第4話 召喚術研究所

  1


 召喚術研究所への入所を目的としていた俺だが、疑問がないではなかった。

 精霊というものを一体どうやって研究するのか――という疑問だ。


 精霊は召喚できる。触れもする。だが自分の意に応じて動かすだけで、話ができるわけではない。そもそも召喚した精霊は、異界にいる本体の分身とも呼ぶべき存在だ。召喚士の精神力を代償にこの世に召喚できるが、物理的な衝撃を受ければ消滅する。下位精霊など、つかんだだけで消えることもある。


 別にこの世界から消滅したからといって、精霊本体が死滅したわけではない。この世界の万物を司るという精霊がそう簡単に死ぬわけもないのだ。精神力を消費すれば、別の分身を再召喚することも容易だ。


 異界に赴けば精霊と話をすることはできるが、精霊が雑談に応じてくれることはない。そもそも下位精霊は雑談という概念すら理解してないという説もある。例外として、上位精霊に干渉した際、稀に情報を得られることがあり、それが召喚術の秘密を解く鍵となってきた。「精霊が人間とは異なる時間を生きている」という情報などその一つだし、考えてみれば時空の精霊クロノスとてそうだった。因果律というこの世界の秘密を教えてくれた。


 つまり、精霊とは解剖できるような存在でもない。そもそも干渉する手段がない。王立研究所では、そんな精霊をどう研究しているというのか。もしや研究という名目で税金を浪費しているだけではないのか。そんな懸念は尽きなかった。


 そして、残念なことにその懸念は当たっていた。


「この研究所ではまだ見ぬ新しい精霊を見つけ出すべく、様々な研究が行われています」


 俺の案内を買って出たのは、研究所の所長と名乗る初老の男だった。このとき俺は15歳という若さだったが、王家の推薦を得て入所したからだろう、孫のような年齢の俺に所長はやたらへりくだった態度だった。


 俺としても、15歳のフリをするのは面倒である。ここはあえて王家の権力を笠に着た態度を取ることにした。


「具体的に一体どんな研究を?」


「研究員によって異なります。それぞれの研究員には個人ないし複数で研究することが許されており、各員がまだ見ぬ精霊を見つけ出すべく試行錯誤を続けているのです」


 召喚士養成学園では、学園の至る所で精霊が召喚され、生徒たちが使い方を学んでいたものだ。だがこの研究所ではおよそ精霊を見ることもなく、所長の言った通り多くの研究員が部屋に籠もって試行錯誤していた。


「これまでになにか成果は出たのか?」


「ちょうど百年ほど前、鉄の精霊が発見されました。とはいえ、人類と共に召喚術が生まれ、すでに数千年あるいは数万年とも言われる年月が経過しております。今日明日で都合良く新たな精霊が見つかるということはありません」


 この時点で俺はだいぶ不安を感じていた。苦労して入った研究所だが、その意味が本当にあるのだろうか――と。


「ジレンさん、あなたには国王陛下の推薦があり、できるだけ便宜を図るよう申しつかっております。他の研究員の指導を受けるもよし、共同で研究するもよし、個人で新たな研究を模索しても構いません。是非とも帝国軍を薙ぎ払うかのような新たな精霊を見つけ出してください」


「分かった、やってみよう」


 その後、俺は一人で様々な部屋の様子を見て回った。

 そして、その度に失望することとなる。


 予想通りだった。各部屋で行われているのは、そのほとんどが召喚媒体の研究で、ようは多種多様なモノを集めてそれを媒体に《精霊感知》ができないかと試行錯誤しているだけだったのだ。召喚媒体は確かに大事だし、場合によっては新たな精霊が見つかることもあるだろう。


 だが、それだけなら研究所に来た意味などまったくない。自分で模索するのも一緒だ。俺はもう半ば失望しながら研究所内を周り、気が付けば残る研究室は一つだけという有様だった。


「なんだ、この部屋は?」


 その部屋は、明らかに異質だった。全体的になんというかボロいのだ。その上、他の部屋は様々な妙な物体で満たされていたものだったが、その部屋だけは書物で埋め尽くされていた。しかもすべての書物になにか計算式のようなものが書かれている。


