田園詩曲

増田朋美

第一章

田園詩曲

第一章

その日はことのほか穏やかな日で、なぜかのんびりしていて、いつも通りの朝を迎えていた。始めよければすべてよしで、今日も1日よい1日になるはずであった。しかし、何気なく、テレビのスイッチをいれた今西由紀子は、アナウンサーの言葉を聞いて、目のたまが飛び出すほど驚いた。

「昨日の夕方、長女で五歳のあかりちゃんと、次女で三歳の友美ちゃんを殺害したとして、母親でホステスをしていた、山口朱美容疑者が逮捕されました。山口容疑者は、殺害の動機を、二人の子供たちが、生活の邪魔になったために、殺害したと供述しています。」

ああ、やっぱりな。と、由紀子は思った。

そういえば、あの三人は、吉原駅でみかけたことがある。決して楽しい親子関係という感じではなかった。それよりも、なんだか虚しくて、ちょっと変な感じのする親子関係だと思った。

「あたしは、あの子達を殺したのかしら。」

そんな思いが、彼女の頭のなかを渦巻く。

もし、あの二人の子供たちが、少し様子が変だと気がついてやっていれば、こんなことにはならなかったかも知れない。

そんなことを考えながら、由紀子は吉原駅に出勤した。なんだか、駅員さん、上の空で働いているぞ、なんて、乗客に言われているのも気がつかなかった。

その時も、一時間に二本しか走ってこないローカル線を見送って、しばらくぼんやりしていると、

「由紀子ちゃんだね。」

と、にこやかな顔をして、一人の男性が、彼女に声をかけた。

「あ、檜山先生。」

由紀子もその人が誰だか知っている。蘭のお母さんのお兄さんにあたる、檜山喜恵おじさんだ。ただ、作家という、喜恵おじさんの性質上、檜山先生と呼ばなければならないのだが。

「どうしたの、そんなかおして。」

「え、いや、大したことありません。」

わざとらしく、明るく振る舞うが、喜恵おじさんの目はするどかった。まさしく、こういうところこそ、作家の目というべきだろう。

「そうか。溜め込んでおくのはよくないよ。なんでも聞いてあげるから、話してごらん。」

おじさんは、そういうことをいった。そういうところが、やっぱり他の人とは違うところだとおもう。

「すぐに話しておかないと、ストレスがたまっておかしくなっちゃうよ。」

「そうねえ。あの、テレビのニュースで、小さな女の子二人が、殺害された事件があったじゃないですか。あたし、あの事件の犯人と、言葉を交わしたことがあったんです。」

「へえ、いつ?」

「一月くらい前だったとおもいます。その女性が、この駅に来て、私、切符の受け渡しをしました。そのときに、彼女が、育児に悩んでいるとは思えませんでした。こんな事件になっちゃうなんて、」

由紀子は、思わずぽろんと涙をこぼした。

「また、時間をつくって、ゆっくりはなそうか。」

喜恵おじさんは言った。

「どこかのカフェでも行って、お互いお話しよう。」

「そうですね。」

由紀子は、喜恵おじさんの指示にしたがってしまうことにした。

「じゃあ、よろしくな。」

「はい。」

喜恵おじさんの連絡先は由紀子も知っていたので、とりあえず其れで別れる。なぜか、安心した気持ちになってしまう由紀子だった。

そしてその数日後。由紀子は喜恵おじさんから指示を受け、指定された飲食店に行った。店は小さな和食屋で、あまり人もいないし、近くでカウンセリングのようなことをやっている客がいるので、長居をしてもかまわないような店である。

「それでは、由紀子ちゃんの思っていることを話してごらんよ。おじさん、誰にも言わなないから、初めから、終わりまで、隠さずに話してごらん。」

おじさんは、にこやかに話した。

「ええ、先生も、こないだ、女の子二人を殺害したとして、母親が逮捕された事件を知っていますよね。あたし、その女の人を、駅で迎えたことがあって。その時は、とても、そんなことをするような子ではないと思っていたんですが、まさか、彼女が逮捕されるとは。」

