リクオは下界で鈴田竜太郎に会いに行く
さてどうしようか。商店街の方向に歩きながら、私は考える。三匹目のスルメの足を噛みながら、私は考える。どうすべきか。どうしようか。
このまま稲垣祐一の魂を回収してしまえば、無事任務完了ということになるが、本当にそれでいいのだろうか? それではあまりに稲垣祐一が可哀相ではないか。不憫だ。理不尽だ。確かにこの世は無常ではあるし、世界は善と悪で構成されているわけではない。何も報われずに終わる人生は多々あるのかもしれないが、というより大半がそうだろうが、しかし、しかしだ。私は稲垣祐一と接触し、そして彼の身の上話を聞いてしまった。
私は稲垣祐一と関わりを持った。魂回収のターゲットとして接触したわけだが、私の心情としては、彼が魂回収のターゲットに相応しくないと考え出している。彼は、可哀そうだ。さて、どうしようか。どうするべきか。
下界には、国単位で法律というルールが存在するように、天界にも様々なルールが存在する。個の存在が二人以上集まると、必ずそこにはルールが存在する。昔、私に魂を回収されたある人物が、そう言っていた。その人物の名前は忘れたが、何故かその言葉はよく覚えている。皆が安全に、幸せに暮らすためには、ルールというものは絶対必要不可欠なもので、ルールを守らない者が罰を受けなければならないのは当然のことだ。それは天界も下界も大差ない。万人の幸せのためにルールというものは、平等でなくてはならない。そして、どんな状況にも臨機応変に対応するために、ルールというものは、ある程度、曖昧なものでなくてはならない。
死神部では、営業課の死神が魂回収のリストを作成し、そのリストから選ばれた魂を、回収課の死神が回収していくというシステムで成り立っている。回収課の死神は魂を回収するのが仕事で、魂を回収する相手を選ぶ権限はない。しかし、何事にも例外は存在する。そんな例外が発生した場合に対応するために、こんなルールがある。
死神法、第十三条。
魂回収の対象よりも、よりふさわしいと考えられる対象が存在した場合、回収の任についた死神の権限として、回収する魂の変更をすることができる。
ひどく曖昧な言い回しだが、つまりは、死神法第十三条を行使すれば、私の権限でターゲットを変更することは可能なわけだ。稲垣祐一から、鈴田竜太郎へ。
死神法第十三条は、あくまで例外が発生した場合に適用されるルールだ。私の知る限り、死神法第十三条が適用された例は、今までに一度もない。
しかし私は考えている。鈴田竜太郎の魂を回収してやろうかと、考えている。死神法第十三条を適用するべきか否か。私は考えている。
とはいえ、まず会わなければ、と思った。鈴田竜太郎に実際に会ってから判断するべきだ、と。
まずは[行き紙]で、営業部のムツミからの報告を読み返すが、予想通り鈴田竜太郎の情報はまったくない。営業部からの報告は、いつもずさんで、いい加減なものだから期待はしていなかったが。
次に[行き紙]で、その他の下界の人物名鑑を調べてみるが、やはり、これも予想通り、鈴田竜太郎の存在は発見できない。人物名鑑には、下界のすべての人物が載っているわけではなく、天界の者がリストアップした者しか載っていない。人物名鑑に乗っているのは、営業部の死神が魂回収の候補に選んだ者や、天使、悪魔たちが取り憑く候補に選んだ者、等々だ。鈴田竜太郎は、まだ天界の者たちに目を付けられてはいないようだ。
仕方なく私は、一度天界へ帰るために適当な建物を探し、商店街の入り口近くにコンビニがあったので、足を運ぶ。コンビニの前で立ち、自動扉の前で念じる。自動扉が開き、足を一歩踏み入れると、ぶよっとメタボリック中年男性の腹の感触がした。黒い雲でできた地面の感触。つまり、天界だ。
私はすぐさま事務局へ向かい、担当事務員のクリコとの面会を申し込む。
「クソ早えじゃねえか、リクオ。珍しいな」