「誰だ? この部屋に訪問者とは珍しい。閉鎖はしばらく先のはずだろう?」


 部屋の主と思しき声がした。そして声のした方を見て俺は驚くことになる。

 そこにいたのは、12ぐらいの少女だったからだ。


「な、なんでこんなところに子供が!?」


「失礼な! これでも112歳だぞ!」


 少女はすぐさま抗議の声をあげた。


 112歳。《過去転移》を繰り返してる俺ならともかく、馬鹿げた年齢だ。


 実際、彼女の身長はどう見ても112歳どころか12歳ぐらいの少女にしか見えない。胸や腰回りなどはやや大人びた膨らみやくびれがあるように見えなくもないが、顔つきなどは明らかに子供のそれだ。ただ気の目やしゃべり方など、確かにただの子供とは思えない雰囲気も感じられる。


 ただ、一つだけ他の人間の少女と異なる点があった。耳だ。細く長いそれは、112歳という年齢すら裏付ける、ある種族の証だ。


「エルフ、か?」


「見れば分かるだろう、本当に失礼な人間だな」


 俺も長い時間を生きてきたが、エルフと接したことはなく、街ですれ違うのがせいぜいだ。エルフは無限の寿命を持つという。ゆえに見た目が20代であっても百歳以上ということさえあるらしい。


 ただエルフも20歳になれば、人間の10代半ばぐらいに見えると聞いていた。一方、彼女はおよそ12歳ぐらいにしか見えない。他のエルフを知らないが、彼女はエルフの中でも童顔というか成長が遅い方なのではないだろうか。


「で? 一体おまえは誰だ? 所長の使いではなさそうだが」


「お、俺か? 俺はジレン。この研究所の新入りだ」


 初めて彼女の俺を見る目が変わった。


「おまえか、王家の推薦を受け、15歳で入所した最年少研究員というのは。まあ若いのはいいことだ、わたしの名はファノメネル。覚えておけ」


 ファノメネル。なるほどエルフらしい独特の響きを持った名前である。


「それで? わたしの研究室に一体なんの用だ?」


「いや、ここではどんな研究が行われているのか知りたくてな」


 これまでの経験から、あまり期待せずに言った。

 だが、ファノメネルの返答は予想だにしないものだった。


「ふん、王家の推薦者ともなれば無視するわけにもいかないのが宮仕えの辛いところだな。教えてやろう、わたしは物理学と呼ぶ学問を究めようとしている。もっとも、成果も出なくて閉鎖寸前だが」


 部屋の様子からしても、この研究所で彼女が冷遇されているのはよく分かった。ただ、興味はあった。


「物理学というのは?」


「万物を司る力の根源とはなにかを解き明かす学問だと定義されている。たとえば……ジレンといったな、おまえは卓越した召喚士なんだろう? サラマンダーを召喚して炎の矢を飛ばすことぐらいできるな?」


「ああ、それぐらいなら」


「ではなぜサラマンダーの力を借りることで炎を飛ばすことができると思う?」


「サラマンダーが炎を司っているから……ではないのか?」


「それはそうだ。だが考えてもみろ。炎を司ることと燃え続ける炎を維持し、さらにそれを飛ばすことが同じ系統の力だとは思えん。ノームの力で石を飛ばすことも同様だ。ノームが大地を司っているのは分かるが、だからといってなぜ石を空中に持ち上げることができると思う?」


 そんな話をされるとは思わず、俺は衝撃を受けていた。


「まだ見ぬなんらかの力が……精霊が作用をしていると言うのか?」


「ああ。もちろんまだ仮説の段階だが、実証できている部分もある」


「素晴らしい!」


 正直なところこのとき、俺は感動していた。これこそが俺の求める研究であると。

 だが俺の喜びとは対照的に、ファノメネルは戸惑っていた。


「きゅ、急に叫ぶな、びっくりするだろう」


「それはすまない。だがファノメネル、おまえがやっていることは間違いなく正しい」


 なにせ俺が時空の精霊クロノスを見つけたときも、似たような思考の結果だったからだ。


 炎や水を司る精霊がいるのだから、時を司る精霊もいるのではないか。それは多くの召喚士が考えて、そして探し出そうとしたことだ。だが俺は“時”とは一つの概念ではなく、時間と空間、すなわち時間と場所を同一のものだと考えた。


