第6話 最後の精霊

  1


 新たな精霊――雷の精霊を探す日々が始まった。


 現象としては誰もがその目で確認している。落雷による死者とて珍しくなく、その威力は折り紙付きで、重力の精霊より戦争に転用しやすいのも間違いない。


 もっとも、新たな力の源を一から解明しようというのである。重力の精霊でさえ、その研究にファノメネルは10年かけていたらしい。雷の力とはなんなのかと研究を始めたところで、一年や二年でどうなるものでもない。


 だが、時間だけはいくらでもあった。この後、俺はジレンとして18歳になるまで――つまりフェロキア暦218年まで研究を続けた後は、これまでの研究成果を持って《過去転移》するという循環を繰り返すことになる。


 そしてフェロキア暦200年に《過去転移》した俺は、ジレンとティアナを育てつつ、機会を見計らって王国へ飛び――重力の精霊と風の精霊を組み合わせることで、高速移動が可能だった――すでに研究員として働き始めていたファノメネルの元へ押しかけ、前の世界の研究成果を届けたのだ。


 ファノメネルは、腰を抜かすほど驚いたものだ。


「じゅ、重力と雷の力の検証結果!? こ、こんなもの一体どうやって手に入れた!? おまえは何者だ!?」


「いいからこれを元に研究を続けてくれ。時々様子を見に来るから」


 つまり前の世界でファノメネルと共に行った研究成果を、過去に戻ってファノメネル本人に手渡し、15年ほど研究してもらう。そしてまた3年ほど共同研究した後、すべての成果を持って《過去転移》し、ファノメネルにまた研究してもらうというわけである。


 俺の都合でファノメネルを振り回してるようで申し訳なかったが、だが当のファノメネルはいつも喜んでいたものだ。


「おまえは……時の精霊を見つけたのか? だからこんなことができるのだな?」


 あるとき、ファノメネルとそんな会話をしたことがあった。当然だ、俺が彼女に手渡しているのは未来の産物だというのは誰にでも分かる。


「そうだとして、なにか不都合があるのか?」


「いや。この際、方法は関係ない。ただ感謝したいだけだ、まるで無限の研究ができてるような気さえしてくるんだからな」


 彼女にとっては知ることこそ至上の喜びなのだ。ただ知るために長年研究を続けてきたからだ。だからこそ、ファノメネルは俺の素性もロクに疑わず、提案を受け入れるのだった。


  ◆


 長い長い研究の時が始まった。


 この間、俺も別にすべての研究をファノメネルに任せていたわけではない。長い時間をかけて他の国の研究所に入所したこともあった。


 俺が行かなかったのは大嫌いなロヴェーレ帝国ぐらいだ。聞いたところによると、帝国ではもっぱら「召喚術をいかに軍事に用いるか」という研究しかされていないようだったので、行く価値を見いだせなかった。


 そしてファノメネルが新たな理論をひらめけば、次に俺は長い時間をかけてそれを理解しなければならなかった。ジレンの教育のためだ。俺が理解して初めて、ジレンに適切な環境を用意してやることができる。そうして初めてまだ見ぬ精霊の存在を感知できるのだ。


 新たな精霊との契約ができれば、また長い時間をかけて俺の魂と馴染ませる――熟練度を上げるということも必要になる。自由に精霊が扱えるようになれば、他の精霊と組み合わせた戦い方というのも考案してみた。


 最終的にファノメネルは、俺から見ても長大な時間をかけて様々なこの世の真理を解き明かしていった。俺が《過去転移》を繰り返すことで召喚士を極められたように、ファノメネルも擬似的に《過去転移》を繰り返すことで、物理学の真髄を究めたのだ。残念ながらその歴史は簡単に巻き戻ってしまうのだが。


 成果はあった。

 重力を司る精霊、真名グラビトン。電磁気力を司る精霊、真名ライデン。ファノメネルと共に探し出した精霊は、一体や二体ではなかった。


 最終的に俺は、ついに召喚士としての高みを極めることになる。

 俺はファノメネルの理論に基づき、ついに発見したのだ。最後の精霊、すべての力への干渉の源、始原の精霊、いや、神霊とも呼ぶべき存在をを。


 それは《過去転移》何回目だっただろうか。俺は100回以降、数えることをやめてしまった。過去の自分と一つになる度、記憶は取捨選択されるといっても、俺の脳の容量は限られている。一昨日食べた昼飯の内容だの、《過去転移》の回数だの、どうでもいいと思える情報は次々削除してしまうクセがついてしまったのだ。


