第13話 袁家の憂鬱 終焉

 記憶を持って蘇るというのは様々な悲喜劇を起こす。

 それは貴賎をとわない。

 豫州汝南郡汝陽県でもささやかながら、悲劇が起ころうとしていた。


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 前世の記憶が良に働く事もあれば悪に働くこともある。

 特に前世で怨みをかった人間にとってはやり直しの世界は地獄である。


 かつて中原の覇者として君臨した袁紹の3男 袁尚(あざな顕甫)が意識を取り戻した時、他の人間同様とまどっていた。


 自分は遠い北の地、遼東の公孫康に斬られ、死んだはずだった。


 ところが、どうだろう。懐かしい生家のベッドにもどっていたのだ。

 だが、袁尚の戸惑いは劉備や曹操の戸惑いとは少し違っていた。

「だぁ…だぁ…」

 紅葉の様に小さな手のひらをぎこちなく動かしながら、袁尚は何とか動こうともがくがそれは叶わなかった。


 何故なら


『生まれ落ちるのは地獄の始まりだとすれば、早く終わった方が良いのだろうか?』

 袁尚は自問自答し、あせっていた。


 生前は袁紹の跡継ぎと目されていた袁尚。

 あの頃は青年だった自分が今赤ん坊である。ろくに動けもせず泣くことしかできない。


 しかし奴は違う。



「顕甫!ひさしぶりだな!」


 上気した顔で長兄であり生前もっとも憎悪し合っていた男、袁譚(顕思)が部屋に入って来た。

 父が死んでからは父の仇である曹操よりも争った事の方が多い血を分けた兄弟。

 まだ10歳にも満たない少年は目に狂気を宿らせて近づいてくる。

「顕思様!危ないですから刀をお納めください!」

 そう後ろから追いかけてきた従者を袁譚は「うるさい!貴様に何が分かる!」と蹴り飛ばすと袁尚に向き直り、壮絶な笑みを浮かべて刀を翻した。

「お前さえいなければ良かったのだ!お前みたいな顔しか誇れるものがない無能が兵権を握ったせいで!俺は曹操ごときに従って討たれたのだ!」

 それはお前がそう思っているだけだろう!

 そう言いたかったが、あいにくと言葉が出ない。赤子の身では、ただただ大声で泣くのが精いっぱいだ。

 白刃がきらりと輝くと顔に灼熱のような痛みが走る。

「どうだ!これでお前の顔なぞ誰も魅力を感じない!お前が袁家の跡をつぐ可能性などこれっぽっちもなくなったのだ!」

 積年の恨みを晴らすかの如く、少年は赤子の顔を無残に切り刻んでいく。

 父親の袁将が愛した美しい顔。それが赤い血で染められ数十本の線が無残にも刻まれていく。

 意識は大人のものなのに体がそれについてこない。たった数年先に生まれてきたというだけなのに、生前の記憶があるというだけでここまで理不尽な暴力を受けなければならない蘇りに袁尚は朦朧とする意識の中、神を呪った。

 前世で斬られた首の痛みなど、まだまだ手ぬるい痛みを無力な赤子の姿で受けるとは思いもしなかった。

 もういっそ殺してくれ、と思った。

 その時、袁譚の背後で「顕思。何をしておる」と冷たい声が聞こえる。


 袁紹本初。

 彼らの父にして一代で中原の勢力を糾合した男である。

 


「そうか…」というと袁紹は腰に帯びていた剣を抜き放った。

 途端に袁譚の胸元から鮮血が零れ落ちる。

「…父……上……?」

「孟徳の策に踊らされたそうだな。情けない。貴様のような役立たずはおらんで結構」

 冷酷なまでに淡々とした声で袁紹は息子を見下ろしていた。

 これであの無能な兄は滅びた。ざまあみろ。と思っていると袁紹は柱の方を向き直り「顕奕よ」と言った。

 袁熙顕奕。二兄であり袁家の家督相続から外れていた男である。

 どうやら彼は柱の陰からあの無能の凶行をずっと眺めていたようだ。

 物静かで臆病者のあの男らしい。

 そんな軟弱者を父 袁紹は厳しい目で咎める。


「貴様は争いはしなかったが兄弟の争いを止める事もできなかったそうだな?」

「は、はい」

 まだ3歳になったばかりの次兄は体をがくがくと震わせて柱にすがりつきながら答えた。

「情けないやつめ。そこいらの一兵卒と貴様では何の違いがあると言うのだ」

 そう言われて袁熙兄は死を覚悟したのかガタガタ震えて口もきけない。

 袁紹は ふう とため息をつくと「次の後継者が決まるまでは、その命ながらえさせておこう。だが我が輩の跡はもっと優秀なものが継ぐ」と言った。

『そうだ!父上!袁家は私こそが相応しいのだ!』

 袁尚は我が意を得たりと笑いだす。だが父はそんな息子を惜しそうに眺めて言った。


「顕甫よ…お前ももう少し才能があればワシの考えも変わったのだが…」


『は?何を言いだすのだ?』

 袁尚は耳を疑った。


 もう少し才能があれば?


 あれは見苦しい兄のせいで失敗したのだ。

 父上がもっと早く跡継ぎを宣言していればこんな事にはならなかったのだ。と忌々しい顔で父を見上げる。そんな袁尚に父は

「割れた器は二度と戻らぬ。ワシの愛した顕甫も二度と戻らぬ。次の子供に期待しよう」

 そういうと袁紹は家臣に命じて毒を用意させた。




 何事も無かったかのように部屋はかたずいた。4人いた部屋に残ったのは2人だけだ。突然の凶行に袁家の家人は驚く中、袁紹は高々と宣言した。

「もしも何事かあれば熙に跡を継がせる!だが他に息子が生まれた暁にはその子供を後継とする!」

 その言葉に袁熙はコクコクと何度も頭を上下させた。こうして袁紹は後継者問題を片づけた。


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 リバースの設定を思いついて考えてたら兄弟の仲が悪いと、この時点で詰む家と言うのも結構ありますなぁと気がつきました。

 魏の曹丕は自分よりも優秀だった弟が死んだときに父親の曹操から

「この子の死はワシにとって悲しい事だが、お前にとっては良い事だ」などという血も涙もない言葉を言われています。

 また孫権も兄の孫策の跡を継ぎますが孫策の一族のその後は余り語られません。

 天国と言うのは有るかは不明ですが、二度目のやり直しがある世界の場合、彼らの生き方はもう少し変わったでしょうか?



 袁紹の一族は生年が不明な人物が多いですが本作リバースでは

 曹操の年齢から袁紹は154年生まれ、長男袁譚は178年、次男袁熙が180年、末子の袁尚は182年の生まれと設定します。


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