 そして、召喚媒体には真空の空間を使った。風の精霊を用いて空気がまったくない場所を空間を作り、それを媒体として時空の精霊の存在を感知したのだ。


「まだ見ぬ精霊は、召喚媒体さえあれば見つかるものじゃないとずっと思っていたんだ。力の根源とも言うべきモノが理解できて初めてまだ見ぬ精霊と接触できるはずだ。頼む、俺も一緒に研究させてくれ。あんたの研究こそ最善の手段だ」


「そ、そうか? い、いや、わたしもこれが最善だと確信してはいるんだが」


 俺が頭を下げて言うと、ファノメネルは明らかに戸惑っていた。


 ファノメネルは明らかにこの研究所では異端なのだろう。だからこそ、賛同者が出るとは思わず驚いたのだろう。だがやがて嬉しさが抑えきれなくなったらしく、まるで子供のようにはにかみながら言った。


「ふ、ふん。まあいいだろう。王家の推薦者がいればこの研究室が閉鎖されることもないだろうしな。好きにするがいい」


  2


 こうして俺の新たな日々が始まった。ファノメネルの研究室に通い、まだ見ぬ新たな精霊を探す日々が。


 実際にファノメネルの研究成果は予想以上で、彼女はすでにある精霊の存在を推測していた。


「わたしは重力の精霊というものが存在すると確信している」


 万物には、相互に引き合う力が存在するらしい。それが重力だとファノメネルは教えてくれた。たとえば木からリンゴが落ちるのも重力という力の影響だという。


「なるほど、確かに石を投げれば下に落ちる。それを司るのが重力の精霊というわけか」


「そうだ。考えてもみろ、おまえが召喚した精霊には重さがあるはずだ。にもかかわらず、大体の精霊はぷかぷか宙に浮いているだろう? 宙に浮くというのは本来困難なことだ、それができるのは重力を司る精霊が関係しているに違いない」


「い、言われてみると確かに不思議ではあるな。ウンディーネにせよノームにせよ、下位精霊の多くは空中を漂っていることが珍しくない。いや、タイタン辺りは大地に立ってることが多いが」


「なに、タイタンは浮けない? なぜそんなことを知っている?」


 しまった。これでは俺がタイタンを召喚できると言ってるようなものだ。

 だがなんとなく、ファノメネルは国宝だとかそういうことを気にするような性格にも見えない。俺は腹を割ることを決め、魔晶石が付いた腕輪を見せた。


「この魔晶石を見れば分かるだろ、俺はタイタンを召喚できる」


 さすがにファノメネルもこのときだけは目を見開いて驚いたものだ。


「……信じられん。それほどの召喚士なのか、おまえは」


「そんなことはいい、話を戻してくれ。俺が知ってる中でも一番巨大なせいか、タイタンだけは浮いてるところを見たことがない。タイタン以外の上位精霊も大体が巨大だが、水や風の力で浮けるようだし」


「ま、まさか! リヴァイアサンやエアリアルまで召喚できるというのか!?」


「ああ。なんなら後で実際に見せてやろうか?」


 その誘惑は、ファノメネルも抗しきれないようだった。

 たださっきまで先輩面していた分、いささか頼み事などし辛いのかばつが悪そうではあったが。


「で、では頼もう。上位精霊を観察する機会など滅多にないからな。しかし、小型の精霊は浮けるが大型の精霊はなんの作用もなしには浮けないというのか? 推測通りではあるな、重力の精霊とは下位精霊よりさらに下位の存在で、局所的にそれほど強力な作用を持たないのでは――」


 なにかぶつぶつ考え事を始めてしまう。


「考え事をしているところをすまないがファノメネル。重力についての話を続けてくれないか?」


「ああすまない、そうだったな。とにかく重力という力の実証、つまり重力という力が物体にどういった作用を及ぼすか、という点においてはほぼ解明できている」


 ファノメネルは言った。なんでも重力という力により、空気による抵抗を考慮しなければ、あらゆる物質は毎秒一定の速度で地面に引っ張られることになると。重力という力を、数式だけで解き明かすことはすでにできているのだと。


「だが重力の精霊は未だ確認されていない。年齢の問題が大きいのかもしれん、わたしとてもう112歳。子供のような感受性がある年齢ではない」


「……なんとも言えないな」


 地水火風のような精霊は、確かに子供でないと感知できない。自然の中に存在する精霊を感じるには、高い感受性が必要だからだ。


 だが、《精霊感知》は必ずしも子供にしかできないわけではない。相性さえよければ50歳でも火の精霊と契約できた事例はあるし、時空の精霊クロノスと契約したとき、俺は正真正銘の18歳だった。《精霊感知》するに辺り、感受性とは違うなにかを要求する精霊もまた存在するのだ。


