第三章 3 ボルナーデの〝真意〟
「寮母さまは、飛空艦乗りにとっていちばん大切なものが何であるか、おわかりになりますか?」
「さあ、何でしょう」
「〝眼〟ですよ。もちろん、あの出来事のような瞬間を正確にとらえる優れた視力も大切ですが、雲の流れや樹々のなびき具合から風の向きや強さを読み、山岳の形や地上の風景が移りゆく様子から自艦の位置をつねに把握しておく力――そういうものをすべて含めての〝眼〟なのです」
「ほう……」
ミランディアにはまだ、ボルナーデが何を言いたいのかよくわからなかったが、彼の熱のこもった語り口に強い興味をかき立てられた。
「人には二つの眼しかありません。ですから、寮母さまもご覧になったように、艦橋の前後左右の窓に常時何人も監視を張りつかせておるのです。しかし、彼らのいちいちの報告は、ほんの補助的なものにすぎません。上下、左右、前後、ありとあらゆる方向に同時に眼を配っているのは、艦長である私なのです」
「なるほど。そういうことなのですね」
ボルナーデはミランディアの反応を確かめ、うなずき返した。
「そのとき私は、艦の周囲で生起し、展開している事象のすべてを感じています。言ってみれば、私はあの巨大な飛空艦と一体化しているのです。空高く浮かぼうと全身に力を込め、なんとかあそこまで達しようと意思します。すると、それが必要な指示となって自然と口をついて出て、艦がそのとおりに動きだすことになります。私は、自分自身の身体が、思い描いたとおりに、なめらかに移動してゆくのを感じます。自由に、自在に飛ぶとは、そういう感覚なのですよ」
「まあ。では、艦長は、わたくしにウソをおつきになったのね。本当は、飛空艦乗りの醍醐味は、その感覚にこそあるのだ、と」
「申しわけありません。寮母さまをあまりうらやましがらせても酷ですからな。しかし、まんざら嘘でもないのは、思いどおりにいかなくて、いらいら、ヒヤヒヤしている状態がほとんどだからなのですよ」
「でも、艦長が今のお話で何をおっしゃろうとしているのか、わたくしにはわかった気がしますわ」
「おわかりになりますか?」
「こうおっしゃりたいのでしょう。あの草原で起きていたことは、飛空艦の艦橋からすべてご自分の視界に入っていた、と。逃げるカナリエルたちも、追いすがるロッシュも、盗賊と追跡隊の戦いも、ゴンドラから狙撃する射撃隊も、その動きのいちいちを艦長はすべて感じ取っていらっしゃったのだ、と」
「寮母さまの慧眼には何度も驚かされてしまいますな。まさにそのとおりです。ご息女が馬から転落されたのも、そのときロッシュの銃口から硝煙がたなびいていたのも事実でしょう。しかし、それは全体の中のほんの点にすぎない。もちろん、ロッシュに恋人を射つ意思などなくても、わずかに手元が狂ったかもしれない。ご息女が、たまたま予測できない動きをしてしまったのかもしれない。どちらもありうることだし、その両方かもしれない。しかし、可能性はそれだけではありません」
「それだけではない?」
「一方にご息女たちの逃走があり、もう一方に盗賊どもとの戦闘があり、プロヴィデンスも戦いに加担しておりました。あのときの私は、まさに全方位に神経をとぎすましている状態でした。その感覚でとらえ直してみれば、いささか距離がありすぎますが、盗賊どもが撃った流れ弾だったという可能性だってなくはありません」
「でも、可能性にすぎないのでしょう? 閣下がロッシュをかばいたいお気持ちはお察ししますが、わたくしが知りたいのは、あくまでも真実なのです」
「もちろん、それを知りたいのは私も同じです。ですから、あのときの感覚を懸命に思い出し、さらに起こりえた可能性を考え抜いたのです。すると、だれも思いついていないことに思い当たりました」
「それは、いったい何ですの?」
「プロヴィデンスの浮かんでいた位置こそが、ご息女を狙うのにもっとも適した場所だったということなのです」
「まさか、そんな……」
「いいですか。プロヴィデンスは、ご息女たちと戦闘のちょうど中間の地点にありました。十分に射程距離内ですし、しかも高度がありますから、密集して駆けるご息女たちを個々に狙い撃ちするのも、地上にいたロッシュよりずっと容易だったはずです」
