第一章 4 ゴドフロアを捕らえた男
男は抵抗をあきらめ、痛めた足を引きずって町民たちの手で連れもどされた。
「くそっ。あのとき殺しておけばよかった!」
こんな目に遭うのはすべてオヤジのせいだと言わんばかりに、男は吐き捨てた。
「何があったんだ? こんなやつにおまえが遅れをとるとも思えんが……」
ガロウの副官を務めるバルクが、ゴドフロアを見上げて不思議そうに尋ねた。
「自慢できるようなことじゃないからな。今までだれにも話したことはなかったが……」
ゴドフロアは、そのときのあらましをポツリポツリと語り始めた。
何年も前のこと、大陸全体に着々と領土を拡大しつつあった帝国軍が、東部の街道沿いの要衝にある街を陥落させた。
さほどの抵抗も受けず、本隊はそのまま本来の目的地へと進軍していったが、退路を確保しておくために一個中隊を駐留させた。
その街を押さえられては身動きがとれなくなるフィジカルの数か国が、同盟して奪還の軍を挙げた。
街を混乱におとしいれてから突入するという案が採用され、その先兵として傭兵隊が送り込まれることになった。
夜陰をついて街に接近しようとする傭兵たちの前に、一人の少年が現れて救いを求めてきた。
少年の姉が帝国軍のフィジカル兵たちに捕まって乱暴されようとしているという。
同盟軍から選任された指揮官は、『そんなことに関わっているひまはない』と取り合おうともしなかった。
ゴドフロアは『おれ一人で十分だ。なに、すぐに追いつくさ』と言い置いて、少年とともに街はずれの農家へ向かった。
だが、それはワナだった。
傭兵たちの行動は、スピリチュアルに取り入ろうとした一国の裏切りによって筒抜けになっていたのだ。
納屋の中で明かりがちらつき、若い女の悲鳴がもれ聞こえてくる。
ゴドフロアはためらいもなく飛び込んでいった。
おびえる娘を下卑た笑いを浮かべた兵士たちが取り巻いていた。
そいつらを殴り飛ばし、娘を組み敷いた男を引き離した瞬間、干し草の山から無数のヤリが突き出した。
それと同時に、背後の扉から数人のスピリチュアル軍人が、外にいた少年を人質にとって踏み込んできた。
ゴドフロアは、剣を抜くことすらできないまま虜囚となってしまった。
「この男はそいつらの先頭に立ってしたり顔で笑っていた。おれをワナにかけたのはこいつだったのさ。思い出したぞ、たしかバレムって名だったな」
ゴドフロアが告発するように言うと、男はふてぶてしい上眼づかいでゴドフロアを見上げ、口の端をゆがめた。
「だったらどうだというのだ。ここで復讐しようっていうのか?」
「いや、おれを捕らえてさぞほめられたことだろうと思ってな」
「そのはずだったさ」
バレムは悔しそうに口をひん曲げた。
ゴドフロアが抜けてしまった傭兵隊は、街に入ったとたんに待ち伏せていたスピリチュアル軍に包囲されて全滅する。
同盟軍も迎撃をくらい、敵の援軍が到着するやいなや散り散りに敗走するはめになった。
「傭兵ゴドフロアの噂は聞いていた。罪のない一般人をおとりにすれば、おまえなら一人でも助けにくるだろうと予想していたんだよ。おまえさえいなければ傭兵部隊の戦力は半減する。おれの計略はまんまと図に当たった。さもなければ、中隊ひとつで街を守りきることなんてできっこなかったんだ。ところが……」
バレムはゴドフロアの身柄を手土産にして、師団の指揮をとるクレギオン将軍に戦果の報告に参上した。
だが、ほめられるどころか、『スピリチュアル軍人にあるまじき卑劣な行為だ』と手厳しく叱責され、さらに降格の憂き目にも遭ったという。
ゴドフロアは、クレギオンに危険人物と見なされ、ちょうど彼が将軍職を辞してブランカの長官に就任するのに合わせて連行されていった。
あのときゴドフロアがブランカにいて、カナリエルの逃亡を手助けすることになったのは、そういう経緯があったからだったのだ。
「おかげで、それ以来ろくな役目が回ってこない。体制が変わってからも、貴族からは取り立ててもらえず、近衛軍で命じられたのは、塩の価格が安定するように統制せよ、なんていうくそ面白くもない任務だった。しかも、民間人に身をやつしてザールトに潜入し、陰から密かに監視するなんていう汚れ仕事だった。フィジカルにも劣るあつかいだと思わないか」
