第2話 六路村 その三



 このまま、まっすぐ、村の出入口の地蔵のところへ行くのかと考えていた。が、匂いのもとを目指していくと、だんだん北にそれてきた。


 人工物の少ない村のなかでも、ことにひなびた景色になっていく。完全に山中だ。杉の木のつらなる急な斜面をあがっていくと、樹間に建物が見えた。


「あっ、神社だ」

「あれが六郎神社かな?」


 階段ではない方向から来てしまったのだ。龍郎たちは杉の木の根元に足をかけながら、歩きづらい斜面を横這いに移動していく。やっと神社の正面についた。


 色の塗られていない鳥居が建っていた。その向こうには石段も見える。


 だが、龍郎はそこですくんだ。

 この晴れた五月の空のもと、鳥居のまわりに飛んでいる。鳥……ではない。首だ。生首が三つ、四つ、五つ。グルグルと円を描くように飛びまわっている。


「ろくろ。ろくろ。ろくろをまわせ」

「ろくろをまわせ」

「ろくろをまわせ」

「ろくろのさきにろくどはあるか」

「ろくろ。ろくろ。ろくろをまわせ」


 飛びながら何やら念仏のような歌を口ずさんでいる。


 体はないが、どうやら落武者たちの霊だ。髪型がちょんまげを切られたざんばら頭である。


「あの神社が匂いの源かな?」


 龍郎は青蘭にたずねてみた。

 青蘭は首をかしげている。


「この周辺で強い匂いはするけど、どうかな。いちおう神社は彼らの霊を鎮めるためにあるものだし」

「でも、鎮められてないよね?」

「ないね。よっぽど怨みが深いんだな」


 それにしても変な歌だ。

 民謡のようにも童謡のようにも聞こえる。このあたりにだけ残る俗謡かもしれない。


「神社にあがってみよう」

「うん」


 だが、生首たちが邪魔をして鳥居をくぐらせてくれない。鳥居の前面を守るつもりなのか、車輪のように飛びまわる。攻撃はしてこないが、そこを通ることはできそうにない。


「しかたないな。別の場所をさぐってからにするか」


 諦めて、龍郎は立ち去ろうとした。

 去りぎわに見あげると、五つの首のなかには昨夜の落武者の顔が見あたらなかった。


(あれ? なんでだ? だって、六人の侍で、六郎は逃げたはずだし……残る五人の侍の霊じゃないのかな?)


 どうも、よくわからないことが多い。

 もっと詳しく調べないとダメだ。まだまだパズルを解くピースが欠けている。


 鳥居のところ以外から神社へ行けないかと、しばらく周囲を歩きまわってみた。が、斜面がきつすぎる。さらには岩肌にシダ類や苔がむしていて、湿ってツルツルしている。とても登っていけない。ここを登っていくためにはロッククライミングの装備が必要だ。神社への唯一の道を、生首が通せんぼしているのである。


「しょうがない。神社はムリだ。ほかに匂いの強いところは?」

「うん。こっちかな?」


 青蘭は斜面をくだっていく。

 地面が平らなところまで戻ってくると、さらに北側をめざす。

 傾斜はなくなったが、あいかわらずやぶのなかだ。竹がいやに目立つようになった。竹林だ。


 竹林を渡る風の音は独特だ。

 生き物のうねりのように聞こえる。


「あっ、龍郎さん。見て。あそこに何か見える」

いおりだね。古式ゆかしいなぁ。茶人の家みたいだ」


 竹林のなかに、こぢんまりと可愛らしい家屋があった。江戸時代の茶室のようだ。腰の高さほどの竹を編んだ柵で囲まれている。枝折戸しおりどからのぞくと、縁側に老人が座っていた。茶の湯の先生のような渋い着物を着ている。


