第二章 3 湖畔の一夜

 翌日の夜明けとともに、ベルジェンナ軍はキールを出航するその日最初の数隻に分乗して北方を目指した。

 上りでは小型の船のほうがむしろ速いと、キールの総督府が特別に仕立ててくれたものだ。

 グランディルの流れに逆行するのだから、どうしても船足は遅くなる。夜は危険で航行できないため、行き着いたところで川岸に寄せて投錨しなければならない。

 その操船も小型のほうが楽だった。


 クレギオンのはからいはそれだけではなかった。

 最新鋭の武器類を無償で大量に提供してくれたのである。

「こいつはすごい。連発式だし、弾込めも簡単だ。精度もかなりいい」

 岸壁の樹の枝を的がわりに吹き飛ばして、メイガスが興奮ぎみに言った。


 並んで試し撃ちしているラムドが同意する。

「たしかに。これだけあればフィジカル兵にも行き渡るし、しかも弾薬の予備もたっぷりとある。思う存分戦えますね。ハーロウ、弓の使い心地はどうだ?」

「もちろん丈夫でいい品ですが、弓は手になじんだのがいちばんだから、ぼくはやっぱり自分のを使わせてもらいます。でも、矢は一本一本品質にバラつきがなくて、真っすぐ飛んでくれます。使い放題ってのもありがたい」

 ハーロウは嬉しそうに応えた。


「ブランカの長官だった頃のクレギオン閣下っていかにも怖そうだったけど、ほんとはとっても優しくて気前のいい方なんですね」

 ペデルが銃を一丁一丁点検しながら嬉しそうに言う。

「おいおい。礼を言う相手は、クレギオンじゃなくてこのおれだぞ」

 甲板をのしのし歩いてきたデュバリが、ペデルが手にする銃を取り上げた。


「なんでデュバリさんなんです?」

「ほら、銃床に彫ってある刻印を見るがいい。クレギオンがおれの店から強引に差し押さえていったものなんだ。あいつの懐はちっとも痛みやしない。いいか、おまえら、おれの弾を無駄づかいするんじゃないぞ!」

 デュバリが怒鳴ると、ムスタークが後ろから肩をたたいた。


「まあ、そうカリカリするな、デュバリ。有効活用するんだから、おまえだって文句はあるまい。この武器のおかげで大勝利を収めたとなれば、もう〝死の商人〟なんて陰口たたかれることもなくなるさ。なあ、そうだろう、ロッシュ」


 銃を一丁手に取ってためつすがめつしていたロッシュがうなずいた。

「そのとおりだ。わたしも、『あいつは銃だけは苦手だ』などという不名誉な評判をいつか拭い去りたいと思っていたのだ。ビュリスまでは一週間ほどかかる。この船旅は絶好の練習の機会だ。ありがたく使わせてもらうことにするよ――」



