さわやかくん
よこすかなみ
さわやかな人
大学二年になってから新しくカフェのアルバイトを始めた。お客さんが注文したものを自分でテーブルまで持っていき、片付けも自身で行うセルフサービスの、価格帯が低いよくあるカフェだ。
そこの同じアルバイト店員に、いけ好かない年下の男がいた。
斉藤奏也(さいとうそうや)。専門一年。俺は心の中で「さわやかくん」と呼んでいる。
何がいけ好かないのかというと、あだ名通り、無駄に爽やかなのだ。
具体的なエピソードを話そう。
新しく始めたといってもこのバイト先でもう半年経った俺よりもさらに最近に入ってきた高校生の女の子が失敗をした時の話だ。彼女はコップを割ってしまい、掃除用品がどこかもガラスをどう処理すればいいかも分からずあたふたしていた。これはいかんと思ったが彼女同様イマイチ分からない俺を遮ってやつは「僕がやっておくよ」と爽やかスマイルをぶちかましたのだ。
後日、シフトが重なって仲良くなった女子高生が俺に話したのは、さわやかくんへのささやかな恋心。恋愛相談を受ける羽目になったのだった。
知らん、あんなやつの落とし方なぞ。
なんて無下にするわけにもいかないので、俺は彼女の希望通り、さわやかくんの好みやら趣味やらを聞き出すために意識的に彼と仲を深めることになったのだが、知れば知るほど爽やかで腹立たしい。
そう、俺がさわやかくんをいけ好かないと思っているのは、完全な嫉妬である。
他の軽いエピソードも追加しておくと、カウンターで女子高生に名前やシフトを聞かれたり、常連のマダムに手土産を貰ったりしている。それも一度や二度ではない。
年齢問わず女子にモテるわ、顔はいいわ、性格はいいわ。
そりゃあ嫌味ったらしいあだ名の一つも付けたくなるってもんだろ?
「なんだか今日は疲れましたね」
月明かりが綺麗な夜道。クローズ作業を終えて、俺たちはバイト先から最寄りの駅までの数分を一緒に歩いていた。
女子高生の淡い片思いを応援することになった俺は、やつの情報を得るべく沢山話しかけるようにしていたのだが、それが功を奏したのか、さわやかくんは若干俺に懐いてきた。気がする。
「いつもより多かったよな、お客さん」
「何かイベントでもあったんですかね」
言われてみれば駅前がいつもより賑わっていたような。今日は遅刻ギリギリを攻めてしまったせいで、周りに目を配る余裕がなかった。
なんとなく足元にあった小石をコロン、と蹴った先に誰かが立ちはだかっているのに気づいた。
こんな道の真ん中で邪魔だなぁ、と思いながら避けようとすると、さわやかくんも隣で立ち止まってしまっていた。
「…………」
「?どうしたんだよ?行こうぜ」
「久しぶりだな」
俺が様子のおかしいさわやかくんに声をかけた直後、通せんぼをしていた男が口を開いた。ガタイの良いスキンヘッドが月の光を反射している。耳や口にピアスを複数つけていて、そこはもう穴が空いているのになんでわざわざ別の穴を開けるんだろう、と見当違いなことが浮かんだ。
「……今、先輩が一緒だから、場所を変えよう」
黙りっぱなしだったさわやかくんがいつもより低い声色と共に相手に顎で示した。スキンヘッドはふん、と鼻で返事をするとついてこいとばかりにずんずんと大股で歩き始める。
「それじゃ、先輩、また」
「あ、あぁ、うん」
さわやかくんは、いつもの爽やかな笑顔を俺に向けると、彼とは正反対のジャンルに位置する、体格が二倍くらいも違う男の後ろにおとなしくついて行ってしまった。
あーんな気になる素ぶりを見せられて尾行しないわけないだろ。
気づかれないように距離を開けて追っていたせいで、一瞬見失ってしまったが、すぐに二人は見つかった。二人というか、四人になっていた。
人目のつかない路地裏の裏。明かりも薄暗く狭いところで、さわやかくんとスキンヘッドが対峙していたのだが、スキンヘッドの後ろにはもう二人増えていた。
どう考えても不穏な気配しかない。さわやかくんのことはいけ好かないと常々思っていたが、誰かにボコボコにされちまえとまでは願っていないぞ。
どうしよう、俺も加勢した方が良いんだろうか。なんて悩んでいるうちに、さわやかくんが背負っていたリュックを隅に投げ捨てた。それが合図になったかのように三人が彼に一斉に飛びかかる。
俺は思わず顔をそらして目を瞑った。
結論から言うと、さわやかくんは無傷だった。
今までの虫も殺さぬ笑顔はなんだったんだと聞きたいくらい、めちゃくちゃ喧嘩が強かった。
三対一で、多勢に無勢。けれどあの身のこなしはきっと大勢を相手にする戦い方を知っている。今まで何度もそういう喧嘩をしてきたんだろうな、とすぐに察せるような、手慣れた勝利。
地面に倒れて気絶している柄の悪い三人の中で、スポットライトみたいな月明かりに照らされながらぽつんと服の汚れをはたいている彼は、なんだかとても不気味に感じて、目が離せなかった。