クリコは、粘り気のある声で喋る。空気が身震いをした。
いつ見ても大きいな、と事務所いっぱいに存在するクリコを私は見上げた。
「帰ってきたわけじゃない」
「じゃあ、何しにきたんだよクソリクオ」
クリコは機嫌が悪そうだ。私に、何か面倒な注文をされるのではないかと警戒しているのだろう。クリコの予感は当たっている。正解だクソクリコ。
「調べて欲しいことがあるんだ」
「何をだよ」ツァっとクリコが舌打ちをする。大振りの唾が顔にかかる。
「鈴田竜太郎という人物の居場所を調べて欲しい」顔にかかった唾を拭いながら言った。
「なぜ?」
「いいだろう別に」
「また面倒なことを考えてるんだろう。クソリクオめ」
「いや、たいしたことじゃない」
「死神法第十三条は使うなよ。後で面倒くせえからな」
「わかってる」いや、本当はわかっていない。
クリコは右の壁にかかっている大型のタッチパネル式映像器[行き大紙]を触り、鈴田竜太郎の居場所を調べだした。三十秒ほど待つ。
「わかったぞ」
「どこだ?」
「知りたいか?」ぶはあ、とクリコが笑うと、体毛が大きく上下する。
「いいから、早く教えろよ」私はいらいらした気持ちを少しも隠さない。
「北だ」
「北?」
「日本の最北」
「北海道か?」
「そう」
「行きたい。扉を用意してくれ」
「構わないが、会ってどうするんだ?」
「どうもしない」
「どうもしないのに、会いに行くのか?」
どうもクリコは私のことを疑っているようだ。こいつは怪しい、死神法第十三条を使用する気なんじゃないか。クリコの心の声が聞こえてきそうだ。
「そんなことより、クリコ」私は、話を関係のない所に逸らす。
「何だよクソリクオ」
「頭にクソをつける言い回しはもう流行遅れだから、やめておいたほうがいいと思うぞ」
クリコの口が、目が、大きく見開かれた。マジか。声にはならずに、口がそう動いた。
私はゆっくりと頷いてやる。ガチだ。声は出さずに口を動かした。
「そんなもん、わかってるわい。わかってて使ってたんだよ。バカだなお前は。ほんとバカだリクオは」
そんなもん、わかってなかっただろうに。私は心でほくそ笑む。
「鈴田竜太郎は、どんな奴なんだ?」
「今からそれを確認しに行くんだろう? 自分で確かめろよ」クリコは、腐った牛乳をそうとは気づかずに一気に飲み干したかのような、気分の悪そうな顔をする。
「ああ、そうだな」私の口角が少し上がった。
「部屋をでて左、二番目の曲がり角をもう一度左、真っ直ぐ行くと扉がある。つながってる」
「わかった。行ってくる」
私はクリコを背に、歩き出す。部屋を出る寸前に「クソ行ってきます」と言い、部屋をでる。
「流行ってんのか? おいリクオ? クソは流行ってんのか?」と言う声が後ろでしたが無視を決めた。「どっちだって訊いてんだクソリクオが」クリコの吠える声が聞こえる。バカだなクリコは。流行っているわけがないだろう。私は「くくっ」と声に出して笑った。
*
扉を開けて一歩踏み出すと、ぶよっとした地面から、いきなり固い地面の感触に変わったため、少し膝に違和感を感じた。じり、と砂を踏む感触がする。
下界に通じる扉を開けると、辺りはもう既に暗くなっていた。暗いなんて優しい表現ではなく、闇だ。真っ暗闇。明かりの一切無い本当の真っ暗闇だ。空には星が光っている。星との距離が近いように思う。大量の宝石を空に放り投げたような輝きだ。星の輝きは大きく、力強い。辺り一面に明かりが存在しないためだと気づく。都会では見られない光景だ。
私は、見えないながらも一歩、また一歩と足を進めた。その度にじり、じりと音がする。屈強な地面の上に細かくて固い感触があった。おそらく砂利だろうと思われる。
真っ暗闇で辺りはまったく見えないため想像でしかないが、ここは、おそらくかなりの田舎町だと思われる。アスファルトの上に砂利があること、夜とはいえ一切の光がないことが、ここが田舎町だということを決定づけている。澄んだ空気を思いっきり吸い込むと、土と草の匂いがした。
