第13話 クリスマスに灯る都会の星

「先輩、今日も残業ですか?クリスマス・イヴなのに」

 退勤時刻を迎えた後輩の神崎めぐみが、デスクの上に置いてある物を自分のバッグに仕舞いながら、僕に話し掛けてきた。

「残業って言っても、この原稿をチェックするだけだから、あと一時間くらいだけどね」

 僕が出版社に勤めて今年で六年、神崎は三年後輩で、彼女が入社した時には僕が教育係として任されていた。

 神崎は大学生までバレーボールをしていたらしく、体育会系の名残りなのか、皆が名字で呼びかける中、一人だけ僕のことを『先輩』と呼んでいる。でも、他の先輩達のことは『〜さん』と呼んでいるから、きっと僕には、あだ名みたいなものだろう。

「何か手伝いましょうか?」

 神崎は僕に気を利かせたのかもしれないが、人の手を借りるほどの仕事でもない。

「そんな手伝ってもらうほどの仕事じゃないよ。そっちこそクリスマス・イヴなんだから、早く帰れよ」

「残念ながら、私も予定はありません」

『私も』と決めつけて言うのは気になったが、確かに残業をしようがしまいが、僕にはこの後の予定など何もない。

「何、暇なの?」と僕が訊ねると、神崎は「暇ではないけど、時間はあります」と答えた。

「手伝うので、早く終わらせて飲みに行きましょうよ」

 まぁ、僕も予定があるわけでもないし、クリスマス・イヴに一人でラーメンを食べるのも味気ないから、この誘いはちょうど良い。

「いいけど、どこも店は混んでるんじゃないか?」

「そんな、今日混んでそうな雰囲気の店に、先輩のこと誘いませんよ」

 三年経った今でも、この鼻につく喋り方は変わらない。でも、彼女には持ち前の美顔と愛嬌があるので、男連中は神崎のことをチヤホヤするが、元々教育係だった僕は、特別扱いなどしない。

「じゃあ、この原稿に誤字脱字がないか、再チェックしてくれ」

「えー、それなら校閲に頼めばいいじゃないですか」

 僕を待っている間が暇だろうと思ったから、別に自分でもできる仕事を託したのに、面倒くさいことを押し付けられたと思われてもたまらない。

「あのなぁ、校閲の人間だって原稿チェックしたら、間違いだらけの原稿書いた奴を馬鹿だと思って、ミスのない原稿は優秀だと思うだろ?目の前にいる人間だけに優秀だと思われたってダメなんだよ」

 神崎はから返事をして原稿のチェックを始めた。まぁ、いい加減にチェックされても、たぶんミスの無い原稿だから別に良い。それこそ最終確認は、校閲部でもしてくれる。

 でも、神崎は社内でも男性からの人気が高いから、クリスマス・イヴを過ごす彼氏くらいはいないものかと思ったが、昨今はそんなことを聞けばセクハラ扱いされるから厄介だ。

「先輩、クリスマス・イヴなのに彼女とかいないんですか?」

 女は卑怯だ……男は腫れ物に触るように接しているのに、そんなことは考えもせず、躊躇なく言葉を発する。

 それで僕がセクハラ被害者だと言えば、周囲から男らしくないと言われるだけだろう。

「一人の方が楽だから、いいんだよ」

 僕が強がったことを言うと、神崎は自分から問い掛けた質問の答えを、まるで興味も無さそうに『ふぅん……』と言うだけ。


「オリンピック、国立競技場見ました?」

 僕からは特に何も話し掛けることなく仕事を進めていると、沈黙に耐えられないのか、神崎は人の話は聞かないくせに、自分からは話し掛けてくる。

「テレビで見たよ」

「で、どうですか?」

「どうですかって?何が?」

「完成を見た感想。先輩って、人が作ったものにしか興味ないでしょ?」

 その件に関しては、以前にも話したことがある。昔は山や滝のような自然の物に興味があったけれど、出版社のような『もの作り』の仕事に携わってからは、人が作った物や作品の良さを覚えたと話しただけなのに、神崎は人の話を端折って聞いているから、変な捉え方をしただけだ。

「先輩って、もしかして『満天の星』よりも、街中のイルミネーションの方が綺麗って思う系ですか?」

「だから、どっちも綺麗だよ。ただ、自然の美しさには『神秘』を感じるけど、人が作った物には『技術と努力』が垣間見えるって話」

 神崎は、また人の話に『ふぅん』とだけ言っている。

「じゃあ、クリスマス・ツリーみたいなのがちょうどいいですね」

「何のことだよ」

 何をイメージしたのか分からないが、神崎の言うことは理解できなかった。

「自然に生えたモミの木に、人が飾り付けするじゃないですか。このビルの下にあるのだって、誰かが飾り付けしたんだろうし」

 その視点でクリスマス・ツリーを眺めたことは無かったが、言われてみれば彼女の言う通りだ。

「あ、それならイルミネーションも、街路樹とかに飾ってあるのは同じことか……じゃあ、クリスマスって『技術と努力』だらけですね」

 時々見せるこの純粋さが、男性人気の理由だろう。僕は素直に、「そうだね」と応える。

 田舎から東京に出てきた僕にとって、都会の生活には息苦しさを感じる時もあるが、何故か冬は心が落ち着く。

 満天の星が見えない都会でも、クリスマスに灯る明かりを見れば、それで夜の始まりと、季節の変わり目を知ることができる。

 クリスマスのイルミネーションは僕にとって『都会の星』だ。


「あとさ神崎、僕のことだけ『先輩』って呼ぶのやめない?」

「何ですか急に?まるで、付き合いたての彼氏みたいなこと言い出して」

 そんな捉えられ方をするとは思わなかったから、僕は慌てて弁解する。

「ちがうよ!他の人は『何々さん』って呼ぶのに、それだと僕だけが先輩みたいだろ?」

「わかりました、じゃあ今日から『先輩さん』で」

 神崎の答えが頓知のようで、僕は思わず声を出して笑った。


 残業仕事を終えて会社のビルを出ると、外はすっかり暗くなっていて、表に飾られているクリスマス・ツリーは鮮やかにライトアップされていた。

「あぁ、まだ結構残ってる人がいるんですね……」

 神崎はポツリ、ポツリと明かりの見えるビルの窓に目を向けると、『お疲れ様です』と言いながら、頭を下げている。


 その明かりの中では、今も誰かが努力している。

 僕にとってクリスマスに灯る明かりは、全てがイルミネーションであり、それも『都会の星』だ。


〜クリスマスに灯る都会の星〜

  

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