第一章 6 キールでの密談

 ベルジェンナ軍は、今回もツェントラーのはからいで、前と同じ気持ちのいい小ぢんまりとした宿舎に入った。

 だが、騎士たちはゆっくりくつろいでいるひまはなく、本格的な戦闘にそなえてさまざまな準備に忙しく走りまわることになった。

 ロッシュは一人でキール山頂の総督府へと向かった。


「あんな要請をよく引き受けたな。待ち受けているのは、神秘的な美貌で有名な新公爵だけではないぞ」

 ツェントラーはいつもの皮肉で出迎えた。

「だって面白そうじゃないか。それが何よりの動機さ」

「閣下の前でそんなセリフは吐くなよ。悲しませるだけだ」

 ツェントラーのささやきにロッシュは心得顔でうなずき、執務室に入っていった。


「おまえは何をやっても目立ちすぎるな」

 クレギオンは、開口いちばん顔をしかめて言った。

「はあ、まあ……」

 どう答えていいかわからず、ロッシュは言いよどんだ。

 言われているのはガラフォールでの行動や出来事のことにちがいない。

 しかし、ロッシュには思い当たることがさまざまにありすぎた。


「ブロークフェン侯に直談判して、侯の息女をベルジェンナの騎士に取り立てただろう。馬上弓術では一矢残らず的の中心に命中させ、最速記録も大幅に塗り変えたそうだな」

「そのような細かいことまで、もう伝わっているのですか?」


 驚くロッシュに、ツェントラーが追い討ちをかけるように横から口をはさんだ。

「ゴールしたときには、ブロークフェン侯の娘が馬上のおぬしに抱きついたって話も耳にしたぞ。さぞかし見ものだったろうな」

「そんなことまで……」


「まだあるぞ。ガムディア伯モルヴァンの息子が何者かに銃撃されて死んだという急報が届いたが、最初に容疑をかけられたのもおぬしだったそうじゃないか。まさか、あいつの変声期前みたいなキンキン声がうるさくて、つい引き金を引いてしまったとかいうんじゃあるまいな」

 それを聞いて、ロッシュは秀麗な顔にさわやかな苦笑を浮かべた。

「そうか、デュバリの仕わざだな。自分が構築した情報網がいかに役に立つかを見せつけようと、みずから娘のジョルジュを通じて情報を送ってきたのだろう」


 クレギオンがうなずいた。

「ああ。わしのほうでも、集結地ガラフォールのキール陣営から、毎日早馬で最新の知らせが届くように手配しておいた。ところが、今言った情報は、すべてそれより半日か一日前にはツェントラーから伝えられておった。しかも内容はずっと詳細だった」

「辺境のベルジェンナにいるわたしには、あの男は思っていた以上に貴重な戦力になりそうですね。閣下がお許しくださったおかげです」


「だが、油断するなよ、ロッシュ。あいつが重要な情報を意図的に隠したり、他に横流しする恐れもないとは言えん。うまく使いこなすことだ」

「ええ、十分承知しております。そんなこともあろうかと、最も危険な情報は、彼だけでなく幕僚の騎士たちにも伏せてあります」


 ツェントラーの眼がキラリと光った。

「さすがにおぬしだ。で、その危険な情報とは?」

「わたしがアグレリオ暗殺の嫌疑をかけられたのは、もちろん犯行現場の至近に居合わせたからです。ただちに逃げ去る犯人の後を部下に追わせました。犯人はマレンガ兵を装っていましたが、途中で制服を着替え、まったく別の天幕へ入っていったのです」


「それは、いったいどこの陣営だったのだ?」

 クレギオンは興味深げに執務机から身を乗り出した。

「それが――クリスタン公国なのです」


「クリスタンだと? どういうことだ? クリスタンの首都フェルバーンは、グランディル川が大きく蛇行するティファ湖に面する帝国随一の大都市だ。グランディル川の水運で東部とは深いつながりがあるとはいえ、東部諸国間の水利権争いになど何の関係もないはずではないか……」

「わたしにもそれが不審でした。ですから、ガラフォールから東街道を北上するルートをとらず、いったんキールへもどることにしたのは、ひとつにはこのことを直接閣下にお伝えしておきたかったからなのです」

「なるほどな。それは貴重な情報だ」


「さらに不審なのは、ガムディアとマレンガの紛争を調停する鎮圧部隊の中に、東部の有力数か国に混じってクリスタン軍が選ばれていたことなのです」

「ふむ……。国家間の紛争は、原則として影響を受ける近隣諸国の間で収めることになっておる。しかし、とにかくこれが最初の例だ。当事者同士では利害がうまくかみ合わずに紛糾することもあろう。中立の立場でものの言える大国の存在も必要だと、皇帝府が判断したとしてもおかしくはないが……」

 クレギオンは眉をしかめて腕組みした。


「ですが、クリスタン軍を率いているのは、わたしと同年代のアントワンなのです。いくら大国の力を背景にしたとしても、元第二師団将軍のガムディア伯や、東部一の所領を有するオルラント侯のような手強い重鎮を、年若い彼がそう簡単に説得したり従わせられるとは思えません」

「そうだったな。クリスタンのウェルマス公は、現皇帝が選ばれるにあたって強力な後ろ盾となり、その功もあってもっとも豊かで広大な領地を賜った。しかし、公はもうかなりの老齢で、継承者は孫に当たるその若者しかおらぬはずだ。紛争をみごと解決すれば、彼の名声も一挙に高まることだろうが……陛下は、若者の力量をそれほど高く買っておられるということなのだろうか」


