第三章

第1話 新しい歴史


  1


 始原の神霊と別れた後、俺は再び時空の精霊クロノスのいる異界へと赴いていた。


「やあ、二つの名を持つ者。今回の《過去転移》はなにか得るモノがあったようだね」


 記憶が取捨選択されているので実感があるわけではないが、俺はもう数千年の時を過ごしていることになる。だが彼女――クロノスだけは、数千年前に初めて出会ったときと寸分たりとも変ったところはない。いつも通り少女の姿で、いつも通り接してくる。


「ああ、大きな成果があった。始原の神霊と契約したんだ」


「知っているとも。奇跡だ、誇っていいことだよ。今やキミは召喚術を極めたといっても過言ではないだろう」


「おまえにそう言ってもらえると実感が湧くな」


 俺は恐らく召喚士の歴史を塗り替えたが、それを知る人間は誰一人としていない。この際、クロノスという精霊だけでもこの事実を知っていてくれたことは多少なりとも喜ばしいことだった。


「ところで、キミはどうしてまたここに? 召喚術を極めるという目的を達成したのに、まだ《過去転移》したいのかい?」


「そうだ。最後に一度だけ過去に戻っておきたくてな」


 今の俺は、ジレンとジレッドが一つになった身である。

《過去転移》を繰り返してきた俺だったが、別に永遠を生きるつもりはない。召喚術を極めるという目的が達せられた後であれば、ジレンとジレッドが一つになる意味もない。ジレンにはジレンとして生きてもらいたかった。


 たとえばジレンとティアナは互いのことを好き合っていたらしい。しかしティアナを父として育てたジレッドとジレンが融合してしまうと、残念ながらその感情はあやふやなものになってしまう。


 だからこそ最後に一度過去転移を行い、ジレンに自分の人生を謳歌してもらいたかったのだ。もっとも、ジレンという存在を気遣ったというよりは、ティアナを他の男にやりたくないという思いの方が強い気もするが。


 ただ、名残惜しくもあった。数千年という膨大な時間の中で、ただ一人俺の事情を知っていたのがクロノスだ。《過去転移》しないということは、彼女と二度と会えなくなることを意味しているのだから。


「そうかい。まあボクのやることは変わらない。早速だけど《過去転移》に伴う三つの制約について解説しようか」


「分かった、やってくれ」


 クロノスの解説が始まった。


 過去に転移したとしても、歴史に大きな影響を与えることはできない。

 生まれる以前の時代に《過去転移》することはできない。

《過去転移》した時点でクロノスとの契約は解除される――。


「以上だよ。キミはもう聞き飽きてることだろうけど」


「そうだな。だがそれも最後かもしれないと思うと、意外と名残惜しく聞こえる」


「ま、キミがどう思おうと自由だよ。さて、それじゃ早速過去転移するかい?」


「そうだな……」


 クロノスと会話できるのはこれが最後かもしれないのだ。解消できる疑問は今解消しておくべきだった。


「せっかくだ、一つだけ聞いておきたい。おまえは何度もこう言ったな、過去での行動はすぐさま未来に反映される。ゆえに歴史に大きな影響を与える行為は、因果律によって修正されると」


「うん、その通りだ。どうしたんだい、今更? 数え切れないほど聞いたことだろう?」


「だが……冷静に振り返るとおかしいことがあった。俺は《過去転移》を繰り返す課程で、人が死ぬ未来を回避したり、逆に人を殺したり、どう考えても歴史に影響が出そうなことを散々やってきたんだ。にもかかわらず、未だに因果律らしい修正を受けた覚えがない」


 たとえば本来死んでしまうティアナの生存は、まだ歴史に与える影響が小さいがゆえに許されたのだと思っていた。未来で稼いだ金を過去に持ち込むことも。


 だが、帝国軍の要塞を破壊したり、研究所に未来の研究成果を伝えたりしたことは、どう考えても歴史に影響が出ないとは思えない。


「もちろん因果律の修正を体験したことはある。たとえば一度目の世界と二度目の世界で手に入れたものを、三度目の世界に持ってこうとすると消滅したこともあったな」


 あれは上位精霊が召喚可能な魔晶石を増殖させようとしたときだ。二つの魔晶石を持って《過去転移》しようとしたら、一つは消えてしまった。


「それは当然だよ。本来、《過去転移》は一度しか行えないという制約があるんだから」


「そうだな。俺自身にしろ魔晶石にろ、なにかが無限に増殖するような可能性が生じることは、因果律の修正対象になる。それは知ってる」


「つまり、別に因果律の存在を疑ってるわけじゃないんだろう? 《過去転移》すればキミとボクとの契約だって因果律によって断ち切られるんだし」


「そうだ、因果律は間違いなく存在する。なら……なぜ歴史に影響が出るほどの行動はすべて見逃されてきたんだ?」


 クロノスは笑った。まるで悪戯をした少女のように。


「いいかい、それはね――――からだよ」


 そして何事かを口にした。

 このときクロノスは確かになにか言葉を口にしていた。だが、俺には理解できなかった。声が聞こえないとか唇も読めないとかそういう問題ではない。ただ理解をなにかに邪魔されているのだ。以前にも経験したことがある現象だ。


