第一章 3 孤立無援の占領軍
戦闘艇の襲撃が失敗に終わったことが伝わると、街のほうで起こりかけていた騒ぎがたちまちしぼむように沈静化した。
かわって、北方兵が町民を威嚇する声や、独特のカン高い歓声がいくつも聞こえてくる。
「なんとか攻撃はしのぎきったな。これで役目は果たしたことになるだろう。きっともうすぐエリアスが救援に来てくれる」
緊張の表情をくずしたガロウが言うと、オヤジは首を小さく振りながらあたしをかかえ直した。
もうほほ笑みかけてはくれず、ひどく難しい顔になっている。
「これはまだ第一波に過ぎん。撃退したのはランダールの留守部隊だ。ガラフォールに派遣した本隊がまもなくもどるだろう。攻撃が本格化するのはそのときだ」
「じゃあ、おれたちはそいつらとも戦うことになるのか?」
ゴドフロアは重々しくうなずいた。
「戦闘艇が現れたのを見たときにわかった。エリアスの本当の目的が、単にザールトを占領することではないことがな。敵船がビュリスの港を進発した時点で、潜入させてある斥候からエリアスには急報が行ってるはずだ。せっかく陥落させたザールトを堅守する気なら、もっと川下で迎撃するとか、遅くとも戦闘艇の背後を突いたことだろう。ところが、いまだに北方軍がやって来る気配すらない」
「おれたちは捨て駒だと?」
「問題は、救うつもりがあるかどうかじゃない。あの程度の軍勢が押し寄せたくらいでは、国境を侵犯してまで派兵する口実にはならないってことさ。もしさっきの敵におれたちがやられていたら、エリアスはそれならしかたないとあきらめるだけのことだろう」
「じゃあ、いったいどれだけの大軍を相手にすればいいんだ?」
ガロウは呆然として問いかけた。
「そうだな……二〇〇〇ってところかな。それだけの数となるとランダールの全兵力を越える。もはや一国の内部で起こった騒乱の鎮圧という規模ではない。そうなれば、北方軍が自国の防衛を盾に南下する名分が立つ」
「そこまで待つしかないというのか……」
「待つだけではないぞ。エリアスは戦いたいのだろう。戦果を上げなければ派兵する意味などないと考えているにちがいない。正面きって戦端を開くには、それ相応の理由やきっかけがいる。だが、自国の兵が敵の攻撃にさらされているとなれば話はちがう。問答無用で襲いかかることができる」
「そうか。つまり、おれたちが生き残るには、今回の何倍もの敵を迎え撃って、できるかぎり持ちこたえなきゃならないってことなんだな」
「そうだ。おれが考えていた最悪の予想のとおりになってしまった」
「なのに、真っ先にいちばんの切り札を使っちまったってことか」
「しかたあるまい。こうなったら、防御態勢をもっと堅固にすることだ。まずは、自分たちでぶっ壊した城門をいくらかでもマシなものに建て直す必要がある。しかし、そのためには、町民や木こりたちに協力を求めるしかないのだが……」
ゴドフロアとガロウは深刻な顔を並べて街へと向かった。
その前を、おれの知ったこっちゃないと言わんばかりに、ダブリードが長剣を肩にかついでブラブラと歩いている。と、その足がピタリと止まった。
「おい、あれを見ろよ。何かあったみたいだぜ」
ダブリードは船着場の前の広場を指さした。
何人もの町民がトレブの部下たちに激しく食ってかかっていて、北方兵が盾をかざしてそれを押しとどめているように見えた。
反乱を鎮圧したはずだが、また新たな衝突が起こっているのだろうか。どうやら武器を持った町民はいないらしいと見て、ゴドフロアたちはその場を刺激しないように慎重に近づいていった。
「おお、ガロウにゴドフロアか。部下がこいつらを見つけたんだ。こっそり小舟で逃げようとしてやがった。どうやら反乱の首謀者らしい」
人垣が割れると、北方兵に肩を押さえつけられた男たちが三人、地べたに座らされていた。
でっぷり太った宿屋の主人と小心そうな町長には見憶えがあったが、無精ヒゲの男は初めて見る顔だ。
たくましい身体つきからすると、塩運びの人足なのかもしれない。
「本当の首謀者はたぶんこっちのやつだぜ。おい、マチウ。こいつの汚ねえヒゲを引っぱってみろ」
ダブリードがニヤリと笑ってあたしを手招きした。
男はものすごい眼でにらみつけてきたけど、あたしはそんなことくらいでひるんだりはしない。
ヒゲの端を思いきり引っぱると、なんとビリビリと皮が剥がれるようにヒゲが取れていき、炎天下で働く人足とはとても思えない白い肌が下から現れた。
「ほう、おまえだったのか――」
オヤジが、珍しいものでも見つけたように驚きの声で言った。
「こいつを知ってるのか?」
ダブリードが男に剣を突きつけながら尋ねた。
「ああ。おれを捕まえたことのあるただ一人の男だ」
ゴドフロアがボソッと言うのを聞いて、周りの三十騎隊や傭兵たちがギョッとしてゴドフロアのほうをふり返った。
あたしだって驚いた。
オヤジは最強の傭兵だったはずだ。
たとえ属する軍が降伏するはめになったって、おめおめと敵に捕まるなんて信じられない。
そのときだった――
みんなの注意がこちらにそれるのを見すましていたように、男がすばやく動いた。
両腕をとらえていた北方兵を一気にはね飛ばし、と同時に地面を蹴って跳躍した。
スピリチュアルが優れた身体能力を持っていることは、あたし自身がいちばんよくわかっている。
だけど、大人の、しかも鍛錬してさまざまな体技も身につけたスピリチュアル軍人の身のこなしがどれほどのものかは、今まで知るよしもなかった。
ましてやフィジカルの町民たちは、漠然とした噂くらいでしか聞いていないだろう。彼らには、男が突然消え失せたようにしか見えなかったにちがいない。
ハッと気がつくと、男はくるりとトンボ返りして岸壁に係留された運搬船のへりにトンと軽く着地し、その衝撃で船が揺れたときにはもう離れた別の船に飛び移っていた。
群衆があちらこちらと見当ちがいの方向に視線をさまよわせるのをあざ笑うかのように、
男はその先の路面をひと蹴りすると、さらに高々と跳び上がった。
向かいの建物のベランダを足がかりにして、屋根を越えて逃げようという魂胆なのだ。
あたしはとっさにオヤジの腕の中から伸び上がり、パチンコを射ち放った。
男はベランダの手すりに足をかけようとしていきなり体勢を崩し、ぶざまにもんどり打って地上に墜落した。
やっと男の姿を見つけた群衆は、何が起こったのかと眼を白黒させている。
「〝かざきりばね〟をねらったよ」
「よくやった。跳躍が得意なやつがくるぶしを撃たれてはどうにもならないからな」
ゴドフロアがにっこり笑って言った。
オヤジだけは、ちゃんとそこまで見てくれていたのだ。
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