第9話 蝦蟇仙人 その二
「清美さん! 一人で行っちゃダメだ!」
あわてて、龍郎は青蘭の手をにぎったまま清美のあとを追った。どんなときでも青蘭の手だけは離さない。
しかし、数歩、前にふみだしただけで亡者の進む力に押される。
しかたなく、龍郎は右手をかかげた。
カッと強い白光がカメラのフラッシュのように周囲を焼く。二十メートル四方の亡者は一瞬で溶けた。ヒュウ、ヒュウと細い白い筋をひいて空に昇る。昇天したのだ。だが、その魂魄はあの巨大な渦の中心に、そのまま吸いよせられ、飲みこまれていった。
龍郎たちのまわりにアスファルトの路面が見えた。たしかに蝦蟇仙人が倒れていた。なんだか
「ガマちゃん!」
清美がかけよるが、次の亡者たちが、もう目の前まで押しよせている。
「青蘭、清美さんをつれて脇道へ!」
「やだよ。龍郎さん! 離さないで」
ほどこうとした龍郎の手を青蘭がにぎりしめる。龍郎はためらった。しかし、時間がない。
「ごめん。青蘭。清美さんをつれてさきに行ってくれ。おれは蝦蟇仙人をつれていくから」
「龍郎さん!」
青蘭の手をふりきって、龍郎は全速力で猛ダッシュした。当然、とろとろ走っている清美より早く、蝦蟇仙人のもとへたどりつく。横抱きにして、ひきかえそうとしたときには、次の亡者が来ていた。
龍郎はふたたび右手をかかげた。
が、そこで思いなおす。
(待てよ。蝦蟇仙人って、妖怪——悪魔だよな? もしかして、ここで浄化の光を使うと、蝦蟇仙人もいっしょに浄化されてしまう、のか?)
「青蘭? 清美さん?」
「龍郎さん! こっち!」
声のしたほうを見ると、六地蔵にしがみつく形で、青蘭が手を伸ばしている。龍郎は必死でその手をつかもうとした。が、亡者たちはわざとのように、龍郎と青蘭のあいだに入ってきて、二人の手をつながせまいとする。灰色の死人の顔が目の前にいくつも覆いかぶさるように重なる。ペアリングをつけた青蘭の美しい指も見えなくなった。
すると、腕のなかで、蝦蟇仙人がうなった。カエルの鳴き声っぽいが、人語は聞きとれる。
「わしのことはかまわんでよい。若造。ここに、わしを置いていくのじゃ」
置いていけと言われると、そうはできなくなるのが人間のさがだ。とくに、龍郎のような人間には。
「蝦蟇仙人。あなたは悪魔だ。でも、おれのことを考えて、置いていけと言った。そうですね?」
「主こそ、魔性と知って、わしを救ってしんぜようとしたな。そのような人間の
なるほど。ガマちゃんは悪いカエルじゃないと清美は言っていた。ほんとに、そうなのかもしれない。
「蝦蟇仙人。なんで、あなたはこんなとろにいたんですか? あなたは寺の裏の池に住んでいたはずでしょう?」
「清美殿に……知らせようと……」
「清美さんに? 何を?」
「誰かが
「大蝦蟇とは、ツァトゥグアのことですね?」
「人間は我らのことを好き勝手に呼びおる。人のつけた名など知らぬ」
それはそうだろう。
江戸時代から、ずっとこの村にいた妖怪がアメリカのオカルト小説を読んでいるわけがない。
「すいません。その大蝦蟇を退治したいのです」
蝦蟇仙人は黙りこんだ。
悪魔は悪魔同士、同じ悪魔を滅却されると聞けば不愉快なのだろうかと思う。
だが、数瞬おいて、蝦蟇仙人は言った。
「……それがよかろう。わしはこの村が好きじゃ。この村がなくなるのは悲しい。不思議なものよの。この心は、いつどこで生じたものか。主に頼む。大蝦蟇を倒してくれ。わしもそれを望む」
「ありがとう」
そのためには、まずは車道から離れなければ。このままでは身動きがとれない。
「すいません。蝦蟇仙人。あなたがいると、おれが浄化の光を使えないので、なげさせてもらいます」
「なげる、とな?」
「はい。なげます」
「というと?」
「こういうことです」
龍郎はバスケットのフリースローの要領で、蝦蟇仙人を両手で頭上に持ちあげ、脇の雑木林めがけて放りなげた。
ギョエエエーッという悲鳴が尾をひき、蝦蟇仙人の体はきれいな弧を描いて、はるか彼方へ飛んでいく。見ためは三歳児だが、とにかく軽いので、ボールなみに飛んだ。
そのすきに龍郎は右手を高く伸ばす。
こぶしをひらくと、
とにかく、そのすきに龍郎は脇道まで走った。凄い勢いで次のグレーの奔流がやってくる。龍郎は前方に向かって走るのだから、亡者の大群が迫る速度が、そのぶん速くなる。
(あとちょっと。二メートル。いや、一メートル半——)
龍郎はスライディングに近いフォームで、脇道の土の上にすべりこんだ。
その直後、ダークグレーの人波が車道にくまなく満ちた。
「青蘭! 青蘭ッ? 清美さん?」
見まわすが、近辺に青蘭たちの姿はなかった。
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