第一章 5 ベルジェンナ軍の行路

「おい、おれたちはいったいどこへ向かっているんだ? なんで右手に山が見える? あれが中央山脈なら、こっちの谷底はグランディル川じゃないのか?」

 自分の乗る馬をちゃんと進ませるのに夢中のあまり周囲に眼を配る余裕もなかったウォルセンは、隊列が一時停止したところでようやくそのことに気づいて声を上げた。


「なんだ、サー・ウォルセン、そんなことも知らなかったんですか? 行軍を指揮するサー・ラムドが、出発前にちゃんと予定を説明したじゃないですか。まさか居眠りしてたんじゃないですよね」

 すぐ後ろからからかうような明るい声をかけたのは、最年少騎士のペデルだ。


「するか。行き先は、北方王国と国境を接するランダールにきまってる。何者かに占拠されたザールトって街を奪回しに行くんだ。おれの頭はとっくにそこに飛んでる。聞けば、街は難攻不落の城門に守られていたという。どういう手を使ったのか、そこを攻略してしまったやつらがいるんだ。そいつらを相手に、それ以上の機知に富んだ戦いを仕掛けなきゃならない。その作戦をひねり出すのに忙しいのさ。道中のことなんてどうでもいい」


「だったら黙ってついてくることだな。キールに着いたら、おれの娘の店で美女に囲まれながらたらふく飲ませてやるぞ」

 ちゃっかり荷馬車の後ろに便乗しているデュバリが横から口をはさんだ。


「キールだと! やっぱり方向が逆じゃないか。南にもどってどうするんだ。さては、デュバリ、おぬしの差し金だな。おおかたキールの地下迷宮とやらに逃げ込んで、おれたちを巻こうって魂胆だろう。そうはさせんぞ」

「信用ねえなあ。たしかに、おれがロッシュに提案したのさ。キールへ行けば、娘のジョルジュから帝国一速くて正確な情報が手に入る。皇帝からもらった軍資金があるから、武器弾薬をたっぷり補充し、船をやとってグランディル川をさかのぼる優雅な船旅も満喫できる。小規模なわが軍だからこそさ。どうだ、名案だろうが」


「船に乗るだって? おれは揺れるのが大の苦手なんだ。集中できなくて思考も鈍る」

「中央山脈をおまえの下手くそな手綱さばきで越えるよりは、ずっと楽で、しかもずっと安全だと思うがな」

「う、うるさい!」


 掛け合い漫才のような二人は別として、いきなり実戦に臨むことになったベルジェンナ軍の隊列には緊張感が漂っていた。

 ガムディア=マレンガ紛争を調停しに向かった東部派遣軍のような帝国公認の正規軍とはならなかっただけで、どれほどの困難さが待ち受けているかはまったく不明だったからだ。


 ベルジェンナ軍は、あくまでもランダールからの要請に応じた援軍というあつかいだったが、代わりに『皇帝府御用』と記された旗をかかげることを認められた。

 本来は御用商人などに許可されるものだが、その効果は抜群で、西の大国クリムセルド公国軍でさえ長い隊列をいっせいに道路わきに寄せ、ベルジェンナ軍を先に通過させた。


「これならわざわざ脇道を探す必要もないし、あの旗はなかなか便利なものね。丸一日あれぱなんとかキールに着けそう」

 真新しいベルジェンナの騎士の制服を身にまとったセイリンは、〝帝国初の女騎士〟としての注目も集め、いかにも気分よさそうに馬を進ませていた。


 セイリンのお目付役のようになっているメイガスが、仏頂ヅラをそのままにして皮肉っぽく言う。

「旗のせいばかりじゃない。おれたちに興味しんしんなのさ。なんといっても、競技会で抜群の戦績をおさめた面々だ。それに、単に注目されてるっていうより、好奇の眼で見られているんだ。初の女騎士になって澄まし顔のおまえばかりか、ランダールの美女公爵から、なぜか名指しで救援要請を受けたロッシュもいるのだからな」


「フン。なんていやらしい言い方をするの!」

 セイリンがメイガスをにらみつけると、ムスタークが声を低めて言った。

「事実なんだからしょうがないだろう。しかし、それはひとつの側面に過ぎん。あいつらのいちばんの関心事は、われわれがザールトの奪回に成功するかどうかだ。どうやら事件には北方王国がからんでいるようだし、下手をすれば、騎馬軍団の大挙侵入という事態をまねく恐れもある。手柄を立てるどころか、戦争のきっかけをつくった戦犯の汚名さえ着せられかねんのだぞ」


「まさか、そんな……」

 セイリンの白い顔がみるみる青ざめた。

 すると、悠然と先頭を進み、彼らの会話になどまったく耳を貸していないように見えたロッシュが、くるりとふり返った。


「面白いじゃないか。もしそうなったら、勇猛果敢な騎馬兵の大軍と最前線で相まみえるのは、まちがいなくわたしたちということになるんだからね」

 ベルジェンナ軍の騎士や兵たちのほとんどが不安そうな表情をしているのとは裏腹に、ロッシュは満面の笑みを浮かべていた。


 もちろん、ランダールに何が待ち受けているのかは、だれよりも重い疑問となってロッシュの心に吊る下がっている。

 ガラフォール集結のこの機会を狙ってのザールト占領であれ、ボルフィン公の不慮の死であれ、何者かの悪意によってもたらされた事件にちがいなく、時を同じくして起こりつつある東部の戦乱も、仕組まれたものとしか思えない。


 ロッシュがユングリットの要請を引き受けたのは、何かの計算があってのことではまったくなかった。

 新帝国がどのように動いていくのか、その風を最前線に立って肌で感じ取りたい――そういうことだった。


(面白いじゃないか)

 その言葉には嘘も偽りもない。

 だからこそ、あえて波乱の中に身を投じることを選んだのだった――

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