第8話 恋する少女のコンサート
まだ小学生になったばかりの頃、クリスマスの日にお母さんと一緒に聴いたブラスバンドの演奏……あの日から私はずっと、堀北高校吹奏楽部のファンだった。
それから毎年、クリスマスの夜に区民センターで行われる演奏を聴くと、私もいつか、この高校の吹奏楽部に入りたいと思っていた。
そして中学生になると、私は吹奏楽部でトランペットを吹きながら必死で受験勉強に励み、念願の堀北高校に入学。
そして今年のクリスマスは、幼い頃から客席で聴いていた、憧れの演奏会にプレイヤーとして出られる……それは私にとって最高の幸せ……だと思っていた……私に彼氏ができるまでは……
音楽のことばかりだった頭の中に、片山先輩の存在が飛び込んできたのは、夏休みが明けた九月のこと。
私が朝練の集合時間より三十分早い音楽室で、マウスピースを吹きながら窓の外に見える校庭を眺めていると、片山先輩も校庭で一人、サッカーボールを蹴っていた。
一つ歳上でサッカー部のエースである片山先輩の姿を『やっぱり努力は必要なんだなぁ』と感心しながら見ていると、私と目が合った先輩がにっこりと笑った。その笑顔が私の人生で初めて音楽以外に惹かれたものだった。
次の日から私は、朝練の時間より四十分早く校門を潜ると、これまで音楽室へ直行していた足が、校庭を立ち寄るようになっていた。
すると先輩はいつも、それよりも早く来てサッカーボールを一人で蹴っていた。
「おはよう、今日も朝練?頑張るね。うちの一年も見習ってほしいよ」
先輩から話しかけてもらえるのが嬉しくて、その度に私の心は引き寄せらると、朝が来るのが待ち遠しくて眠れない夜が続いた。
そんな毎日を繰り返しながら二ヶ月が過ぎたある日、私の頭の中から完全に音楽が消えた。
「僕と付き合ってほしい」
まさか、サッカー部のエースで、学校中の女子が憧れる片山先輩から、私が告白されるなんて夢にも思わなかった。
私は、この願ったり叶ったりであるプロポーズに即答でOKして、先輩の彼女になった。
この交際には、他の女子や先輩たちから睨まれるような試練もあるが、そんなことはどうでもよかった。
夕方のデートをして、夜はLINEでメッセージを送り合って、それでも足りないと電話で話して、朝練の時間には一緒に登校する毎日。
この幸せを絶対に手放さない!片山先輩の彼女に相応しい女になる!そして、迎えるのは、初めて彼氏と過ごすクリスマス……のはずが、なんでコンサートなんだろう……
「はぁ……最悪……」
最近は、同じ吹奏楽部の友達である友美に愚痴をこぼしている毎日。
「またぁ、最近そればっかり。片山先輩と付き合えただけでも満足しなさいよ」
「だって、初めてのクリスマスに一緒じゃないんだよ」
「仕方ないじゃん、クリコン《クリスマスコンサート》の本番なんだから、ずっと出たかったんでしょ?」
確かに片山先輩に出会うまでは、そうだった。けれど今は、二人の恋にとって邪魔な存在でしかない。
「まぁ……それは、彼氏がいなければの話ね」
「あんた、それ、私のこと彼氏のいない暇人だって言ってるの!怒るよ!」
決してそういうつもりで言ったのではない、ただ人の優先順位はそれぞれ違うもので、私にとっては一番大切なのは片山先輩なだけ。
もし、クリスマスを一緒に過ごせないとなれば、先輩だって一緒にいられる彼女の方が良いと思って、振られるのではないか……と、恐怖すら覚える。
あぁ、私はなんて不幸なんだろう……イヴの日だってリハーサルだし、せめてリハだけでもサボっちゃおうかな……でも、そんなことしたら、全員に白い目で見られて、もう部活にいられなくなるだろうな……あぁ、一層のこと辞めちゃおうかな……なんで世間のカップルがデートしている日に、私は彼氏と会えないんだろう……
こんなことを悩んでいるうちに、もしも片山先輩が、私のためにサプライズなんて考えてくれていたら、どうしよう……
『その日は会えません』なんて言ったら、『お前みたいな、吹奏楽バカとは付き合えない』って言われるだろうな……
でも、はっきり言うしかないんだ……私は、あなたとクリスマスを一緒に過ごすことは、できません……と。
そうやって決心すると、私は自分の恋に苛立ちを覚えた。
電話で話そうと思ったが、声を聞きながら伝える勇気が持てずに、LINEのメッセージを送ることにした。
『先輩、クリスマスのことなんですけど』
ここまで文字を打って、その後に何と付け加えれば良いだろう……何も思いつかないので、とりあえずその一文だけ送って反応を待つと、直ぐに既読となり、メッセージが返信された。
『クリスマスコンサートでしょ?』
知ってたんだ?そりゃ知ってるよな、同じ学校なんだから。なら、私が何も言わないことを怒っているんじゃないかな……と思いながら、次の日メッセージを送る。
『ゴメンなさい、だから一緒にいれなくて……』
そのメッセージも直ぐに既読されると、返信も早かった。
『楽しみにしてるからね!』
楽しみ?どういうことだろう……私は訳がわからずに、思ったことをそのまま文で送った。
『楽しみ?何で?』
『そりゃ、楽しみだよ。彼女のコンサートだもん』
そのメッセージに続いて『ガンバレ!』と、クマのキャラクターが言っているスタンプが送られて来る。そして、次のメッセージを読んだ時、私は忘れていたことを思い出して涙が出た。
『きっと、みんながコンサートを楽しみにしてるよ!』
去年までの私も、私にとってクリスマスは彼氏どころか、プレゼントでもケーキでもなく、コンサートの演奏を聴くことだった。
あの客席に座る人たちは、クリスマスには他にも沢山のイベントがある中で、私たちの演奏を聴きに来る。
そんな人たちが楽しみにしていることを、私はまるで罰ゲームのように思っていたことを考えると、自分が情けなかった。子供の時の私だって、そんな演奏を聴いたら残念な気待ちになっただろう。
きっと、今までの先輩たちはコンサートに来た人たちを『喜ばせたい』『楽しませたい』と思っていたはず……
クリスマスにケーキを作る人だって、売っている人だって、テーマパークで働く人たちだって、イルミネーションの明かりを点灯する人だって、きっと私みたいには考えていない。誰かにとって最高のクリスマスにしたいと思っているはず……
私は『誰かのために、誰かがいる』その大切さを忘れて、自分のことばかり考えていた。そもそも片山先輩のことを、それで怒るような器の小さい人間に見ていたのが失礼だった。
『ありがとう!頑張るね!』と片山先輩にメッセージを送ると、『友達誘っていくからね!』と返信が来た。私が好きになった人は、とても優しくて素敵な人だった。
クリスマスコンサートの当日、片山先輩は男友達と二人で一番前の席に座っていた。
舞台袖から出てくる私と目が合うと、拍手をしながら初めて目が合った時と同じように、にっこりと笑ってくれた。
けれど、私は片山先輩だけにトランペットを吹くんじゃない。この舞台に立つことを憧れていた自分と、客席にいる全員のために演奏するんだ。
片山先輩の隣に、小さな女の子が座っているのが見えた。それはまるで昔の自分を見ているようで、神様から『大切なことを忘れるな!』と言われているようだった。
スポットライトが舞台に当たると、心が躍った。最高のコンサートにしよう!ここにいる全ての人にとって、今日が最高のクリスマスであるために!
〜恋する少女のコンサート〜
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