第三章 4 喪服の新公爵

「クラウビッツ城へようこそ。お待ちしておりました」


 声のするほうをふり返ると、回廊の円柱の陰に黒衣の人物が立っていた。

 背後でコツコツと遠慮がちに階段を降りる音が聞こえる。

 ここまで案内してきた奉公人の中年のフィジカル女性は、無言のまま立ち去っていた。


「ベルジェンナ辺境伯領の筆頭騎士、ロッシュです。ご要請に従い、ランダール公国への助勢にはせ参じました。何なりとお申しつけください、ユングリット公爵」

「その呼び名には、まだどうしてもなじめませんの。どうぞ、ただのユングリットとお呼びください」


「それもご無理ありません。ご心中お察しします。では、レディ・ユングリット。このたびの父君ボルフィン公の突然のご逝去、ベルジェンナ伯ペレイアになり代わりまして、深くお悔やみを申し上げます」

「痛み入ります。でも、そのような堅苦しいお言葉ももうけっこうですわ。人の心が形ばかりの慰めの言葉では癒されぬものだということを、つくづく思い知らされました。弔問はできるだけお断りして、この数日はどなたにもお会いしておりませんの」


〝煙るような眼ざし〟と称えられた神秘的な美貌は、悲しみのベールをうっすらとまとっているために、なおさら視線が焦点を結んでいる先をあいまいにして、相手に心のありかを容易に読み取らせなかった。

 漆黒の長いドレスが服喪の意味を表しているのは当然だったが、襟から胸元にかけて、この地に産する有名な瑠璃色の石の破片が散りばめられ、豊かな胸のふくらみが上下するたびに蠱惑的にきらめいている。

 名工が丹精した彫像のような白皙の肌と、それはみごとな対照をなしていて、どんな派手な衣装にもまして豪奢なものに感じさせた。


 ロッシュは長い階段を上がってきた。

 ここはクラウビッツ城の最上部にあたる。

 なのに正方形の大きな池がしつらえてあり、白壁の回廊が取り巻いていて、まるで地上の瀟洒な庭園にいるかのように錯覚してしまう。

 円柱に支えられた回廊の屋根より高いものは、四隅にそれぞれ立つ円塔だけである。

 この簡素で品のよいたたずまいとたたえられた静けさが、何よりも贅沢なものに思えた。


 ユングリットは、そよ風にでも誘われたように、何の前ぶれもなくフラリと回廊を歩きだした。

 ロッシュは無言でその後に従った。

 ユングリットはいきなりスッとかがみこみ、優雅に膝を折って池に手を差し入れた。

「地下から地熱で温まった水を引き込んでいるのです。ですから、一年を通してこのように水草が青々として、かわいらしい小魚も元気に泳いでいられますの」

 ユングリットの白い指先をなめるように、小魚の影がすばやく動いた。


 無人の回廊はずっとひっそりと静まりかえっている。

 池の端に立つ石像が頭上にささげ持つ皿にはエサが盛られているらしく、ときおり小鳥が舞い降りてきて、そのさえずりが回廊の壁に反響して静けさをより際立たせる。


(ここは、カスケード城と同じだ――)

 ペレイア伯爵の住むベルジェンナのカスケード城は、もともとフィジカルの王の夏の離宮だったものだ。

 どちらの城も浮世の生臭さは皆無で、まさに貴族的な優雅さと安らぎだけが領している空間である。


 ビュリスの街にある王宮は華やかで大国にふさわしい規模を誇り、どこにでも人影があって声が響いていた。

 ベルジェンナのほかの騎士たちは、今ごろそこで盛大な歓待を受けているはずだった。

 それに対して、クラウビッツ城は王族だけの私的な住まいということなのだろう。

 彼女は『クラウビッツ城へようこそ』と言ったのだ。

〝ランダールへ〟とも〝ビュリスへ〟とも言わなかった。


「あれが『王の塔』です。そしてあちらが『王妃の塔』。後ろに見えるのが『王子の塔』と『王女の塔』と呼ばれています」

 ロッシュが視線をめぐらせているのに気づき、ユングリットがそれぞれの塔を指さして説明してくれた。

「わたくしは王女の塔に住んでおります。そこの居間にお茶を届けさせましょう」

 そう言うと、ユングリットは優雅なしぐさでクルリときびすを返した。


「その前に、ボルフィン公の居室を見せていただけませんか?」

「あ……ええ」

 ロッシュの頼みに、ユングリットはとまどったように足を止めた。

「ボルフィン公には、幼年学校のときに本を拝借しにうかがったことがあるのです。お会いしたのはそれ一度きりですが、お気に入りの生徒に教えを授けるかのように、膨大な書籍であふれた書斎の中を案内してくださいました。今も居室は同じような雰囲気なのでしょう? できれば、そこで亡きお父上を偲びたいのですが」


「お気持ちはよくわかります。でも、父が亡くなってから閉したままで、片づけもすんでおりませんの。ずいぶん散らかっておりますわ」

「わたしならいっこうにかまいません。ブランカの書斎もそうでした。かえって懐かしい気持ちになれるにちがいありません」

「それほどおっしゃるなら……」

 ユングリットは小さくうなずき、王の塔へと足を向けた。

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