第6話 あしなが曹嵩さん
タイトルは不評なら、変更します。
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五万の大軍を前に官軍は恐れおののいた。
以前は曹操という希代の用兵家が軍を率いていたが今は違う。将来自分は大将軍となったと主張する男と無名の人間、それにどこから来たのか2人の男がいるだけだ。
己の十倍もする賊を前に悠々たる態度で惇はたたずんでいた。
やがて両軍が対峙すると
「よく来た!我が愛すべき民よ!黄巾の男たちよ!」
と惇は叫ぶ。
「諸君たちの困窮は我が輩も理解している!民を養えない主は主としての資格を持たない!」
官軍の大将とは思えない物言いに賊たちは互いに顔を見合わせる。
「そこで我が軍では屯田によって諸君等を養おう!」
その言葉に本年中に死亡した黄巾賊たちは顔を見合わせる。
「屯田とは土地と道具と種の貸与だ!我々は諸君に牛を貸す。種を貸す。土地を貸す。その対価として、とれた作物の半分を納める!この待遇で諸君等を迎えよう!」
その言葉に賊からざわめきが起こる。
半分の税というと高額に聞こえるが、当時非常に高価だった牛を貸与されるこの制度は破格の待遇だった。
「本来なら諸君にはそのままの格好で我が軍に編入したい。だが、それでは反逆者と区別が付かない。ゆえに黄巾を頭ではなく腕につけてほしい。そうすれば我が軍は諸君等を迎えよう!」と言った。
これにより賊の動きが止まった。
賊は人数は多いが食料は少ない難民のような集団だ。
略奪で食料が奪えれば良いが失敗すれば最悪である。
またこの反乱に参加した人間のほとんどは一年中に死んでいる。
失敗した連中だ。
ここで戦いに勝利しても先の見通しが立たない。
惇にとって幸運だったのは『この反乱は失敗した』と知っている人間が少なくなかった事だ。
大将軍という肩書きを持った人間を信用できなくもないが、それ以上に頼れる人間を欲する心の方が勝っていた。
数人は頭巾を脱いで腕につけた。
そうなると仲間同士での争いが始まった。罵りあいから粗末な剣や農具で互いに斬りあいに発展だ。
この状況を見て惇は言った。
「孫子にいう、囲師には必ず欠く。と」
「敵を囲む際には必ず包囲を欠いて必ず逃げ場を用意しておかないと、必死になって戦ってくる。という事だな」
「うむ。戦う事以外の選択肢を与えられると人間は迷うものだ」
これと逆のパターンが背水の陣である。
逃げ場がないと人間は戦うしかないと覚悟を決める。
だが逃げ道が用意されていると人間は余力を残す。よけいなことを考える。戦いから思考が抜けてしまう。
「そもそも、連中が反乱を起こすのは悪政によって飯が食えないからだ。将来も生きていけるか不安なのだ」
特に富裕層は自分の権利を守るために自分の土地と食料を独り占めする。故に食料をまかなえない人間は困窮し法を犯して奪う。このような犯罪に手を染めるのは政治のしくみに欠陥があるからだ。
逆に曹操が天下をとれたのも食料を確保し民を食わせることには成功したためだ。失敗した菫卓は反乱が続き、兵士は略奪に走り、理想を共にした仲間から裏ぎられ殺害された。
そこで「安定した生活」という第一の逃げ道を用意した。そして頭巾を脱げば味方と告げる事で同士討ちまで誘発できた。こうなるといくら数が多くても戦うどころではない。
「よし!では伏兵を出せ!」
そう言うと賊の左右から数万の旗が揚がる。
住民に協力してもらい一人10本の旗を立てた上げ底の旗、見せかけの兵士である。住民の多くも戦乱で死んだため、惇の指示に喜んで従った。
そうとは知らない賊はこれを見て怯える。
もはや戦う前から逃げ腰である。
賊には戦うための信念はない。弱い相手を見定めて奪うときは威勢が良いが、負け戦となればすぐ逃げ出す。
自分よりも敵が多いと見て、多くの兵士が戦意を失った。
「何故だ?この町には数千の兵しかいないのではなかったのか!」
そう言いながら頭巾を被った賊は逃げだし、その背中に次々と矢が射られ、殺された。
こうなるとたかが百名の兵でも大群に見える。
運良く逃げられた賊も次々と現れる少数の伏兵と騎兵におびえ、散々打ち破られ、軍の形をなくして逃げ出した。
あとに残った人民は武器を捨て降参である。
賊はろくに教育も受けておらず純朴だ。
「こんなに多くの兵をかくしていたとは夏候将軍は鬼神のごときお方である」と言い合った。
こうして戦いは終わった。
およそ2万の軍勢を手に入れた惇は満足げに民を見渡した。
「しかし惇兄、こいつらをどうやって養うんだ?」
「淵、こいつらではない、彼らだ。礼節は守れ」
そういうと惇は泰然と、とある屋敷を指さした。
広大な土地に広い屋敷と贅沢な石が並べられた庭がある邸。そこに二人が入ると中年の男性が出迎えた。
「おお!惇かね!久しぶりだなぁ!」
そういったのは曹操の父、曹嵩である。
宦官の養子となった夏候一族の一人。当然二人は面識があった。
「どうしたのだ?急に」
「実はこの土地に賊が攻めてきました」
「なんだと!!!」
曹操の父は前世で盗賊のせいで殺された事になっている。