  2


 様々な精霊と契約を繰り返して感覚的にそうではないかと思っていたことがある。


 たとえば下位精霊というのは数え切れないほどの数が存在する。

 同様に、下位精霊ほどではないと推測しているのだが、上位精霊もかなりの数が存在している。同じタイタンであっても召喚士によって知っている真名が違うからだ。


 また、同じ属性の下位精霊は、適正さえあれば何体でも契約できる。といっても普通は一代で一体契約できればいい方だ。他方、上位精霊とされる精霊は一つの属性につき一体しか契約できない。


 そのため、今の俺はノームならいくらでも同時に召喚できるが、タイタンなどの上位精霊だけは未だに一体しか召喚できない。ひょっとしたら二体以上同時召喚するまだ知られていない方法もあるのかもしれないが。


 また、上位精霊の感知には、子供のような感受性は必要なかった。必要なのは適切な準備だ。たとえばタイタンを《精霊感知》したいならノーム三体以上と契約する必要がある。つまり特定の属性の精霊数体と契約することで、その属性に魂を慣らしておく必要があるのだ。


 そうなると疑問が生じる。では上位精霊とされる精霊と数多くの契約を交わし、俺の魂と馴染ませれば、最終的に一体なにが起こるのか。地水火風だけではない、さらに重力の精霊や電磁気力の精霊も加われば俺の魂は一体どうなるのか。


 ある日、突然その答えは出た。


 そのとき俺はジレンと融合し、肉体的には17歳だったとき。

 日課として《精霊感知》を使い、まだ見ぬ精霊を探し出そうとしていた。そして――俺は見つけた。数え切れぬほどの《過去転移》を経て、ついに接触を果たしたのだ。


 その精霊は、奇妙な場所に存在した。時空の精霊クロノスがいた場所もそうだったが、そこは輪を掛けて奇妙な場所だった。


 真っ白な空間に玉座があり、そこに白髪白髭の威厳ある老人が座っていたのだ。


 もっとも、異界において形に意味はない。それは俺が玉座と老人だと認識しているだけで、もし異なる世界の住人が見ればまた違った形に見えたかもしれない。


「因果律の目をかいくぐり、ここまで来たか。小さな星の矮小な生物かと思っていたが、生物とは奇妙な変化をするものだ」


 老人は口を開いた。


 俺は思わず自然と膝が折れそうになっていた。生命としての本能が告げている。この精霊こそ文字通り神、あるいはそれに類する存在――すなわち神霊とでも呼ぶべき存在ではないかと。


「分かるのか、俺が《過去転移》を繰り返してきたことが」


 かろうじて俺は声を出せた。


「当然だ。余は……そうだな、おまえたちの言葉で語るなら、始原の神霊とするのが適切であろう。すべての力の根源を司る余に見通せぬものなど存在するわけがない」


 彼の言葉にウソはあり得ない。なんとなくそう確信できる。

 俺は直感した。間違いなくこの精霊、いや、神霊こそがすべての力の根源。召喚士の最終到達点なのだと。


 契約したい。心底そう思った。俺の目的は、召喚術を極めることだ。それは《過去転移》を数えきれぬほど繰り返した今でも変らない。そして、恐らくこの精霊と契約することでそれは為されるのだ。


 だからこそ、俺は全身に感じる威圧感ともいうべきものを振り払い、言った。


「頼む。俺と契約してくれ」


「阿呆か、貴様は。なぜ余が矮小な人間如きに力を貸す必要がある? ただでさえ我が力は極大。人間になど与える道理は微塵もない」


 拒否された。時空の精霊クロノスは感知できただけで契約してくれたが、そういうわけにもいかないらしい。


「いや……。だが今回だけは機会をやってもよい」


「ほ、本当か!?」


 俺は喜ぶより先に驚いた。なぜ急に心変わりしたのか、その理由がさっぱり分からなかったからだ。


「今ならばさして意味もない。我らとて戯れを好むのだ、人間よ。もっとも、そのためにはおまえの力を示してもらう必要があるが」


 自分と戦い、力を示せ。彼はそう言っているのだ。これまでに契約した他の上位精霊と同じように。


 なるほど容易な条件ではない。相手はこうして相対しているだけで圧倒的な力を感じる始原の神霊なのだ。そんな存在に果たして人間が勝てるのだろうか?