目が離せなかったので、バッチリと目が合った。
彼がゆっくりとこちらに近づいてきた。俺は観念してそれを待つ。
「……先輩、見ちゃいましたか?」
しゃがみ込んでいた俺に合わせて、さわやかくんが膝に手をついて腰を折った。いつもの笑顔を顔面に貼り付けて。
「……俺も殴るのか?」
「しませんよ、そんなこと」
困ったように彼は笑った。頬についた返り血を親指で拭い取る。
「ただ、このことは秘密にしておいて欲しいんです。やっと見つけた、普通のバイト先なんで」
ちょっと話しましょうか、と彼は近くの公園に俺を誘った。
夜の公園のベンチに俺たちは腰を下ろす。口止め料のつもりか、さわやかくんは自販機で缶ジュースをおごってくれた。
「……俺、高校の時までずっとグレてたんです、地元では結構有名で」
さわやかくんがポツリポツリと話し始めた。
「でも妹が小学校に上がるので、その時に兄貴がこんなんじゃ嫌だろうと思って、不良やめようって。馬鹿な俺でも入れるような専門学校に入学して、それを機に一人暮らしも始めました。最初はそれでも俺のことを知ってるやつが喧嘩を吹っかけてきて、……さっきみたいに、それに乗る毎日でした。多分、俺の中で、喧嘩出来なくて消化不良を起こしてた部分もあると思います……。それですぐにバイトも遅刻とかでクビになっちゃって……。最近やっと落ち着いてきて、今のバイトなんです」
俺は聞きながらジュースをグビリと煽る。さわやかくんは自分の缶ジュースを手の中でくるくると回していた。
「だから、お願いします。このことは誰にも言わないでください。折角見つけた居心地のいいバイト先なんで、辞めたくないです。俺、なんでもしますから……」
暴力を振るっていた時とは全く違う表情。ふるふると震える大きな瞳で俺を捉えていた。汗ばんだ硬い手が俺の右手をぎゅっと握ってくる。
俺はその顔を見つめてながら、一つの案が思い浮かんだ。
「…………なんでもすんの?」
「で、出来る範囲でお願いします……」
俺の問いに尻すぼみになる返答。俺は握られていた手を振り払い、飲み干した空き缶を近くのゴミ箱に投げ入れた。
「じゃあ、今度俺んち来いよ」
「え……先輩の家に、ですか?」
「そう」
俺と喧嘩しようぜ、と言うとさわやかくんは嫌そうに眉を顰めた。
後日。
「……先輩の家、道場なんですね……」
貸出用の道着の帯を締めながら、さわやかくんは物珍しそうにキョロキョロと周りを見渡していた。
「親父がやってるんだけどね、お陰様で俺も結構強くなったよ」
俺もキュと帯を締めて、さわやかくんに向かい合う。今にも取っ組み合いが始まりそうな空気に彼は少し慌て始めた。
「お、俺ルールわかんないんですけど、いいんですか?」
「いいよ、ただし、急所はなしな」
じゃあ始め、と俺が適当に宣言して、俺たちの喧嘩が幕を開けた。
「……はあ、先輩、めちゃくちゃ…はっ…強いじゃ、ないですか、はぁっ」
「お前もな……」
一通りやり終えて疲れたので、壁に背中をつけた姿勢で、俺たちは座って休んでいた。
各々持っていたペットボトルのスポーツ飲料をガブガブと喉に押し込むと、体が喜んでいるのを感じる。
「…………」
「…………」
しばらく息切れと沈黙が流れた。
お互い息を整えながら、頭に酸素を送り込んで、何か話題を探している気配だけが淀んでいた。
「……お前さ」
「はい?」
先に沈黙を破ったのは俺だった。
「なんか喧嘩出来なくて不完全燃焼してる、みたいなこと言ってたじゃん。そんなに体動かしたいなら、たまになら俺が相手してやってもいいよって」
思っただけ。だからここに呼んだの。そんだけ。
そう付け加えると、さわやかくんがキラキラとした瞳でこちらに尊敬のような羨望のような眼差しを向け始めた。
「……俺、先輩のことすごく爽やかな人だと思ってました」
「そりゃお前だ」
「めちゃくちゃ空手強いなんてギャップですね」
「それもお前だ」
一体俺のどこが爽やかだったっていうんだ。お前の目は節穴か。
「いや先輩の接客スマイル爽やかすぎて常連さんに先輩の名前とかシフトとかよく聞かれるんですからね、俺!」
はいはい、お気遣いどうも。俺は単純だからそれが嘘でも全然嬉しい。
「……決めました」
何を?
「俺、ここの道場入ります!それで、先輩に弟子入りします!!」
よろしくお願いします!!とさわやかくんは勢いよく頭を下げた。
ちょっと待ってくれ。
話がなんだか予想とは違う方向に逸れまくっている気がするぞ。
俺は両手を前に出して彼を宥めるように拒否した。
「とりあえず、入門するなら俺じゃなくて親父に言ってもらえる?」
ついでに、同じバイトの女子高生にやつはやめておいた方がいいと、誰か伝えといてもらえますか。
終わり
さわやかくん よこすかなみ @45suka73
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