 キールを出港して三日後、中継地ダーパにたどり着いた。

 陸に降り立つと、大河グランディルがいったんその流れを休めるマナ湖の雄大な景観が眼前に広がった。

 大陸で二番めの面積を持ち、湖面には中央山脈の山並みを映している。

 山裾は逆落としに湖の中に没していて、こちら側から越えていくことはほぼ不可能である。

 帝都アンジェリクが要害の地と呼ばれているのは、この山脈に背後を守られているからだった。


 ベルジェンナ軍は全員が上陸し、身動きの不自由な船中生活で凝り固まった身体をやっと思いきり伸ばすことができた。

 ザールトの陥落で不穏な情勢となっている国境方面から交易の商人や運搬用の荷馬車などが続々と引き上げてきていて、湖畔を通る西街道沿いの宿はどこも混雑していた。

 騎士たちはなんとか食堂に席をとり、久々にまともな食事にありついた。


「指揮を執るはずの公爵さまが急死なさったせいでしょうか、ザールトに向かった討伐軍は、城門までたどり着くこともできずに敗走してきたって話ですよ」

「戦闘艇が三隻に、二〇〇もの兵がです。死者は三〇人以上、三分の一近くが負傷したとも言われています。なのにむこうは無傷なんだとか。相当手強い敵のようですね」

 騎士たちを援軍とみて、こちらから尋ねもしないうちに周囲の客が口々に最新の情報を教えてくれた。

 そのどれもが最悪の結果を伝えていた。


 結局なごやかな晩餐とはならず、部屋も取れなかった騎士たちは、フィジカル兵たちが野営している天幕に早々に引き上げていった。

 ロッシュは一人だけ宿に残り、なんとか確保することのできた客室に入っていった。

 部屋は狭く、一本だけ灯されたロウソクが、フィジカルの田舎家と変わらない質素な内部をぼんやり照らし出していた。

 ベッドの上掛けも使い古された粗末なものだったが、ハッと眼を引く優美な曲線を描いて盛り上がっている。

「眠っているのか?」

 ロッシュが低めた声で問いかけると、その曲線がピクッと敏感に反応した。


「ロッシュさま……!」

 枕から顔を上げたセイリンが、あわてて上掛けを首のところまで引き上げた。

「す、すみません。船の中では思うように着替えもできなかったものですから、下着を宿の人に頼んで洗濯してもらってるんです」

 むき出しの両肩を見れば、その下に何も身につけていないことは容易に想像がついた。


「そうだったのか。いきなり入ってきて失礼したね。そのまま横になっていてかまわないよ。それに、具合が悪いのだろう?」

「船酔いです。最初の日はとってもひどかったんですけど、すこしずつ慣れてきました。久しぶりに柔らかくて揺れないベッドで安眠できましたから、もう大丈夫ですわ」


 船が苦手だというセイリンとウォルセンは、貨物を積んだ比較的大きくて安定性のいい中型船のほうに乗せた。

 とくにセイリンを男たちと雑魚寝させるわけにはいかず、船倉に仕切りを立ててなんとか居場所を確保してやった。

 別の船で寝たきりになっていたセイリンとは、出港してから初めて顔を合わせたのだった。


「それはよかった。ウォルセンのほうは意外と元気だったから、きみのことばかり気にかかっていたんだよ」

 セイリンはその言葉を聞いてポッと顔を赤らめた。

「あの方は、騎乗のときとはちがって、のんびり寝転んだままずっとお酒を飲んでいればいいからですわ」

「船酔いを酒の酔いで紛らせているわけか。いかにもあいつらしい」

 二人はたがいにだけ聞こえる小さな声で笑い合った。


「でも、船旅はまだ数日つづくよ。ついて来られるかな?」

「もちろんです。せっかく騎士にしていただけたのに、ベルジェンナ軍の初陣に加われなかったら一生の悔いになります。止められたって船に乗りますわ」

 セイリンは無理やり身体を起こし、彼女らしい気丈なセリフを吐いた。

「なら安心だが……」


 ロッシュはかたわらの木椅子を引き寄せて座り、口調をあらためて切り出した。

「これから言うことは、わたしとしては口にしにくい言葉なのだが、さいわいなことにこうしてだれにも聞かれずに伝える場が持てた」

「な、何でしょう?」


「きみを騎士にとお父上にお願いしたときには、こんなに早く戦いに連れてくることになろうとは思ってもみなかった。率直に言って、きみはまだ幼年学校を出たばかりの若さだし、実戦の経験も皆無だ。わたしはけっして戦いを避けるつもりはないから、きみが戦場に出る機会はこれからいくらでもある。お願いだから、今回だけは後方にいて、先輩たちの戦いぶりを見守っていてくれないか」


「ロッシュさま。どうか、特別あつかいはおやめください!」

「きみ一人ではない。ペデルも同様に陣地に置く。だれもきみだけを特別あつかいしているとは思わないし、それがいちばん妥当なやり方だと納得することだろう」

「そ、そんな……!」

 セイリンの眼にみるみる涙が盛り上がったと思うと、ワッと顔を伏せて泣き崩れた。


 ロッシュはなすすべもなく、セイリンの肩の震えがおさまるのを待った。

「やっぱり……」

 先に口を開いたのはセイリンのほうだった。

「ペデルなんかといっしょにするなんて、ロッシュさまは、わたくしをまだ子どもだと思っていらっしゃるのね」

「いや、そのようなことは……」

 ペデルが聞いたら怒り出すだろうと思ったが、それは口にしなかった。


「だって、そうではありませんか。レディ・ユングリットからの要請にお応えになったということは、ロッシュさまがあの方を救うべき一人の高貴な女性だとお認めになっている証しですわ。わたくしだって、あの方がブランカで週末の舞踏会に出ていらっしゃる姿を見たことがあります。独身男性からの誘いにはけっして応じようとはなさらなかったけど、壁際に端然と立っていらっしゃるだけで、華やかな笑みを振りまきながら踊るどの女性よりもお美しくて目立っておられましたわ。もちろん、わたくしなどがあの方に及ぶべくもないことは十分承知しています。でも、でも……」


「セイリン。わたしは、けっしてそんな理由でランダールに向かおうとしているのではなくて……」

 話が妙な具合いにそれてしまい、ロッシュはすっかり当惑した。

 そればかりか、両手で顔をおおって泣きじゃくるセイリンは、上掛けが身体からずり落ちてしまったことにも気づいていない。


 ロッシュは立ち去る前にベッドの上に身を乗り出し、上掛けの端を持ち上げてセイリンのあられもない胸を隠してやろうとした。

 ところが、その動作をどう勘ちがいしたのか、セイリンは眼の前のロッシュの首にひしっとしがみついてきた。


(こんなところを人に見られたりしたら……)

 ロッシュは唇を噛んだが、セイリンはどうしても腕を解こうとしない。

「うわーん……ああーん……ロッシュさまぁ」

 セイリンが自分自身をどう思っていようと、泣き声はまったく駄々っ子のものと変わらなかった。


 ロッシュは、セイリンの気持ちがなんとか落ち着いて泣きやんでくれるまで、前屈みのその不格好な姿勢に耐えつづけるしかなかった。

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