バレムはうらみがましく言い立てた。
すると、人足頭らしい中年の男がずいっと前に出た。
「こいつが黒幕だったんだな。おれたちは安い賃金でずっと働かされてきた。以前は、運送にかかる費用や、キールでの取り引きで値がつり上がるのを見込んで低く抑えられてるんだとあきらめていた。新体制になって必需品の塩の値段は適正化された。当然おれたちの取り分も少しは増えるだろうと期待したのに、その気配すらない。どこかでピンはねされてるにちがいないとにらんでいたんだ」
人のよさそうな町長がおずおずと口をはさんだ。
「みなにはすまないと思っている。この男に脅されて片棒を担がされていたんだ。大門に駐屯するランダールの守備隊長に、相談を持ちかけようかとも考えた。しかし、この男に『おれは近衛軍の騎士だぞ。ランダール軍などものの数じゃない』と言われ、逆に横領の罪で守備隊に突き出されてもいいのかと脅迫されるしまつだった」
太った宿屋の主人は、地下室を男の隠れ家に提供してかくまっていたことを告白した。
反乱に使われた武器は、このような事態に備えてバレムが密かに持ち込んでそこに貯えておいたものだった。
ザールトの街全体が陰であやつられていたとわかると、町民たちはつぎつぎに非難の言葉をバレムにぶつけた。
扇動されて反乱に加わった者たちでさえ、そいつの卑劣さと裏切りを言い立てた。
「こんなやつを送り込んでいたくらいだ。スピリチュアルにとって大事なのは塩の確保だけで、おれたちの無事じゃない。こんどは、街をまるごと焼け野原にするようなつもりで、大々的な攻撃をしかけてくるかもしれんぞ」
塩運びの人足頭が仲間にむかって言うと、街の鍛治職人が大きくうなずいた。
「そうだ。助けなんて期待するだけ無駄だ。自分たちの身は自分で守るしかねえ!」
それに賛同する声は、街の人々の間にたちまち広がっていった。
この出来事によって、ゴドフロアたちに向ける町民たちの表情や態度がガラリと変わった。
ずっと恐ろしい侵略者と見なされていたのが、むしろランダール軍の支配や近衛軍の男による悪どい収奪から解放してくれた救世主でも見るような、友好的な眼ざしを向けるようになったのだ。
もちろん、これでザールトが永久に北方王国の庇護下に置かれると決まったわけではなく、この先情勢がどうなっていくかはまったく不透明だった。
しかし、町民を前にしてゴドフロアが「いざとなったら、おれたちに無理やり脅されてどうしても従わざるをえなかったのだと言えばいい」と言うと、だれもが胸をなでおろすのがわかった。
エリアスは軍資金だけはたっぷり持たせてくれていたから、百騎長のトレブが塩の生産が滞る期間の補償を約束し、さらに城門再建への協力には謝礼をはずむことと、部分的な製塩の再開も許可すると発表すると、いっせいに明るい歓声が上がった。
その日のうちにもう、大門を補強する槌音がやかましく聞こえだした。
ようやく見張りを立てずにゆっくり眠れることになったというのに、夜通し起きていたあたしたちも苦笑しながら寝床からはい出した。
「しかたないな。それに、まだもう一つ解決しなきゃならないことがある」
「なんだい、それ?」
「ほら、あれさ――」
オヤジがザールト川の上流の方角を指さした。
黒っぽい針葉樹がうっそうと繁る森が、山肌を覆ってずっと高いところまでつづいている。
「街であれほどの大騒ぎがあったというのに、一人として下りてくる者がいなかった。しかも、おれたちが城門を落として街を陥落させて以来ずっと沈黙したままだ。このまま放っておくわけにはいくまい」
そうだ、あそこにはまだ何十人という屈強な男たちがいるはずだった。
彼らの仕事は木を切ることなのに、森は今なお物音ひとつ聞こえず、不気味に静まりかえっていた――
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