一説では、父が徐州に避難していたときに、曹操率いる青州兵が略奪のために徐州を攻めたので報復に殺されたという説もあるが、この話の場合、賊に殺された事にしておこう。
「たたたた大変ではないか!」
うろたえる曹嵩。だが、惇は
「ご安心ください、叔父上。賊は曹操の指示により、私が半分は鎮圧、半分は恭順させました」
その言葉に曹嵩はほっとする。
「ですが、恭順した彼らを養うために畑と食料が必要なのです」
「ああ、なるほど?それで、その畑とはどこにあるのかね?」
「ここです」
「は?」
そういうと屋敷に官軍がなだれ込み、広大な曹嵩の館の庭石を撤去していく。
曹嵩の庭がみるみる内に耕され、畑となっていく。
「なななななな!!!!!なにをしておるのか!」
「屯田です」
「屯田?」
「兵士が辺境でも戦えるように、戦場で畑を耕し食料を生産する。飢饉に備えた生産方式です」
そんな事は聞いてない。と言おうとしたが塀を破壊する兵士の声に潰れて聞こえない。
「おい兄貴。良いのか、これ?おじさんの家だろ?」
「仕方ないだろ、なにしろ我が輩は息子直々に「後を頼む」といわれたのだから」
頼まれた以上はいかなる手を使ってでも任務は全うしなければならないからな。あー、おじさんには申し訳ないけど仕方がないよな。頼まれたのだから。本当に申し訳ないな。孟徳から頼まれたのだからな。
と、ぜんぜん申し訳なさそうに言い放つ惇をみて淵は「惇兄を怒らせるとここまで怖いのだな」と思ったものである。
「わ…ワシの屋敷が…」
贅をこらして作り上げた庭園は、どこからどう見ても畑にしか見えなくなっている。
収穫の半分が税金となるが、畑には牛が貸し出され種まで貸与されるのが屯田である。
あちこちで曹嵩が所有していた牛が鋤を引っ張っている。そんな光景を呆然と見ている曹嵩に惇は言った。
「実は孟徳から彼の軍権とこれからの事を頼まれまして。前回は賊を討伐するだけでしたが、今度は養おうと思います」
青州兵と呼ばれる私兵団を手に入れて曹操は強くなった。それを惇は知っていた。
「そのために土地と食料を、孟徳の言いつけ通り『後を任《まるなげ》された』私が準備しないといけないのです」
そういうと、今度は食料庫から米が運び出された。
「黄巾の民よ!曹操の父である曹嵩様からの施しだ!」
――ちょっと待て!惇!おまえはなにを言っておるのだ!――
曹嵩はそう言いたかったが屋敷を取り囲む群衆の顔が、惇の言葉にぱあっと明るくなるのを見て、今更「飯はやらん」とはいえなかった。言えば殺される。
「ありがてえ!飯を食うのは3日ぶりだ!」
「うめえなぁ!米なんて食うのは4年ぶりじゃねぇか!」
粗末な粥を食べながら黄巾たちは歓喜の涙を流し、曹嵩に何度も礼を述べた。
「おまえ等、この食料を施したのは孟徳の父である。この恩は末代まで忘れるな!そして、この生活を守るためには賊からこの曹嵩殿と屋敷を守らねばならぬ!」
その言葉に黄巾の民の顔色が変わる。
彼らはか弱い人民として収奪された者たちである。
それが嫌で立ち上がった人間だ。
飢え死にから救ってくれた曹嵩を守らないと再び賊に逆戻りとなる。
「我ら貴方様のご恩は決して忘れません!この恩は必ずやお返しします!」
一人の元賊が言った。
「もしも賊が来たならば我ら武器を取って戦います」
と賊に紛れ込ませた兵が言う。
「曹嵩様をお守りするぞ!」
一人の頭目が叫ぶ。
すると、次々に呼応して曹嵩を守ると誓い出す。
大地が震えるほどの大音量である。
「飢饉に関しては我が輩に任せよ!前に堤を塀と築き、米を植えた事がある!」
そういうと惇は胸をどんとたたく。
正史によると惇の性格は清廉で、余分の財貨があれば人々に分けた。
また大干ばつにイナゴの天災が起こった時、自ら率先して土を運び兵を指揮して稲を植えるよう指導した。これによって人民が飢えから救われた事がある。
怖い見た目とは裏腹に人民の味方、無私の篤志家でもある。
しかも30年にわたり試行錯誤を繰り返した屯田のスペシャリストでもある。食料が不足する乱世においてこれほど頼もしい存在はいない。
こうして曹嵩は立派な屋敷と食料の大半を失ったが多くの勇士を得たのである。
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「食指の故事で有名な男はたった一度の食事によって国を失い樽一杯の食料で2人の勇士を得ました。家中の財貨で2万の勇士を得られるなら安いものではないですか」
しゃあしゃあと抜かす惇を見て「まるで孟徳みたいになってしまったな」と曹嵩は言った。
惇は一四歳の時に師匠を侮辱したものを殺害してお尋ねものになった事もある。
良くも悪くも直情的。まっすぐな男なのである。
「しかし惇兄、これから先何度も飢饉が来るはずなのだが、その場合でも大丈夫なのか?」
心配そうに尋ねる淵に惇はにっこりとわらうと大丈夫だと言った。
「その頃には孟徳に兵士を全部押しつける。いつまでも任されっぱなしではあいつも心苦しいだろう」
飄々とぬかす元大将軍に淵と曹嵩は口をあんぐりと開けて二の句が継げなかった。
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