第1話 ろくろ首 その四
真夜中。
ありがたいことに、穂村は布団に入って目を閉じると、すぐに寝ついてしまった。神父は寝ているのか起きているのか気配が感じられない。
布団のならびは、床の間のほうから青蘭、龍郎、穂村、神父だ。
なので、布団のなかで、そっと青蘭と手をにぎりあうくらいのことはできた。青蘭はまだ眠っていない。目をあけて、じっと龍郎を見ながら微笑んでいる。龍郎も外からの月明かりに浮かぶ恋人の白いおもてをながめ、微笑みを返す。
見つめあっていると、やっぱりキスくらいはいいんじゃないかという気がしてくる。だんだん、胸の鼓動が高鳴ってきて困る。
「青蘭……」
「龍郎さん……」
体をぴったりよせあって、青蘭の赤い唇が視界いっぱいになるまで近づいていく……が、それが重ねられることはなかった。
ザクザクザク、ジャリジャリジャリと、土をふむ音が聞こえた。
(ああ……ほんとに来るんだ。今、来るんだ)
龍郎はため息をついて、縁側のほうをながめた。いつもと同じように障子は閉めてあるが、雨戸はあけたままだ。東北とは言え、六月にも近いこの季節だ。防寒の必要はなかった。
ザクザク。ザクザク。
足音にまざって、かすかに別の音もする。カチャカチャと固いもののふれあう音だ。
縁側のほうを枕にしてしまったから、そっちを見るためには首をひねって上を見るしかない。起きあがると霊を刺激しそうなので、まだ布団に入ったままにしておいた。
上目遣いに見ていると、たしかに人影が障子に映っている。かなり太った女……だろうか? 髪が肩先で風になびいている。それに腰のあたりが三角形にふくらんでスカートをはいているように見える。
(あれ? 変だな。千雪さんは男のろくろ首だと言ってなかったか?)
人影はしだいに近づいてきて、縁側をあがってきた。そのとき、ガタガタと金属のふれあう音が強くした。スカートなんかじゃないと、やっと龍郎は気づいた。
(武士だ。落武者なんだ。こいつ)
しばらく影を凝視していた。
落武者は縁側に仁王立ちになったまま動かない。
いきなり襲ってくるのだろうか?
これまでの悪魔……とくに怨霊が悪魔化したものは、うむを言わせず襲ってきた。彼らは無念な思いを晴らせず魔物になってしまったものだから、人間のころの心なんて残っていない。
しかし、落武者はガチャガチャと鎧の音をさせながら、そこに座りこんだ。
「六郎はそこにおるか?」と、武者は言った。
おかしい。上級悪魔以外と会話が成立することは、まれだ。
「六郎はおるか? そこにおるのだろう?」
龍郎は布団の上に起きあがった。
青蘭が手をにぎったまま、ひきとめようとした。が、このままでは正体もわからないし、悪魔にしろ怨霊にしろ祓うにかぎる。
龍郎は枕元に武者の影と対峙するように正座した。そして
「六郎はいない。おまえはなぜ、六郎を探しているんだ?」
返事はなかった。
しばらく、影は障子越しに、こっちをうかがっているようだった。
数分。
龍郎はそのままの姿勢で武者と向かいあっていた。
(あれ……?)
影がどこか、さっきまでと違う。だが、どこが違うのかわからない。間違い探しのような気分で、じっと見つめる。
やっと気づいた。
髪が短くなっている。さっきは肩の下まであったはずなのに、肩から少し浮いている。いや、髪が短くなっているわけじゃない。首だ。首が長くなっているから、そんなふうに見えるのだ。髪が長いのでよくはわからないが、二十センチは伸びた。
(ろくろ首だ)
月が隠れたのか、急に暗くなった。
障子に映る影が見えなくなる。
そのとき、また外から声が聞こえてきた。
「おお! やはり、いるではないか。六郎だ。六郎をよこせ!」
声は上から聞こえる。
龍郎が声のしたほうを見あげると、欄間のすきまから男の顔がのぞいていた。
「ここには六郎はいない。誰のことを言ってるんだ?」
「六郎をよこせ。六郎をよこせ。さすれば約束をたがえたこと、許してやらぬものでもないぞ」
「約束?」
それきり、会話が成立しなくなった。
武者は下を見ながら、何度も頭部を欄間に打ちつけては「六郎をよこせ!」とさわぎたてた。
どうやら、武者の言う六郎とは、青蘭のことのようだ。
龍郎は立ちあがって障子に手をかけた。しかし、神父が布団からとびおきて制した。
「今はよせ」
「なぜですか?」
「退治するつもりだろう? 深い事情がありそうだ。毎晩、来ては帰っていくというから襲ってはこない。もう少し調べてからでも遅くない」
「なるほど」
これが経験の差か。
いちいち、もっともな助言をしてくれるのが悔しい。
とは言え、神父の言葉どおりなので、龍郎は布団の上に座りなおした。
ところが、そのときだ。
二階から誰かがおりてくる足音がした。
まさか、千雪だろうか?
あるいは、千雪の妹。
いや、違った。
「ぎゃー! 出たーッ!」
清美だ。
きっとトイレにでも行きたくなったのだろうが、なぜ、夜中に化け物が来るとわかっている家で、こうも無防備に行動できるのだろうか?
しょうがなく、龍郎は障子をひらいた。こうなれば退治するよりない。
勢いよく障子をあけはなち、龍郎はそこに立つものを見た。
ギョッとする。
想像とはかけ離れた姿だったのだ。
それは、たしかに落武者だった。日本の中世の
ろくろ首ではなかった。
斬首された武者の霊なのだ。
武者は障子があいたのを見て、カッと両眼を見ひらいた。頭が室内に飛んで行く。体は抜刀して切りかかってきた。
龍郎は右手を伸ばし、男の腹にふれる。悲鳴があがり、男の体は光に包まれる。悶絶しながら生首が外に退却していった。ふらふらと飛んでいく。
龍郎は裸足で追っていった。
龍郎も山育ちだから、裸足でかけまわるのは平気だ。
だが、うねるように飛びながら、武者の生首は、やがて闇にまぎれた。
了
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