別れ――時機を見るネコ

 フロは、明らかに時機を見計らって我が家にやって来ました。

 そんなことあるわけないって? いや、それがあるんです。

 というか、私がそう思いたいのですよ。


 第一に、塗り絵をしていて精神的余裕があった=ネコを受け入れる余裕があったときに庭にやって来た、ということ。

 夫もネコはペットショップで買うのではなく、野良ネコが家にやって来たら飼おう、と言っていたこともあり、NNN(ねこねこネットワーク)の存在を思わずにはいられませんでした。


 第二に、例の児童文庫の賞の一次通過発表が翌4月27日だったこと。

 自信作だったので一次は通過するだろうと思っていましたが、あっさり一次落ちしていたのです。フロのことがなかったら、ショックで立ち直れなかったかもしれません。

 けれどもフロという新たな喜びがあったおかげで、私はすぐに次の作品にとりかかることができました。


 そして最後。亡くなった時期です。


 フロは保護してから約一年半後の12月に、腎不全で亡くなってしまいました。

 それがちょうど、「公募用の小説を書き終わり、さらに推敲も一段落した」時期だったのです。

 体調を崩し始めたのが、別の賞への応募が一区切りついた8月末から。様子を見ていたけれども一向によくならず、病院に行ったのが九月中頃。重度の腎不全と言われ、輸液のため病院に通う日々(自宅で試したのですが、暴れて逃げるようになってしまい断念しました)。

 けれども、通常は一日おき、二日おきくらいに輸液しなければならない状態だと言うのに、フロは週に一度の輸液でぐんぐん体重が増え、元気になっていきました。「週に一回でこんなに状態がいいのは珍しい」と先生に言われるほど。ちょうど執筆時期と重なっていたのですが、私にとっては輸液のための通院は、ほとんど負担にはなりませんでした。

 つまりフロは、私の執筆や賞への応募になんら差し障りのない状態でこの世を去っていったのです。


 もちろん、これらは私が勝手に感じた「都合のよさ」であり、結果的にそうなったというだけのことです。

 けれども、うちに来てくれたタイミング、そしていなくなってしまったタイミングは、私にとって本当に絶妙な時期だったのです。

「私が落ち込まないように現れてくれたんじゃないか」「私の執筆を応援するために頑張ってくれたんじゃないか」「終わったのを見届けたことで力が抜けて一気に状態が悪くなってしまったんじゃないか」……どれも人間側から見た都合のいい考えです。でも、「もしかしたら」という思いが消えません。

 それくらい、賢く優しいネコだったということもあるかもしれません。


 亡くなる前日、動けなくなったフロに、何度も何度も「ありがとう」と伝えました。「ごめんね」「また会いに来てね」とも。


 フロがもたらしてくれたのは、よく懐いてくれた二匹のかわいい子ネコだけではありません。

 フロが亡くなってしばらく経った頃。8月末に出した賞の最終選考に私の作品が残ったという連絡がありました。

 フロの置き土産。真っ先にそんな言葉が頭に浮かびました。

 撫でさせてくれるようにはなったけれど、だっこはさせてくれなかった気高いフロ。その高貴な表情から何を考えているのか感じ取るのは難しかったけれど、もしかしたら保護したことに感謝してくれていたのかな……と、また都合のいい解釈をしてしまいました。

 そして受賞の連絡をいただいたとき、フロがいないことをとても寂しく思いました。真っ先にフロに報告して感謝したかった。フロのおかげで取れた賞だよ、ありがとう、と伝えたかった。

 彼女が生きていたらきっと、素知らぬ顔でそっぽを向いたでしょう。そんな仕草さえ、愛おしくて懐かしくてたまりません。

 後で気づいたのですが、受賞の連絡があった日は、彼女の四十九日にあたる日でした。

 これも偶然なのでしょうが、単なる偶然では終わらせたくないという思いが、私の中にはあります。


 作家という夢。そのスタートラインに立った今、どうしようもなく、フロに会いたいです。

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