「ええ、そういう可能性もあります。ですから、皇帝陛下に呼ばれたときにも、アグレリオ暗殺の下手人についてはお伝えするのをひかえました」

「それが賢明な判断だ。帝国のためには紛争の鎮圧が最優先の問題であって、いたずらに事態を混乱させることは好ましくない」

 クレギオンは、ロッシュをねぎらうようにうなずいた。


「どうやら陰謀の匂いがしますね」

 ツェントラーが口をはさむと、クレギオンとロッシュは同時にニヤリと笑った。

「得意の〝陰謀論〟だな。どす黒い陰謀が渦巻くキールなどという厄介な領地をわしが提示されたとき、『お引き受けなさいませ』とそそのかしたのは、ツェントラー、おまえだけだったことを憶えておるか?」


「そうでしたかな。しかし、ジョルジュの娼館を食いものにしていた大金持ちとか、〝死の商人〟デュバリとか、帝国に悪をなす者どもを一掃することができましたよ。閣下の声望をいやが上にも高めたのは、わたしの進言があったからこそではありませんか」

「まあ、そうとも言えるだろう。だが、そのおかげでわしがどれほど苦労させられたことか。なのに、おまえはいつもいかにも楽しそうだった。わしの眼から見ると、おまえと悪党どものどちらがよけいに腹黒いのか、見分けがつかんくらいだ」

 師弟同士の息の合ったやりとりに、ロッシュは笑いをかみ殺した。


「それはおほめの言葉として頂戴しておきましょう。まあ、冗談はさておき、陰謀が存在することは疑いありません」

 ツェントラーが言うと、クレギオンはたちまち表情を引きしめてうなずいた。

「ああ。それがわれわれ三人の共通の認識だ。キールの小悪党どもの姑息なたくらみどころではない、帝国全体を揺るがすような陰謀がな。おそらくそれは、ずっと以前から芽吹いていたもので、今このときにも確実に成長しているにちがいない」


 クレギオンがつづける。

「だが、未然に防ぐにしても、われわれが持つ手がかりはあまりにも少なすぎる。どうすれば防いだことになるのかすらわからぬ」

 ロッシュも真剣な眼差しでうなずいた。

「そうですね。防ぐ、という考え方がそもそもまちがいなのかもしれん」

「ほう、それ以上の陰謀で対抗しろというのか? ロッシュはわたし以上に過激だな」

 ツェントラーが面白そうにまぜっ返した。


「そういう意味ではない。そう……〝変化〟と考えてはいかがでしょう」

 ツェントラーの皮肉を軽く受け流し、ロッシュはクレギオンに向き合った。

「変化だと?」

「ええ。長らくブランカの地中で成長してきたスピリチュアルが、卵の殻を破るように地上に出ました。混乱に満ちて先細りになっていくフィジカルの世界を作り変え、未来にむかって人類の楽土となすためにです」


 ロッシュの声に力がこもった。

「ついに征覇は成ったものの、それ自体が目的だったわけではないはずです。そして、貴族制は征覇の報酬に過ぎません。一時的に達成されたこの平和を守らねばならないと思うと、どうしても〝防ぐ〟という発想になってしまいます。しかし、スピリチュアルに必要なのは、さらなる変化なのです。そうであれば、陰謀もまた、変化を求める一つの形――変化の一部ということになるでしょう。われわれは、陰謀をなそうとする者たち以上に大きく変化していかねばならないのです」


「なるほど。そのとおりだ。そして、それがおまえの本音なのだな」

「生意気を申しました。では、このあたりで失礼いたします」

 ロッシュは照れ臭そうにいくぶん顔を赤らめ、軍帽を手にして立ち上がった。


 めずらしくクレギオンまで扉口へ見送りに出てきた。

「餞別に、ランダールまでの船はこちらで用意しよう。それくらいはさせてくれ」

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて、もうひとつお願いをしてもよろしいでしょうか?」

「おお、なんなりと言うがいい」

「ランダールへも東部の情報が逐一情報が届くよう、手配していただけますか? 友人のエルンファードが、皇帝府から派遣される軍監の一員として調停軍に同行しています。できれば、彼からの伝言も仲介していただけるとありがたいのですが」


 ツェントラーがポンと手を打った。

「そうか。エルンファードを情報屋に仕立て上げれば、さらに核心に迫る機密も手に入るな。いよいよ陰謀臭くなってきたぞ」

 彼は眼を輝かせて言い、三人は声をそろえて笑った。


「ロッシュ、おぬしはランダールに行ってどうしようという腹づもりなんだ? ランダール軍までまかせられて全軍を指揮するのと、麗しい傷心の新公爵をそばでお慰めするのとでは、やることがまるでちがってくるぞ」

 皮肉めかしたツェントラーの言い方など気にもせず、ロッシュは真顔で答えた。

「頼んできたのはむこうだ。こちらが勝手に動くわけにはいくまい。役に立てるようにするまでだ。……もちろん、わたしは最前線に立ってザールトに突入する覚悟です。その備えを万全にして出発いたします」


 最後の言葉はクレギオンに向けて発せられたものだった。

 クレギオンは重々しくうなずき、別れを惜しむように言った。

「気をつけて行くがいい。ベルジェンナ軍は騎士の数も少なく、フィジカル兵の実戦経験は皆無だ。おまえが帝国軍時代に手足のように指揮した、名うての小隊とはわけがちがうのだ。張りきりすぎて無茶なことだけはすまいぞ」

「閣下。この男にそんな忠告をしても無駄ですよ。われわれはこう言って送り出すしかありません。いいか、これからがいよいよ面白くなってくるんだぞ。それを見ずに辺境の地なんかでくたばるなよ、ロッシュ――」

 ツェントラーは、言いながらロッシュの手を固く握りしめた。

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