第1話 ろくろ首 その三



「アレがこの家に来るようになったのは、ひと月ほど前です。なぜ急にそんなふうになったのか、きっかけはわからないんですが、あるとき、真夜中にふと目が覚めました。音を聞いたような気がします。誰かが庭から近づいてくる足音のようでした。そして、目をあけると、障子に大きく人影が映っていました。それが……どうも家族のようじゃないし、変な影なんです。じっと見つめていると、スルスルと首が伸びていくんです。目で追っていくと、欄間らんまのすきまから、男の顔が覗いていました。男は私を見て、こう言いました。『ろくろをよこせ。ろくろをよこせ』それを聞いているうちに、いつのまにか気絶してしまったようです。気がつくと朝になっていました」


 キャーと場違いな悲鳴をあげたのは清美だ。本人は心底怖いのかもしれないが、微妙に喜んでいるように聞こえる。


「怖いよ。怖いよ。ドキドキしちゃいますね」

「清美。ウルサイ」と、青蘭が一蹴いっしゅうする。


 まあ、愚民と言わなくなっただけでも、だいぶマシになった。

 龍郎は苦笑しながら、とりなす。


「まあまあ。ところで、千雪さん。そのろくろ首、夢じゃないですよね?」

「違います。あれから、ほとんど毎晩、来るんです。近ごろはよく寝られなくて、はっきり目が覚めてるときに来ることもありますから」

「なるほど。その現象に心当たりはありますか?」

「ありません」


「では、『ろくろをよこせ』って、どういう意味だと思いますか?」

「ろくろって、陶芸のときに使うアレですか? なんかこう、茶碗とかを作るときにグルグルまわす台」

滑車かっしゃのことなんかも、轆轤ろくろっていうらしいですよ。井戸のつるべをまわす滑車」

「うちには、そんなものありませんけど」

「ですよね」


 千雪からはそれ以上の情報が得られないようだ。


「じゃあ、じっさいにそれを見た場所に案内してもらえますか?」

「わかりました」


 千雪が立ちあがり、奥の部屋へ一同をつれていく。龍郎たちは、ぞろぞろと続いていった。

 母屋は一室ずつが広いが、二、三間しかないようだ。中庭を挟み、離れが建っていた。


「母屋は祖父母と両親の寝室があります。わたしの部屋は離れなんです。以前は叔父の部屋だったんですよ」


 雪よけのためか、離れまで屋根つきの渡り廊下があった。離れも鋭角的な切妻屋根になっていて、よほど雪深い土地柄なのだと推測できる。こっちは母屋にくらべて、比較的新しい造りだ。


 なかに入ると、昭和風の造りになっている。一階に和室が一間と物置。二階には二間。二階は洋間の板の間だ。一階のほうにトイレと浴室がついている。簡易な二世帯住宅だ。


「ここに千雪さんが一人で暮らしてるんですか?」

「いえ。二階に妹たちがいます」

「妹さんがいるんですか」

「はい。二人。千波と千春です。年が離れていて、二人はまだ高校生なんですよ」


 千雪の年齢がわからないが、たぶん、二十七、八だろう。清美の年齢がそのくらいのはずだからだ。以前、何歳か尋ねたときには「女に年齢を聞きますか……」と叱られてしまった。


「この一階がわたしの寝室です」と言って、千雪は一階の和室を示す。


 六畳ほどの一間に床の間と押入れがある。中庭のほうが南向きになっていて縁側がついている。縁側との境には障子があり、上のほうに欄間があった。竜の透し彫りがほどこされている。あのすきまから、ろくろ首の目が覗いていたのかと思うと、ちょっと迫力があった。

 ちなみに、床から欄間までの高さは二メートルほどだ。昔の建物にしては天井が高い。


「なるほど。あの欄間ですね? 正確には、どこでしたか?」

「あの障子の下あたりに立っていて、ここから覗いていました」


 そう言って、千雪は床の間に近いほうの障子戸のまんなかあたりと、その上の欄間を指した。


「もう一度、聞きますが、心当たりはまったくないんですよね?」

「ないです」

「じゃあ、しかたないですね。今夜、この部屋に泊めさせてもらってもいいですか?」

「えっ?」


 龍郎が申しでると同時に、方々から声があがる。青蘭が目くじらを立て、清美が腐った目つきをし、千雪が戸惑う。


「いや、あの、この部屋におれたちを泊めさせてもらって、千雪さんは申しわけないですが、母屋で家族とごいっしょに……と思ったんですが。そうですね。二階に女の子がいるのはマズイかな。じゃあ、二階に千雪さんと清美さんが寝ることはできますか?」


 ほっと、またあちこちから安堵の息がもれる。まったく、美人がからむとやりづらい。


「それはできると思います。妹たちは一部屋で寝れるので」

「じゃあ、それでお願いします。じっさいに、そのろくろ首が霊なのか悪魔なのか、見てから判断したいので」

「お願いします」


 というわけで、その夜。

 六畳一間に龍郎、青蘭、フレデリック神父、おまけに穂村先生まで布団を並べるというプチ合宿の様相になった。


「お邪魔虫が二匹も! どうする? 龍郎さん。かまわず……する?」

「しないよ!」

「えっ? しないの? なんで? 僕のこと嫌いになった?」

「ならないよ……恥ずかしいからだろ」


 部屋のすみで言いあっていると、穂村が「ははは」と朗らかに笑い声をあげる。


「わがはいは気にしない。好きなだけやりたまえ」

「先生。なんで急に、わがはいなんですか?」

「わがはいは猫である。猫なら気にならないかと思ったんだが」

「…………」


 まわりに変人ばかり増えてくる。

 ため息をつきながら、龍郎は古い蛍光灯のかさから伸びるスイッチの紐をにぎった。


「電気、消しますよ? こっちが寝てると思わないと、ろくろ首が現れないかもしれないから」


 明かりを消して、それぞれの布団に入った。

 はたして、ろくろ首は現れるのだろうか?

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