目が慣れてくると、辺りの様子がよく理解できた。
私が立っているのは、車線のない狭い道路の上だ。舗装のあまりされていない黒いアスファルトの細い道路が一本真っ直ぐに伸びていて、両脇に大きな田んぼが延々と続いている。遠い位置に大きな黒い塊が確認できる。おそらくは山だ。外灯は一つもない。人工物はほとんどなく、あるのは、少し離れた所にある大きな民家が一軒だけだった。民家に灯りは灯っていない。そのため私のいる周辺は、今時珍しく自然のままの本当の闇が広がっていた。
鈴田竜太郎はこの近くにいるはずなので、私は早速、鈴田竜太郎を探す。[行き紙]を操作して探してみると、考えていた通り、少し離れた場所にある民家から鈴田竜太郎の気配が感じられた。
借金を友人に押し付けて逃げた割には、大きな家に住んでいる。頭の中に、不謹慎、という言葉が雲のようにぼんやりと浮かんで煙のように散った。
大きな一軒家に鈴田竜太郎、小さなボロアパートに稲垣祐一。なんといえばいいのか。鈴田竜太郎に対してあまり良いイメージが浮かばない。会ってもいないのに、既に私は、何となく鈴田竜太郎を嫌いになっている。稲垣祐一が可哀想だ。思うと同時に、鈴田竜太郎は調子に乗るなよ。不謹慎だぞ。そう思ってしまっている。
死神にも感情はある。好きも嫌いも、酸いも甘いも、ある。鬼ならぬ、死神の目にも涙することだってあるのだから。
さて早速、鈴田竜太郎に会いに行こうと一歩を踏み出したがやめた。民家の灯りさえ灯っていない時間帯だ。私は死神だが、下界の世の常識ぐらいは心得ている。この時間帯に会いに行くのは、不謹慎な輩のすることであって、死神のすることではない。
もう鈴田竜太郎に会うのは難しそうな時間帯だと考えた私は、一心不乱にスルメを噛み続けながら、朝が訪れるのを待った。
空が少しずつ黒から白に変色していく姿を見つめた。太陽が、山と山の間から顔を覗かせる。世界が闇から色を取り戻していく姿を、私はスルメを噛み続けながら眺めていた。黒い塊だった山は緑を取り戻し、田んぼには土の色が灯る。細い一本道は、ぼやけた黒色を鮮明に浮き上がらせる。空には薄い青が誕生する。誕生。夜が明けるという現象は、闇の中から色という命が誕生していくような、神々しい雰囲気がある。誕生。私の仕事とは真逆の現象だ。何とも感慨深い気持ちにさせられる。特に何がというわけではないが、なぜか、何となく、得をした気分になった。
ちなみに、死神に眠るという行為はない。私は眠ったことがない。眠るという行為に興味はある。しかし眠る必要がないし眠れないので、いつも下界にいるときは特に何をするわけでもなく起きたままで夜を過ごす。
*
鈴田竜太郎は、時間でいうと朝の六時頃に姿を現した。灰色の作業服を着て、原付バイクに乗って家から飛び出してきた。
その時の私は田んぼの真ん中にいて、土を踏む感触を楽しんだり雑草についた朝露に触れたりと独自の時間つぶしをしていたので、原付バイクに乗った鈴田竜太郎を発見した際には心底驚き、慌てて走り出して細い一本道の真ん中に立ち塞がると、「ちょっと待ったあ」と自分でも驚くぐらいの、死神らしからぬ大きな声を張り上げた。
鈴田竜太郎はバランスを崩しかけながらもブレーキを勢いよく握り、ズジャリィと砂利を撒き散らしながら私の目の前で止まった。急ブレーキで止まる際に発せられた「うわぁぁ」という声が、鈴田竜太郎の驚きや焦りを物語っていた。はあ、はあ、と興奮した吐息を漏らしながら、鈴田竜太郎は私の方に目を向けている。私たちは、数秒ほど目が合ったままで沈黙していた。
鈴田竜太郎の表情を観察していると、鈴田竜太郎はまず、驚き、焦り、混乱し、怒り、「危ないなあ。何ですかあなたは」と憤りの気持ちを言葉で表現した。
