーも思った。

「先生、水穂さんどうするんです?」

ブッチャーは青柳先生の前で呟くと、

「いいえ、それだって、子供さんの前では、立派な社会勉強になりますよ。」

青柳先生は、にこやかに言うのだった。こういう、すぐに事実を動かすことができるのは、やっぱり青柳先生ならではだなあと、ブッチャーは思うのである。

「じゃあ、すみません。この子達をよろしくお願いします。」

と、朱美は、そういって、やっと助かったという顔をして、一礼し、そそくさと応接室を出て行った。お母ちゃん、と小さい友美はその姿を追ったが、姉のあかりが、それを止めた。ブッチャーはその姿を見て可哀そうになり、

「ほら、ここが君たちのお家だよ。」

と優しく言ってあげた。青柳先生が、ブッチャーに、空き部屋のカギを渡し、二人をここで寝起きさせるようにという。ブッチャーは分かりましたと言って、二人をその部屋に連れて行った。南京錠を開けてやると、何だか小さな子供さんには広すぎる部屋だなと思われる、広い部屋が現れた。

「わーい、うれしーい!」

二人の女の子たちはそういうことを言っている。きっとこんな広い部屋に住めるなんて、夢みたい!とでも言いたいんだろう。

「まあ、この部屋、すきなように使ってな。ご飯は、弁当屋さんが持ってきてくれるから、それを食べてな。」

ブッチャーがそういうと、姉のあかりちゃんは、はい、とにこやかに言った。妹の友美は、まだ落ち込んでいるようであったが、

「友美ちゃんだっけ。ほんとにここは、おうちへ帰ってきたのと同じように、楽しく過ごせばいいんだぞ。」

と、ブッチャーが優しく言ってやると、

「おじちゃん、ありがとう!」

と言って、にこやかに笑った。その顔を見て、ブッチャーは、おじさんと言われても、何も気にならなかった。


とりあえず、小さな子供が、製鉄所に寝泊まりすることになったので、ブッチャーも暫く製鉄所にいることにした。姉のあかりちゃんがしっかりしているとはいえ、まだ、五歳なので、自分もそばについたほうがいいと思った。

「よーし、二人とも。ゴム飛びやろうか。それとも、チャンバラでもやるか?」

と、ブッチャーは、子どものころにしてもらった遊びを思い出して、こういってみる。

「ゴム跳びってなあに?」

あかりちゃんがそういうことを聞くと、

「うん、歌に合わせてな、紐を跳ぶんだ。今からおじさんがお手本を見せてやるから、ちょっと待ってろ。」

ブッチャーは、裁縫箱から、長いゴムを出し、それを庭に生えているイタリアカサマツの木に結び付ける。

「こういう風に、跳ぶんだ。ちょっとゴムの先っぽをもってくれるか?」

あかりちゃんは、二本のゴムの端を持った。

「いいか。よく見てろ、もーもたろさん、ももたろさん。おこしに付けた黍団子、一つ私にくださいな。」

ブッチャーは、そう歌いながら、ぴょんぴょんとゴムの上を跳んだ。

「面白そう!あたしもやってみる。」

というあかりちゃんは、ブッチャーに、ゴムの端を持たせ、ブッチャーの指定した位置につく。ブッチャーが、

「もーもたろさん、ももたろさん、おこしに付けた黍団子、一つ私にくださいな。」

と歌いだすと、あかりちゃんは、ぴょんぴょんと、ゴムの上を跳んだ。それを真似て、友美ちゃんも跳び始めた。なんだか大昔の遊びで、面白くないのかとブッチャーは思っていたが、彼女たちが、そんなに楽しそうにやっているのが、何だか意外だなと思った。

「おじちゃん、もう一回歌ってよ。」

と、あかりちゃんがせがむので、ブッチャーはにこやかに笑って、

「じゃあ、次は二番だな。」

と言い、

「やーりましょう、やりましょう、これから島へ鬼退治、家来になるならやりましょう。」

と、歌った。また、ぴょんぴょんとゴムの上を跳ぶ二人。そんなにゴム跳びは楽しかったのだろうか?

不意に、四畳半のふすまが開いた。それが開くのを見て、彼女たちは、びっくりしてしまったようだ。

「ブッチャーさんどうしたんですか?」

と、水穂さんが布団に寝たまま、弱弱しく声をかける。あかりちゃんと友美ちゃんは、ここまでげっそりやせた人を初めて見たらしく、緊張してしまっているようであるが、

「綺麗な人。」

と、あかりちゃんが一言言った。

「ああ、すみません、水穂さん、おこしてしまって。いま、由紀子さんの知り合いに頼まれて、この二人の子たちを預かってるんですよ。」

ブッチャーが説明すると、水穂は、何かわけがあるんだなと感づいてくれたようだ。

「そう、なら、皆のいう事よく聞いて、楽しく過ごしてね。」

水穂がにこやかに笑うと、二人も笑い返した。水穂は、よろよろと起き上がり、枕元にあった財布を取って、ブッチャーに、悪いけど焼き芋買ってきて、といった。ブッチャーは、其れなら芋切干をあげます、と言って、台所に行って、芋切干を持ってきた。

「なあに?お菓子?」

あかりちゃんがそういう前に、友美ちゃんは、もうブッチャーから渡された、芋切干にかぶりついている。

「おいしーい!」

「其れならよかった。」

そうやって、楽しそうに芋切干を食べている二人を見て、水穂さんもこの二人のおかげで、回復に向かってくれるかな、と、ブッチャーは、ちょっと期待したのであった。





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