と、話し始める由紀子に、おじさんは、

「そうか、あの山口朱美ね。彼女と君は、どういう関係だったのかな?」

と聞いた。

「ええ。彼女とは、丁度JRに入社した時同期でした。でも、結婚したとか言って、すぐにやめていきましたけどね。」

由紀子はすぐに彼女との関係を話してみる。

「そうか。一度か二度、かかわりがあるとなると、そういうことはつらいな。」

「ええ。」

そうだった。由紀子は、朱美が自分の家に訪ねてきたのをまだ覚えていた。その時はすごく明るくて、楽しそうという感じだったような気がする。

「朱美は、私が、富士市に引っ越したとSNSに書き込んだことで知ったみたいで、私のアパートに、来てくれたんです。」

そう、確かにそうだった。岳南鉄道に入社し始めた、間もなくのころの事だ。


「由紀子!」

急に家のチャイムがピンポーンとなったので、由紀子は急いでカギを開けた。

「富士市に引っ越してきたって聞いたから、来てみたのよ。住所は、SNSに乗っていたから、それで割り出してきちゃった。ごめんね。」

朱美は、にこやかに笑って、そういうことを言った。

「まあ。あたしとは、たいして親しくしたことなかったはずなのに。」

と、由紀子が言うと、

「ええ。そうだけど、由紀子が、国鉄やめて、こっちに就職したって聞いたもんだから、お祝いに来させてもらったのよ。」

と、朱美は、ちょっとお邪魔しますと言って、由紀子のアパートの中へ入ってきた。

「実はあたしも、結婚して、こっちに来たの。知っている人は誰もいないし、親も近くにいないけどさ。でも、楽しくやらせてもらってるわよ。」

由紀子が、とりあえず彼女をテーブルに座らせて、お茶を出すと、朱美はそういうことを言い始めた。

「由紀子も国鉄やめたのは、まさか結婚で?」

「違うわ。できたら本望だけどあたしにはできない相手よ。」

由紀子がそういうと、朱美は、カラカラと笑った。

「まあ、由紀子らしいわ。で、その人のそばに居たくて、こっちに来ちゃったという訳か。」

由紀子は、頭を垂れて黙る。

「まあ、図星かしら。でも由紀子、ヤッパリね、女の子は、恋愛くらいしたほうがいいわよ。勿論結婚に至るかといったらまた別よ。でも、ヤッパリ、一生独りぼっちなんて寂しいじゃないの。で、その人はどんな人?誰か俳優にでも似てるの?」

黙ってしまった由紀子を見て、朱美は、あら、朱くなったと、にこやかに笑った。

「芸能人というか、何だろう。あたしには手が届かない人だわ。あたしと付き合って何て、口が裂けても言えない。」

由紀子はそう答えると、

「全く。其れだから由紀子は内気だって言われるのよ。もっと大胆にならなくちゃ。で、その人とはどこで知り合ったのよ?合コンでもした?」

と、朱美は、笑って答えた。

「いいえ、そういうところは参加したこと一度もないわ。久留里駅に勤めていた時に、電車に乗ってきてくれたの。」

「へえ。それで、すきになっちゃったの?へえ、由紀子も、そういう大胆なところがあったのか。つまるところ、ひとめぼれして、一瞬で忘れられないようになっちゃったという訳ね。」

朱美は、由紀子を見てそういった。

「由紀子ちゃん、それで国鉄やめて、岳南鉄道に就職したのか。で、その人と、結婚とか考えているの?」

「あたしねエ。今のままでいいのよ。今のまま、その人が住んでいるところと、おんなじところに住んでいられればそれで、十分よ。」

「なんで?ちゃんと好きだってアタックしなさいよ。久留里駅何て、年寄りばっかりの駅に、そうやって現れてくれたんだから。しっかり気持ちを伝えなきゃダメ。放置して置いたら、また誰かが現れて、盗られちゃうかも知れないわよ。」

朱美は、そういうことをいう由紀子に、

「恋愛のテクニックだったら、教えてあげるから。ちゃんと告白して、結婚までこぎつけて。」

と、彼女を諭すように言った。

「あたしなんか、大好きな彼と結婚してさ。子供も二人できて、今は幸せよ。まあ、ぜんぜん知らない富士市っていうところにきて、初めは東京に比べると、すごい田舎だなあと思ったけどね。なんだかのんびりしていて、あたしには、暮らしやすいのかもしれない。だから、このままここで暮らすつもりなんだ。東京には帰らないでね。」