私は何も答えずに、鈴田竜太郎をじっくりと観察する。
丸い体型と丸い顔をしている。揚げ物が好物だろうなと思わせる油っぽい肌に、頭頂部は丸く禿げ上がり、カッパという名前の架空の生命体を想像させる。借金を友人に押し付けて逃げた割には、鈴田竜太郎は丸く太り血色もよさそうだ。
丸く太った鈴田竜太郎と、細くやつれた稲垣祐一。なるほど。双方を比較してみるに、やはり、どうも私は鈴田竜太郎が気にくわない。
「鈴田竜太郎さんだね」
「誰ですかあなたは」
「借金取り。この説明で、大体の内容がわかるかな?」
私の言葉を耳にすると、鈴田竜太郎の顔からすうっと血の気がひいた。顔は汗をかき、目線は泳ぎ、ごもごもと口の中で声を空回りさせる。何かを思案しているようにも、ただ混乱しているだけにも見える。
「鈴木龍之介ねえ」
鈴田竜太郎の言葉に、つい「え?」と声を上げた。耳を疑う。
「いや、鈴木龍之介なんて名前、聞いたことないですねえ」
そうきたか、と私は落胆する。そういえば稲垣祐一も良く似た手を使っていた。類は友を呼ぶということわざがあったと思うが、当たっているなと感心する。
「いや、わかってるんでしょ? 鈴田竜太郎さん、あなたでしょ?」
「いや、私じゃないですよ。鈴木竜一郎さんか、ちょっと誰のことかわかんないですねえ」
「それ、わざとでしょ? わざと微妙にずらしてるんでしょ?」
「わざとじゃないですよ。それにしても鈴木竜二郎か。どこにでもいそうな名前ですよね」
「バカ? ねえ鈴田竜太郎さん、あなた、バカなの?」
……といったくだらないやりとりを二十分ほど続けた結果……「私が鈴田竜太郎です。嘘ついてました。すいません。嘘ついてほんとすいませんでした」鈴田竜太郎は、鈴田竜太郎であることを認めた。
「鈴田竜太郎さん、何で嘘つくわけ? 面倒くさいでしょ。嘘つくと」
「いやあ、一応、借金から逃げた身分ですので」
「逃げたからって嘘ついちゃ駄目でしょ」
「すいません。何か怖かったもので」
「そうか。怖いのなら、まあ仕方ないな」
借金をした者にとって、借金取りという存在がとても怖いものだということを、神に創られて五年と一ヶ月ほどが経過した私はよく知っているつもりだ。特に逃げている者なら尚更だろう。
「稲垣祐一さんを知ってるね?」私は訊く。
「はい」
「稲垣祐一さん、今、すごく困ってるんだ」
「はい」
「どうして逃げたの?」
鈴田竜太郎は私の質問には答えずに、顔を下に俯けて、はああ、と長いため息を吐いた。
「その前に」言いながら、鈴田竜太郎は顔を上げる。「借金取りさんが、私に何のご用でしょうか?」
おっと、そうきたか。ご用も何も、目的は一つしかない。わからないわけがないだろう。
「私は回収に来たんだ」と答えると「やはりそうでしたか」と鈴田竜太郎はがっくりと肩を落とした。借金ではなく魂の、とは、もちろん口にしない。
「稲垣祐一さんがピンチだから、あなたから取り立てようと思ってるんだ」お金じゃなく、魂を。
「はあ、そうですか」鈴田竜太郎はカクンと頭を落とした。
そうじゃなかったらよかったのになあ。鈴田竜太郎の心の声が聞こえてきそうだった。
「ところで、鈴田竜太郎さん、どうして逃げたの?」
あなたが逃げたから、稲垣祐一さんはとても苦労している。そういった嫌味を言葉の中にたっぷりと含めて、言う。
「いや、わかんないです」
「わかるでしょ」
「わかんない」
鈴田竜太郎は、悪戯がばれて怒られている子供のような、うなだれてやる気の無い、そんな表情をしている。
「まだ、鈴田竜太郎さんから取り立てると決まったわけじゃないんだ」
私がそう言うと、鈴田竜太郎は慌てて顔を上げる。目を大きく見開き、鼻の穴も大きく膨らんでいる。どうやら驚いているようだ。俺、借金返済しなくてもいいの、と。
「本当ですか」鈴田竜太郎の返事は弾んでいた。喜んでいるようだ。
「だから、まず、なぜ逃げたのかを話してもらわないと」
