第三章 2 病室でのめざめ

 めざめると、真上に見慣れた明かり取りの丸窓が見えた。

 だが、ブランカの最上階にある自分の居室なら、空の蒼さが映りこむか、雲の動きがぼんやりとでも感じられるはずだ。

 昼の明るさを模したものではあるが、光は平板で無機的な人工照明のものだった。


「ここは……どこ?」

「救護棟の病室ですよ、寮母さま」

 アラミクの声が聞こえた。

「まあ、ブランカなの? わたくし、ずいぶん眠ってしまったようね」

「ええ、鎮痛剤を数回投与しましたから。丸三日間お寝みになられましたわ」


「そんな大げさにすることはないのに。ちょっと気を失っただけなのです」

「ボルナーデ艦長は、そうはお思いにならなかったようですよ。あわてて下のゴンドラに通話してきて、『寮母さまが大変だ!』と大騒ぎなさるものだから、わたしは用心に持っていった薬箱を抱えて駆けつけたんです」


「なんですって? では、飛んでいる飛空艦の外をつたって艦橋まで登ったの?」

「いえいえ、とんでもありません。艦長がプロヴィデンスを野原に着陸させてくださったのです。それでも長いハシゴを艦橋まで登りきるには、心臓が止まりそうなほど怖い思いをしましたよ」

「まあ、うらやましいこと。わたくしも、あの一面に広がる草原にぜひ降り立ってみたかったわ」


「そうなのですか? 冬が間近に迫っていますから、草はみんな茶色っぽく立ち枯れてしまっていて、胸いっぱいに吸い込みたくなるような新鮮な匂いももうしませんでした。ほかのシスターたちは、寒そうだからとだれ一人外に出ようとしなかったくらいですよ」

「なんともったいない。外の世界を味わうせっかくの機会だったというのに……」

 マザー・ミランディアは口を尖らせて不満そうに言い、身体を持ち上げた。


「あっ、寮母さま。まだお起きになられては――」

「大丈夫。この先一週間睡眠をとらなくてもいいくらい、たっぷり眠ったんですからね。仕事も溜まっていることでしょうし……あつッ」

 ベッドから立ち上がりかけたところで、ミランディアは思わず頭を押さえてよろけてしまった。

 手に伝わる感触で、ぐるぐると包帯が巻かれているのがわかった。


「座席から落下したとき、床に頭を強くお打ちになったのですよ。ですから、もうしばらく安静にしていていただかないと」

 アラミクは、ミランディアの身体をベッドの上に助け上げた。

「……なんてことでしょう。一日だけの息抜きのつもりだったのに」

 ミランディアはフーッと長いため息をもらし、頭を羽枕にもどした。


「たまには激務を離れてゆっくりなさったほうがいいということですわ。ちょうど湯が沸きましたから、お茶をいれてさし上げましょう。頭痛もきっとやわらぎますよ。それに、もうそろそろいらっしゃる頃ですし」

「だれが?」

 ミランディアが顔を上げたとき、ドアに遠慮がちなノックの音がした。

 アラミクがドアを開くと、そこには飛行用の制帽をクシャクシャに握りしめた人物が心細そうに立っていた。


「まあ、艦長ではありませんか!」

 ボルナーデは、艦橋での威風堂々とした姿からは想像もつかない、おずおずとした足取りで病室に入ってきた。

「ついにお眼覚めになられたのですな。私は、もしやこのままずっと意識がおもどりになられないのではないかと気が気ではなくて……」

 やっとそう言うと、ボルナーデはベッドの脇の座椅子にクタクタと腰を落とした。

 喜びと安堵の入り混じったその眼には、今にも涙が浮かんできそうだった。


「ご心配をおかけしましたわね、艦長」

「寮母さま。艦長閣下は、毎日何時間もそこにお座りになって、ずっと祈るように寮母さまの手を握っていらっしゃったのですよ」

 アラミクが口添えすると、ミランディアは驚いてボルナーデの顔を見上げた。

「まあ、本当ですの? なんて嬉しいこと!」

 すると、ボルナーデの顔がたちまち真っ赤に染まった。


「い、いいえ。寮母さまがお眠りになっていることをいいことに、わたくしめはとんでもない無礼なことを……。それに、感謝していただくような資格など、私にはありません。こうなったのは、そもそも私のせいなのです」

「そのように責任をお感じになる必要はございませんわ。カナリエルの死の真相を知りたいと申したのは、このわたくしのほうなのですから」


「たとえそうであってもです。あの場面の大切な説明を、自分が見過ごしてしまったからと、バカ正直なだけで思慮の足りない若者にまかせてしまった。それが悔やまれて……この数日間、夜も眠れなかったのです」

「そんなにお気になさっていたのですか?」

「ええ。リドレイに見たままのことを語らせたのは、それを知っていただいたうえでお伝えしたいことがあったからなのです。なのに思わぬ形で中断してしまいました。こうなったからには、なおさら一刻も早く私の真意をお伝えしたい、わかっていただきたいと、気が急いて急いて……」


「真意……ですか?」

「はい、真意です。ご息女カナリエルさまの終焉の地にお連れすることの残酷さは十分承知のうえで、私がどうしてもお伝えしておきたかったことなのです」

 ボルナーデは姿勢を正し、ミランディアの眼を真剣な表情で見つめた。

「聞きましょう。どうぞお聞かせください、その真意というのを――」

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