 だが断る気はなかった。俺はこのときのために数千年の時間を費やしてきたのだから。


「分かった、俺の力を示そう」


「その心意気やよし。では一度だけ余を召喚する無礼を許す」


 始原の精霊から不思議な力が流れ出て、俺の体に宿った。一度だけ俺には始原の精霊を召喚することができるようになったのだ。


 ひとまず元の世界に戻る。この時点で俺はわずかに立ちくらみのようなものを感じていた。一時的とはいえ、始原の精霊の力がわずかに宿ったことによる契約酔いだ。不思議なことに、それは思っていたほど大した症状ではない。


 だが長年の夢であった召喚術の頂点に、ついに届こうとしているのだ。召喚酔いなど

気にしてはいられず、俺は覚悟を決めて人気のない森へと移動し、魔晶石の腕輪を通して始原の精霊を召喚した。いつぞやタイタンと契約したときのように、誰かの手を借りるつもりはなかった。誰が来たって足手まといになるからだ。


「仮の契約に基づき召喚に応じよ、始原の神霊」


 わずかに魂に結びついているその精霊、いや神霊を召喚する。


「ふむ、異なる世界へ赴くなど果たしていつ以来であろうな」


 俺が召喚した現れた老人は、そんな言葉を口にした。


 分身がしゃべったのだ。ここへ召喚したのは始原の精霊本体ではなく、その分身なのだ。本来なら意思の疎通などできない。だが始原の神霊ともなれば別なのだろう。また召喚士の歴史が塗り変わった瞬間である。


「では見せてもらうとしよう、おまえの力を」


「分かった。行くぞ!」


 地獄が顕現したかのような戦いが始まった。


 召喚士の戦いは基本的に遠距離戦となり、障害物があった方がかわしやすい。だから俺は森の中を戦場に選んだ。


 だが目論見は外れた。


 神霊の体から不思議な白い光が噴き出すと、すべてが吹き飛ばされた。木々も地面も剥ぎ取られ、一瞬で森の中に開けた空間ができあがっていた。俺も咄嗟に無数のノームを召喚士、何重もの《石の壁》を作っていなければ一撃で吹っ飛ばされていただろう。


「なんて力だ……!」


 俺は本能的に悟った。守勢に回ったが最後、この神霊に勝ち目はないと。


「やれ、ノームたち!


 すぐさま攻撃に移る。俺がもっとも得意とするのは大地属性だ。ノームたちに命じて岩の雨を降らせる。


 だが効果があったようには見えなかった。すべての岩は、始原の神霊を覆っていた不思議な光のヴェールに触れた瞬間、弾かれ、あるいは砕け散った。


 すぐ反撃が来た。変幻自在の光が時に槍となり、時に衝撃波となって俺に襲い掛かった。俺は足元の地面を飛ばせることで空に跳躍、さらに重力の束縛から自身を解放した。


 この状態なら風の精霊に命じて風を操ることで、かなり高速で空を飛ぶことができる。追いすがる光の槍をかわす。


 だがそのすべてをかわしきれるわけではない。いくつかは俺に命中しそうだった。

 防ぐにも空中では盾になるものはない。


 俺は水の精霊を召喚し、氷の槍を作り出して迎撃した。幸い効果はあり、光の槍は空中で爆発する。謎の光の正体はまだよく分からないが、反撃に移る好機だ。


「これならどうだ! 出でよサラマンダーたち!」


 全力を出すべく、100体のサラマンダーを一斉に召喚した。そのすべての真名を俺は覚えている。これまでに100人を超えるジレンが、その人生の度に契約してきた思い出深い精霊たちなのだ、忘れようがない。


 サラマンダーたちが一斉に炎を吹きかけた。もちろんそれだけで倒せる相手だとは思えない。


 同時に100体のシルフを召喚、つむじ風を起こす。風はたちまち竜巻となり、そこにサラマンダーの吐く炎が入り込んだ。炎の竜巻――火炎旋風だ。


 無敵のヴェールに包まれている始原の精霊と言えど、その周囲を業火で包まれればなんらかの痛手を与えられると考えたのだ。少なくとも相手が人間であれば焼け死ぬか窒息死する。