鈴田竜太郎の目を見ながら、私は少し微笑む。
「正直に話してもらわないと、鈴田竜太郎さんから取り立てることになるよ」
鈴田竜太郎の鼻が少しひくついた。人間以外の生き物で言うと、豚を連想させる動きだった。ブヒ。
「なぜ逃げたかというとですね、話せば長くなるんですよ」
「構わないよ」
鈴田竜太郎は携帯電話を取り出し、電話をかける。
「おはようございます社長。鈴田です。今お時間よろしいですか。ええ、はい。すいません。あのですね、本日、急で申し訳ないんですが、お休みを頂きたいんです。ええ、はい。申し訳ございません。はい。ご迷惑おかけしますが。はい。よろしくお願いします。ありがとうございました。失礼します」
携帯電話を作業服のポケットにつっこむ。
「ここじゃ何ですので、私の家で話しましょうか」
「構わないよ。それと、ちなみに鈴田さん」
「はい」
「鈴田さんの好きな漫画、何?」
私が問うと、しばらく考え込んで「やはり、ジョジョでしょうか」と答えた。
「わかった。ありがとう」
ジョジョ。稲垣祐一と一緒だ。これはかなり期待が持てそうだ。天界に帰るのが楽しみだ。しかし、その前に仕事だ。仕事をおろそかにしてはいけない。仕事。仕事。ジョジョのことは頭の隅に追いやって、私は仕事のことを考えるように努めた。
私は鈴田良太郎の住まいに案内された。私のいる場所から少し離れた場所にあった大きな民家だ。
近くで見ると、その建物は木造で年季が入っているものの、遠くで見ていたよりも大きく立派だった。庭には小さな池があり、メダカのような小さな魚が泳いでいる。盆栽も綺麗に剪定されている。納屋なのか蔵なのか、母屋の他に二軒、建物が連なって建っていた。乗用車が一台、軽トラックが一台、軽自動車が一台、計三台の車が車庫に納められている。
その建物の立派な佇まいに、つい、私は顔をしかめてしまう。鈴田竜太郎は裕福な暮らしを営んでいるようだ。私は、それが気にくわない。
「ただいま」
玄関で靴を脱ぎながら、鈴田竜太郎が言う。
「あれえ」という声が、家の奥から聞こえてきた。
しゃっしゃっと床を滑るように小走りで中年女性が現れる。
「あれれえ、お仕事は?」言った女性の声は、さっきの「あれえ」と同じ声だ。
「休みをな、もらったんだ」言いながら、鈴田竜太郎は後ろを向く。「こちらは、ええと」鈴田竜太郎の目が私に向く。名前、何でしたっけ? と目で訴えてきた。
「田嶋陸生と申します。昔、鈴田さんにお世話になっていた者です」
私は、中年女性に頭を下げた。死神という職種は、残酷で冷徹なイメージが定着しているが、案外、マナーは良い。
「こいつは、私の妻でしてね」
鈴田竜太郎が言い、中年女性がお辞儀をした。
「はじめまして。鈴田百合子と申します。夫がいつもお世話になっております」
「ああ、どうもはじめまして。こちらこそお世話になっております」
鈴田百合子は、おそらく四十歳前後といったところだろうか。ただ、喋り方や物腰の雰囲気からか、随分若そうに感じる。巣で親鳥の帰りを待つ、ひな鳥のような。世間知らずで頼りなく、しかしその分、純粋で木漏れ日のように温かい印象だ。良い人の雰囲気が漂っている気がする。つまりは、鈴田百合子に対して、私は好感を持ったということだ。
なぜ、クソ鈴田竜太郎と結婚したのだろう。こいつは、借金を友人になすりつけて逃げるような奴ですよ、と忠告したくなる。私は良識のある死神であるから、もちろんそんな忠告はしなかった。
通された客間は畳の部屋で、檜を使った机を挟む形で座布団が置かれ、私と鈴田竜太郎は向かい合うように座った。上座に鈴田竜太郎、下座に私だ。
鈴田百合子がお茶とお菓子を差し出し「何もございませんが、どうぞごゆっくり」と言い、出て行った。
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