「いいわね。朱美さんは。そうやって、すきなひとと無事に結ばれたんだから。あたしなんて、すきなひとを追っかけてここまで来たけど、もう盗られている感じだし。」

由紀子は、現状をとりあえず言ってみた。

「由紀子ちゃん。ライバルがいるんだったら、余計に自分のほうが良いってことをアピール、アピール!」

そう言われても、由紀子には返答のしようがない。

「由紀子ちゃんは、出番が遅いのよ。国鉄をやめて、田舎電車に就職しなおしたといいうことを、上手くアピールして、その人、ライバルから盗っちゃいなさい!」

「無理無理。あたしは、出来そうもない。其れより、朱美さんの幸せがいつまでも続いてくれればいいのになと思うわ。」

由紀子がそういうと、朱美は、全くだめね、由紀子ちゃんは、と半分わらって、お茶を飲み干した。

「それでは、あたし、子どもたちが待っているから、もう帰るわ。」

そういう節度はちゃんとわきまえているらしい。

「また来るわね。今日は有難う。」

と言って、にこやかに笑い、外へ出ていった朱美は、何だかずいぶん変わってしまったというか、お母さんになってしまったんだなという気がしないわけでも無かった。先を越されたというわけではないが、女であれば、一度や二度は、すきな人と一緒になりたいという気持ちもわいてくる事だろう。それを先に誰かが達成してしまうと、何となく、自分もそうなりたいなと思ってしまうのである。

「あたしのすきな人は、もうとっくに盗られているからなあ。」

と、由紀子はふっとため息をついた。もし、水穂さんと結婚して家庭でも持つことができたら、それに越したことはない。でも、そういうことはできないだろう。水穂さんは、重い病気と生活していて、其れが恋人のようになってしまっている。

確かに国鉄、JRは退職して、岳南鉄道に就職したのは確かなのだが、それは水穂さんを自分のものにするとか、そういうつもりではなかった。ただ、すきになった水穂さんの住んでいる街に自分もいたかったのだ。それだけでよかった。水穂さんの住んでいる町は、自分が働いていた、久留里駅よりも、電車の本数が多くて、駅前商店街もあって、大きなショッピングモールもあって、なおかつ日本のシンボルである富士山が、住民を守ってくれているような、そんな街。それだけでも、由紀子は、十分だったし、そこに一緒に居させてくれれば其れで良い。其れだけで良い。由紀子はそう思っていた。


その数日後、山口朱美は、葬儀場に居た。

「とんだ災難でしたわね。ご愁傷様です。」

そう言ってくる、夫の親戚たちが、なんだか煩わしく見えてしまうのはなぜだろう。

「ええ、すみません。全く、他人の子を助けようとして、川に落ちるなんて、全く、困った人ですね。」

朱美の夫は、確か海外に英語教師として赴任していた。今こちらの日本では冬なのだが、夫の赴任していたところは南半球で、現在は真夏であった。日本ではあまり大々的に放送されたことはないが、夫の赴任していた国家で、ものすごい大嵐があり、日本で言ったら特別警報が出てしまうような大雨が、三日連続で降ったという。その時、小さな子供が足を滑らせて川に落ち、たまたま通りかかった夫が、そこに飛び込んで、彼を助けようとして、逆に流されてしまったのだった。その時救出された子どもは助かったが、夫は遺体で見つかって、黙ったまま日本へ帰って来たのである。

取り合えず、葬儀なるものはすべて終わって、朱美は、夫の妹である菊代さんが待っている、自宅へ帰った。

「お姉さんお帰りなさい。」

家に入ると菊代が朱美に言った。

「ああ、どうも。」

「どうもじゃないわよ。お姉さん、あかりちゃんと友美ちゃん、ちゃんと見てる?」

菊代はそんなことを言いだした。一体何を言い出すのかと思ったら、こんなお説教を始めたのである。

「あかりちゃんも友美ちゃんも、礼儀正しいのはいいんだけど、私が子供の国へ連れて言ったら、遊具を見ても、何をしたらいいかわからないような顔して、ぽかんとしてたわ。其れよりも、うちでゲームをしている方がよっぽどいいって顔して。」

「其れがどうしたの?」

と、朱美は、そういった。

「どうしたのじゃないわよ。お姉さん、子どもは、遊ぶのが当たり前なのよ。例えばさ、御飯事するとか、ブロックか何かするとか、お絵描きをするとか、そういう事。そういう事、あの二人、全くしようとしないで、テレビゲームばっかりしてる。暇さえあれば、テレビゲームだわ。ねえ、テレビばかり見せてれば、黙ってくれるから、いいや、とでも思ったりしてないでしょうね?」

菊代は、そういうことを言い出した。全く他人というものは、変なところに、目をつけたがるもので、それを倫理的によくないとか、変な風に注意する。

「ねえ、よく考えてよ。あかりちゃんも友美ちゃんも、テレビゲームだけ与えられても、嬉しいとは思わないわよ。其れよりも、お母さんである、お姉さんが、一緒になって遊んでやったほうが、よっぽどうれしいんじゃないかしら。ましてや、お兄ちゃんは、海外へ行って、もう帰ってこない人になっちゃったし。これからは、お姉ちゃんは、お父さんの代わりにもならなくちゃ。お姉さん、もうちょっと、あかりちゃんたちの事、シッカリ見てあげて。」