 龍郎はいつのまにか過去の時代にタイムスリップしてしまったんじゃないかと思った。が、目があうと、老人はニッコリと笑いかけてきた。

「こんにちは。観光ですか?」と、問われて、ほっとする。江戸時代の人なら、こんな洋服を着た人物を簡単に受け入れてはくれまい。


「ええ、まあ。このへんは綺麗なところですね。こんな景色が観光地以外で残ってるなんて思いませんでした」

「そうでしょう? いいところですよ。じつは私は長いこと東京で商売をしていたんですが、余生は趣味に生きたいと思ってね。引っ越してきたんですよ」


 なるほど。それで、こんな時代をとびこえてきたような庵が現代に出現したわけだ。たしかに造りは昔風だが、仕上がりは新しい。


「よければ、入ってこられませんか?」と、老人が誘ってきた。

「家族と別れて一人で来たはいいが、やっぱり退屈でねぇ。たまには話し相手が欲しいものです」


 老人はこの土地の出身者ではないから、大した話は聞けないだろう。だが、念のため、話してみる価値はある。もしかしたら、地元の人より、ざっくばらんに知っていることを聞かせてくれるかもしれない。


「じゃあ、お邪魔します」


 龍郎は青蘭の手をにぎったまま、枝折戸をくぐった。縁側は小さくて風情のある庭に面している。老人がすみにより、二人が腰かけるくらいの余地はできる。


「茶でもお出ししましょうかな?」

「いえ。お気づかいなく」

「まあまあ、そう言いなさんな。これが楽しみで引っ越してきたんだから」


 老人がいったん奥へ消え、盆に載せて運んできたのは、ふつうの煎茶せんちゃではなかった。湯飲み茶碗ではなく、もっと大きい。茶道具としての茶碗だ。なかみも泡だっている。抹茶なのだ。


「あっ、やっぱりご趣味というのはお茶ですか」

「いや、骨董なんだがね。趣味が高じて、一人で茶会のまねごとなんかしとるよ。まあ、今日は長らくひきとめても悪いしな。簡易的なやつで申しわけない」

「いえ。充分です。いただきます」


 龍郎は表千家の作法で茶碗を二回半まわして口をつけた。半分ほど飲んで、青蘭に渡す。青蘭はまた、ひな鳥よろしく龍郎の仕草を模倣する。とにかく可愛い。


「けっこうなお点前でした」

「いやいや。人に飲んでもらうのはいいもんだね」

「茶道具を集めるのが趣味なんですか?」

「うん。俳諧はいかいや川柳などもしとるんだが、まあ、どれも下手の横好きだな」


 そう言って、老人はハハハと口をあけて笑う。


「だがまあ、ここに来たおかげで、いい茶碗が手に入るんだ。引っ越した甲斐があった」

「このあたりに骨董商でもいるんですか?」

「ひいきの陶工がこの村の住人なんだよ」

「なるほど」

「なんなら見てくれないか。ほら、これなんだがね」


 老人は違い棚のなかから桐の箱をとりだし、茶碗を見せた。茶道は亡き祖母に教わったが、茶道具の良し悪しは、とんとわからない。お世辞で「すごいですね」とは言ったものの、ほんとはなんとなく好きになれなかった。


「そうだろう? これは傑作だよ。そんじょそこらの茶碗じゃない」

「はあ」


 老人の自慢話を聞かされたあと、ようやく龍郎たちは解放された。


「ごちそうさまでした。では、これで」

「うんうん。今時、見かけんような好青年だ。またおいでなさい」

「ありがとうございます」


 そこで別れるのは、あまりにも実りがない。龍郎はたずねてみた。


「ところで、六郎伝説をご存知ですか?」

「うん。知っとるよ」

「その言い伝えに出てくる侍たちが住んでいた家はどのあたりにありましたか? または、殺された場所が知りたいんですが」


 老人は意外なことを言った。


「殺された場所は知らんが、住んでたのは、ここだよ。この家は私が建てさせたがね。場所はこのへんだったって話だなぁ。竹林のなかだ」

「ほんとですかッ?」

「うん」

「まわりを見させてもらってかまいませんか?」

「ああ。いいよ」

「ありがとうございます!」


 ニコニコ笑う老人に、龍郎は頭をさげた。

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