 もっとも、重力の精霊がそうであるかは分からない。必要なのは子供のような感受性なのか、それとももっと別のなにかなのか。


「召喚媒体は? 重力の精霊を感知するのに、必要な召喚媒体の見当はついているのか?」


「重力の精霊を見つけるに至っていない以上、どれが正解でどれが不正解かは分からん。ただ、これは私見だが……恐らく、なにも要らない」


「なし? 召喚媒体なしで、未知の精霊と契約できるのか?」


「違う、要らないと言ったのは比喩だ。いいか、風の精霊を感知するなら風を召喚媒体にする。だが風とはただの空気の移動現象だろう? そんなもの息を吐くだけで生じる。だが自分の息を召喚媒体にしてる奴は……まあいるかもしれないが、あまり聞かない。召喚媒体なんてそれぐらい適当なモノだ、ようは精霊に接触する足がかりになればなんでもいいんだ」


「そうだな、最終的には召喚媒体なしで召喚できるわけだし」


「重力も同じだ。今こうして立っているだけでも、わたしたちは重力の精霊の影響下にあると言える。だから召喚媒体は不要だと言ったんだ、どこにでも重力の精霊は干渉しているんだからな」

「なるほど、その力を自覚できないだけ……というわけか」


「そうだ。生まれたときからこうして重力に囚われているわたしたちは、重力なんて感じようがない。だからこそ、重力の精霊を感知することはまだできてないんだろう」


 召喚士の基本であある。精霊を感知できるかできないか、それだけがすべてを決める。


「なら、いっそ高いところから飛び降りるというのはどうだ? そうすればより重力に引っ張られている現象を体感できるんじゃ?」


「ああ、それは当然考えた。この際どうやって高いところにのぼるのかとか、落下死との危険性は無視しよう。でもまず無理だ、恐らく重力より先に、全身に当たる風の方を強く感じるはずだからな」


「だったら……風の精霊を使えばいい。《風の刃》の術の応用で、空気のない真空の空間を作ることができるんだ。その空間を落ちていけば重力のみを感じられるんじゃないか?」


「……ほう」


 ファノメネルは初めて反論の言葉を失ったようだった。


「空高く飛翔した上に、風の精霊を行使して真空の空間を作るなどということができるのか?」


「できる。少なくとも俺には。とりあえずやってみよう」


  ◆


 結論から言えば――今回は無理だった。


 この後、俺は幾度となく実験した。まず学園にいたとき、ある教官が教えてくれた方法で空高く飛翔する。ノームの力で足元の地面を浮かすという方法だ。


 そして落下するのだが、このときシルフの力で進路上に真空の空間を作る。地水火風の下位精霊を自由に操れる俺には造作もないことだった。


 だが感受性あるいはそれ以外のなにかが足りないのだろう。最後まで重力の精霊の存在を感じ取ることはできなかった。


「やはり無理だったか、なかなか面白い方法だとは思ったのだがな。どうする、まだ続けるか?」


 ファノメネルの指摘に、俺は首を横に振った。


「手はある。召喚士の適正がある小さな子供に、物心つく前から重力を感じる環境に置けばいい。そうすれば重力の精霊の存在を感知できる可能性が高まるはずだ」


「なるほど、道理だな。小さいころから海で泳いでいる子供は、水の精霊との相性が極めてよくなるというし。だが一体どうするつもりだ? どこからか赤子をさらってきて高い場所から落とし続けるとでも?」


「召喚士の適正なんて1000人に一人しかないんだ、その辺りの赤ん坊じゃ意味がない。用意するなら自前じゃないと」


「いきなりなにを言い出すのだおまえは!?」


 なぜかファノメネルは顔を真っ赤にした。


「だがいやしかし……おまえは卓越した召喚士だ、その力を子供に引き継がせ、私が幼いころから教育を施せば……だが無理! 私は研究に身を捧げるつもりなんだ! いやだが……これも研究の内と言えるのではないか……。長年探し続けた重力の精霊が、手の届くところに……」


 面白いので誤解させたままにしておいた。


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