「でも、あなたの部下の若者はおっしゃっていた――」
「ええ、リドレイはこう申したのです。『ご息女たちを逃してしまわないためには、ただちになんらかの手を打つしかない。だからこそ、次の瞬間に起こったことの意味がわかった』と。彼は、自分が期待したこと、つまり、ご息女たちを足止めする弾丸が放たれたと思った。ほぼ同時に、ロッシュの銃口が火を吹いたばかりなのも眼にした。彼は、その二つの事象をただちに結びつけ、ロッシュによって『なんらかの手』が打たれたのだと思い込んだ。そして、それが結果的に最悪の事態を招いてしまったのだ、と」
「若者の考えとしては当然ですわね。ですが、あなたは、そうではない、それはまちがっているとおっしゃるのね」
「私には、リドレイの結論は短絡的に過ぎると思われますね。彼は一点に集中するあまり、飛空艦乗りに必要な広い視野を欠いていました。もし彼がゴンドラからも狙撃が可能なのだと気づけば、すぐに周りを見回し、山脈側の銃眼から銃口を突き出している者を発見できたかもしれないのです」
「艦長がそうまでおっしゃるには、きっと何か根拠がおありになるのね」
ボルナーデは、いかにも確信ありげに深くうなずいた。
「カナリエルさまのご遺体を艦に収容し、ブランカに帰投すべくふたたび浮上したときでした。惨憺たる戦場がどうしても眼を引かずにはいなかった。瀕死の馬が力なく足掻き、血塗られた死体が転がっておりました。その中に、私は何か場ちがいなものを見た気がしたのです。何か、青いものが一つ、二つ、キラリときらめいたのです」
「戦場で青く輝くものといえば、旧帝国軍の甲冑ですわね」
「そうです。しかし、私は〝搭乗完了〟の知らせを受けてプロヴィデンスを発進させたのです。つまり、全員乗り込んだわけですから、たぶんあそこで甲冑を脱がせて応急手当てする必要でもあったのだろう、というくらいに了解して、そのときは気にもとめていませんでした。しかも、追跡隊に犠牲者は一人も出なかったと後で聞かされましたから、不審をいだく理由は何もありません。そのことを思い出したのはずいぶん後で……そう。あれは、アンジェリクの行きつけの酒場でのことでした」
ミランディアはベッドに片ひじをついて上半身を持ち上げ、ボルナーデの話のつづきに耳を傾けた。
「若い近衛兵たちが、帝国軍時代の手柄話に花を咲かせていたのです。私は、その会話をぼんやりと聞くともなく聞いておりました。中にロッシュの追跡隊に参加した者がいて、自慢げに語るうちに、そうそうたるメンツにはだれとだれがいたのかという質問が出ました。『ツェントラーやムスタークは飛空艦強奪には参加せず、ドミニオスなどは後から割り込んできた口だった。だが、正確にだれがいたかはもちろん、総勢で何人いたかも、実はよくわからないのだ』――そういう答えでした。そのとき、私の脳裏に、あの戦場にうち捨てられていた甲冑が、ありありと思い浮かんだのです」
「つまり、甲冑の主は、艦にもどらなかったのかもしれないというのですか?」
「ええ、まさにそういうことです。何一つ具体的な証拠があるわけではなく、そう決めつける根拠もないのですが、もしかしたら、盗賊の死体から衣服をはぎ取り、変装して逃亡をはかった者がいたのではないか、と私は想像するのです。そうまでして姿をくらまそうとする者がいるとすれば……」
「それが、プロヴィデンスからカナリエルを狙い射った真犯人かもしれないと?」
「そのとおりです。仮定に仮定を重ね、想像に想像を加え、やっと細い糸でつなぎ合わせたような推論なのですが……。しかし、飛空艦乗りとして、〝眼〟にはいささか自負するところがあります。その〝眼〟には、生きのびた盗賊どもが遠くの草原を散り散りになって逃げていく姿も映りました。あの中にきっと犯人がいたにちがいない――私はそう確信するのですよ、寮母さま」
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