「分かるかい、ジレンとジレッドの名を持つ者。キミに必要以上の情報を教えることは因果律によって禁じられている。キミも知っているだろう?」


「そうだったな。まあそう都合良くいくとは思っていなかったが」


 精霊が無制限に人間の質問に答えてくれるなら、精霊についての神秘なんてとっくの昔にすべて解き明かされているだろう。彼ら精霊の受け答えには常になんらかの制限があるのだ。


「ボクに言えることはいつだってたった一つだよ。因果律は歴史に大きな影響を及ぼすような行為を絶対に認めない。だけど――」


「歴史に与える影響が許容範囲である限り、因果律が関与することはない?」


「そうとも。キミが自分の取った行動をどう解釈しようと、それだけの話だよ」


 つまり、歴史に影響があると思ってやってきた俺の行為も、実は大したことではなかったということだろうか。


 たとえば俺は、帝国軍の要塞を破壊したことがあった。だが後の歴史で、もともと破壊されることが決まっていた要塞だったのかもしれない。


 兵士や山賊を殺したこともあった。だが考えるまでもなく、兵士や山賊などいつ死んでもおかしくない存在だ。死ぬのが多少前後しようと歴史に影響はなかったのかもしれない。


「さあ、もういいかい? じゃあ《過去転移》をしようか。いつも通り戻りたい時間を脳裏に思い浮かべるといい」


「分かった。世話になったな、時空の精霊クロノス」


「異なる世界の召喚士、機会があるのならまた会おう。そうでなければさようなら、だ」


 クロノスは指をパチンと鳴らした。次の瞬間、俺の体は光に包まれた。足、手、胴、顔。すべてが白い光で塗りつぶされていき、そして――。


  2


 俺はいつもの場所に転移した。いや、戻ったというべきか。


 ラメルダ村にある孤児院“大地の子の園”。そのすぐ近くだ。初めて《過去転移》したときは日の出の時刻だったが、今はまだ日の出前で周囲も薄暗い。《過去転移》する度に少しずつ前の時間に転移してきた結果である。


 ただ、足元にはこれまでと変わらず赤ん坊時代の俺がいた。してみると、俺がこの場に捨てられたのは恐らく真夜中だったのだろう。まあ俺が捨てられた経緯や、誰が実の親かなんてとっくの昔にどうでもいいこととなっていたが。


 俺は赤ん坊の俺を抱き上げた。もう数え切れないほどこうして抱っこしているというのに、間もなくジレンと名付けられる赤ん坊の俺は泣き出した。これだけはシスター・ノアじゃないと泣き止まない。


「ジレン。安心しろ、誰よりもおまえを立派に育ててやるからな」


 その決意を新たにする。


 ジレンは俺自身であり、同じ魂を持っている。だがそうは言っても、今の時点ではジレンと俺は別の思考を持っている。そういう意味では別人には違いない。


 そんなジレンを、これまで俺は散々利用してきたと言ってもいい。ジレンには俺と融合することなく、ティアナと人生を共に過ごすという未来もあったはずなのだ。


 だから、俺は今回ジレンに最良の教育を施してやるつもりだった。今の俺にはそれができる。なにせ俺はジレンを育てること100回以上、しかも実際に様々な教育を施されたジレンがなにを思いどう感じたか――という答え合わせまで完璧にできているのだから。


 そして誰にも負けない力を手に入れた後は、ジレンが好きに過ごせばいい。ジレンはまだ経験こそないものの、俺とまったく同じ召喚術を使いこなすことができる最強の召喚士なのだ。ティアナを幸せにすることぐらいできるだろう。


「ちょっと、誰なのあなた!? その赤ちゃんどうしたの!? 泣いてるじゃない!」


 そうこうしているうちに、ジレンの泣き声を聞いてシスター・ノアがやってきた。


「すまない、ここに孤児院があると聞いて来たんだ。この赤ん坊は俺の友人の子でな」


 いつも通り、事情を説明する。友人はこの子を俺に託して亡くなり、どうしようかと途方にくれていたと。この子を育てるのを手伝ってくれないか――と。


「ちょ、ちょっと待って。頭が追いつかないわ。大体、あなただってなにその格好? 全身ボロボロじゃない」


 言われて気付く。そういえば俺は始原の神霊と丸一日戦った後、そのまま《過去転移》してきたのだった。怪我は水の精霊の力で治癒したが、服装などは当然そのままである。


「分かるだろう、赤ん坊を連れての一人旅だ。ここまでたどり着けただけでも奇跡と言って欲しい。それより、ちょっとこの子を抱っこしてくれないか。俺ではどうしても泣き止ませられないんだ」

「分かったわ、貸して」


 俺を怪しんでいたシスター・ノアだが、泣く赤ん坊には誰も勝てない。泣き続けている赤ん坊を見かねてすぐに手を差し伸べてくれる。


 そして、彼女は俺の名付け親となる。これまでとまったく同じように。


「この子の名前は……ジレン。あなたは今日からジレンよ」

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