 だが始原の神霊には通用しなかった。火炎旋風が収まると、その中心には何事もなかったように光のヴェールに包まれた始原の神霊が立っていたのだ。


「傑出した力を持つことは認めよう。だがこの程度では傷一つ付けられぬぞ」


「……まだまだこれからだ。俺だって何千年も召喚術を鍛えてきたんだからな!」


 始原の神霊。その言葉に嘘偽りはなかった。俺が持つどんな召喚術を使っても、その身に傷一つ付けることはできなかった。


 それでも、俺はがむしゃらに戦い続けた。相手は俺の力で一時的にこの世界に召喚された神霊の分身。その力を浪費させ続ければいつかは尽きる。


 やがて長い夜が訪れた。それでも俺の戦いは続いた。朝が来て、また日が高くまで昇った。俺は下位精霊を組み合わせ、上位精霊を何度も呼び出し、時には接近戦まで繰り出して何度も何度も攻撃を繰り返した。


 終わりが訪れたのは、二度目の夕暮れを迎えたときのことだった。


  3


「はあっ、はあっ、はあっ!」


 俺は不眠不休で夜通し戦いを続け、数え切れないほど召喚を繰り返した。数えきれぬほどの長い時をかけて自分自身を育て上げてきたからこそ、なんとかここまで戦えたのだ。


 だが、それももう限界だった。もはやこれ以上なにも召喚できる気がしない。疲労と空腹と全身の怪我は深刻で、もう一度光の槍が飛んでくれば、俺には身をよじってかわす力すら残っていない。


「これが、召喚術の頂点、か……」


 当の始原の神霊は、昨日から一歩も動いていなかった。その身を覆う光のヴェールは、よく見ると昨日よりわずかに薄れているようにも感じられるが、どうみても俺より元気であることは間違いない。


 そのときだった。

 始原の神霊を覆っていた光のヴェールが、突然消失した。


「よかろう。人間よ、おまえの力は見届けた」


 俺はその言葉の意味を謀りかねていた。


「ど、どういうことだ? なにを言っている?」


「余との契約を許すと言っているのだ。文句はあるまい?」


 疲れを忘れたかのように、俺の胸は高鳴った。神とも錯覚し得るような神霊との契約。召喚術の頂点を極めるという長年の夢が、ついに叶うというのだから。


「余は戻るぞ。付いて参れ」


 そう言い残すと、神霊は消え去った。


 俺は慌てて意識を集中すると、異界に存在する神霊の存在を感知し、《霊魂化》してその場所へと赴いた。


 前回この場で出会ったときと同じように、始原の神霊は玉座に座って俺を待ち構えていた。いよいよこの神に等しい神霊と契約できるというのだ。俺の胸は高鳴った。


「来たか。まったく、人間の力など矮小なものだと思っていたが、長い時を経ることでこれほどの力を得るとは。なるほど、可能性とは面白い言葉だ」


「そ、そんなことはいい。早速契約を頼みたい」


「褒めてやっているというのに、この粗忽者が。まあよかろう、我が真名はオリジン。しかと魂に刻み込むがよい」


 オリジン。その真名を耳にした瞬間――俺の魂と、オリジンのそれとが一つになる。


「は……はははっ!」


 俺は笑った。笑うしかなかった。


 それはついに召喚術を極めたという歓喜の笑いだ。それと同時に、俺の身に備わったオリジンの力の正体を知ったことによる自虐的な笑いでもあった。


「なんだこれは!? これが最強の力か、いくらなんでも強大過ぎるだろう! もしこんな力を現世で使ったら……世界が滅ぶじゃないか!」


「驚くことではなかろう。余を感知したそのときから、察してはいたはずだ」


 その通りだった。長い研鑽の末に辿り着いた、すべての力の根源。その力は、およそ人に制御できるものではないと。


「そうか、そうだったな。感謝する、オリジン。俺がこの力を振るうことはないだろう。だがこれで……召喚術を極めたという実感が湧いたよ」


「汝の感想になどさして興味はない。用が済んだのなら去れ。そして今後も余を楽しませよ。矮小な生物がどのような道を歩むのか、それこそが余の娯楽となろう」


 神霊などと言ってはいるが、なんとも性格の悪い存在だった。

 だが別にどうでもよかった。その性格の悪さゆえに、俺に契約の機会を与えてくれたのだから。なによりもその結果として、俺は召喚術を極めるという長年の夢が叶ったのだから。


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