「何を言うの。私はこれでもしっかりやっているつもりよ。まあ、確かに父親が不在がちな家庭なのかも知れないけど、御蔭でモノには不自由しない生活をさせようと思ってるし、これからもそうしていくつもり。あかりにも友美にも、そうしていくつもりだから、もう、余計なこと言わないで。」

むきになって、そう言い返す朱美だが、菊代はまだ心配そうな顔をした。

「お姉さん、ものだけじゃ、あかりちゃんたちは満足しないわよ。そうじゃなくて、あかりちゃんたちの顔を見て話すとか、そういう風にして挙げて頂戴。せめて、あかりちゃんたちと話すときは、笑顔で話すようにして挙げてよ。ほら、前にそういう映画あったじゃないの。積み木崩しっていう。その人たちも、ものには不自由させないって、考えていたら、娘さんが不良になってしまったのよ。将来そうならないためには、あかりちゃんたちを子どものころに可愛がってあげるのが一番なの。だから、お願い、あかりちゃんたち、シッカリ愛して、可愛がってあげて。」

そういう菊代に、朱美は余計な事を言うなという顔をした。

「何よ。自分は子供を持ったことがない癖に。まだ、独身の分際でそういう事は言っていい、身分じゃないでしょう。其れなのに、あたしに八つ当たりしないで。」

「お姉さん、、、。」

菊代は、どうしてという顔をした。

「独身だからって、何を言ってもいけないかという事はないでしょう。だって、今のままだったら、あかりちゃんたちが可哀そうなのは目に見えてるわよ。誰かがどこかで変化を起こしてくれるのを待つのではなくて、言うべきことはちゃんというべきだって、思うから、あたしはお姉さんにそういったのよ。」

菊代は、教師という訳ではないが、英会話学校で講師をしている。子供の英会話スクールみたいなところで、生徒さんの中には、何人か幼児も混じっている。だから、そういうことを言うのだろう。なぜか、嫁いだ山口家は教育関係者が多い。朱美にとって舅になる、夫と菊代の父親も、長年高校で教鞭をとっていた。そういう職種だから、他人に注意をするのはなれているのかもしれないが。

「お姉さん、もう一回言うけど、あかりちゃんたちのこと、ちゃんと見てあげて。子供の国へ連れて行って、遊具で遊べないなんて、こんな可哀そうなことはないから。あかりちゃんも、友美ちゃんも、のびのびと遊んで、にこやかに過ごせるのが、一番うれしいんじゃないの。少なくとも、お兄ちゃんはそう言っていたと思うけど?」

そういう菊代に、朱美は思わず怒ってしまった。

「主人の事は言わないで!自分の子はほっぽらかしにして、海外まで行って、川に落ちた子を助けようとしてぽっくり何て、そんな生き方のどこが立派なの!あたし達の事は放置しっぱなし、子どもの事は私に任せきりで!自分勝手にもほどがあるわ!」

「お姉さん、そういう気持ちがあるんなら。」

と、菊代は静かに言った。

「其れなら、お姉さんがあかりちゃんたちを、なんとかするべきだと思うけど。」

「少なくとも、私はちゃんとやってる。あたしは生活費を稼ぐために、仕事もしているし、あかりたちにご飯だってちゃんとあげてるから!」

「そうかしらね。」

菊代は、ポツリと言った。

「其れは、本当に、ご飯と言えるかどうかも疑わしいわ。」

「何よ!」

朱美は、この妹が、なんだかお節介焼きなお年寄りに見えてきてしまうのだった。お年寄りたちは、みんなそういう。子供をもうちょっと、よく見てやれと。それが朱美にはうるさくてしかたない。そういう人って、自分の事は棚に上げて、他人だけ批判していると、朱美は、そう思っていた。

「それじゃあ、わたし、帰るけど、せめて今日は、あかりちゃんたちに、ちゃんと夕飯食べさせてやってね。」

「ご心配なく。今日は、払いの膳をたくさんもらってきたから、あの子たちにはちゃんと食べさせるわ。」

菊代はそう言うと、朱美は、ピシャンと払いのけた。菊代は、一つだけため息をついて、

「じゃあ、愛情をこめて食べさせてやって頂戴ね。」

と、だけ言い、しずかに姉の家を出て行った。

その日、朱美が食べさせたのは、払いの膳として出された、ご飯やエビフライ、鳥のから揚げなど、出来合いのものだけであった。


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