第一章 2 最後の手段
敵は――
灯火管制されたザールトの街の薄ぼんやりした明かりだけを頼りに、岸壁やおたがいの船にぶつかる危険を冒し、ゆっくりと息をしのばせるようにして接近してきた。
こちらに気づかれたことを知ると、漕ぎ手たちはたちまち水をかくカイを全力で回転させ、猛然と突進しはじめた。
「すぐ投石器を準備しろ! ゴールトを呼べ!」
「アロド、ガロウと百騎長のトレブに知らせるんだ。できるだけ人員をこっちに回してくれとな!」
次々と指示をとばすオヤジとガロウ隊の副官のバルクの声が交錯する。
こちらのあわてぶりをあざ笑うかのように、戦闘艇からいっせいに火矢が射ち放たれた。
夜明け前のいちばん深い闇を切り裂き、無数の赤い尾を引くものが押し寄せてくる――
板でこしらえた即席の盾を頭上にかざして、ガロウ隊の面々が駆けつけてきた。
ダブリードがそっちにむかって怒鳴る。
「敵船は三隻、兵はたぶん二〇〇以上いるぞ。おれたちだけじゃとても防ぎきれん。百騎隊のやつらはどうしたんだ!」
「街の住民どもが助けが来たと知って騒ぎだしたんだ。どこかに隠してあった武器を持ち出してきたやつもいる。それを抑えるのに手いっぱいなんだ」
ガロウが悔しそうに言う。
「くそっ。はさみ撃ちか。どうする、ゴドフロア? ここはもう城門とは名ばかりの焼けぼっくいの山だ。一隻でも乗りつけられたらやばいことになるぞ」
あせった表情でふり向くダブリードに、オヤジがうなずき返す。
「こうなったら例の仕掛けを使うしかあるまい。パコ、やれるか?」
「この暗さじゃむずかしいよ。距離も方向もぜんぜん見当がつかないんだから」
パコは自信なさそうに首を振った。
東街道のネイダー砦にあった仕掛けをまねてこしらえたものだ。
山腹に棚田のように作られた塩田の突端に岩を運んで積み上げてあり、川をさかのぼってくる敵を狙って落とそうというのだ。
ただし、ネイダー砦が支えのロープを切る仕組みだったのに対して、こちらは岩の根元に埋め込んだ火薬を爆発させてなだれ落とすようになっている。
防御策の一つとして思いついた仕掛けだったが、城門からはそうとうの距離がある。
矢で火薬を正確に狙い撃ちできそうなのは、昼間でもクロスボウの名人のパコくらいのものだった。
なのに、今は月明かりもない漆黒の闇の中ときている。
「大弓で火をともした矢をあのあたりに何本か撃ち込もう。その明かりを頼りにして、なんとか狙いをつけてくれ」
ゴドフロアだけは冷静だった。
油のツボにひたした特大の矢に火を移し、みずから崖をめがけて撃ち放った。
弓を得意とするランペルもそれにつづく。
二本、三本と矢が突き立つと、崖の一部がわずかに明るんだ。
パコはただちに手すりに大型のクロスボウをすえ、特製の矢を装填する。
敵船の先頭が今にも岩積みの真下にさしかかろうとしている。
使える時間はもうわずかしかない。
鉄製の矢は火の玉となって闇を切り裂き、一直線に飛んだ。
カツンと岩にぶつかる乾いた音がして、はね返された矢がむなしく落下する。
「方向はどうにか合わせられるけど、距離感がいまいちつかめないんだ」
パコは悔しそうに舌打ちしながら、急いで二の矢をつがえる。
だが、それも惜しいところで外れた。
敵のほうもこちらが何かたくらんでいるらしいと察知し、矢を集中させてきた。
ディアギールたちが防御のためにかざす盾が、カンカンとたてつづけに衝撃音を上げ、足元に突き立った火矢をあわててだれかが踏み消す。
パコの指はあせりと緊張で震えている。
あたしはとっさに思いついてパコの背中にとびついた。
「な、なにするんだ、マチウ!」
「あたしが〝め〟になるよ!」
「パチンコとは勝手が違うぞ。それにこの暗さじゃ……」
「いつもれんしゅうみてる。まかせて」
あたしはパコの肩越しに身を乗り出した。
矢の先端に松明を近づけようとしたゴールトを、ゴドフロアが手で制する。
「待て。マチウがいいと言うまで火をつけるな」
火のゆらめきで狙いがつけにくくなるからだ。
ゴールトがうなずくと、その場のだれもがあたしに賭けようという空気になった。
パコは顔をわずかにずらして照準をゆずってくれた。
あたしが腕を伸ばして指さす方向に、慎重にクロスボウの先端を動かしていく。
遠距離に届かせるためにいろいろ工夫をこらし、ザールトの鍛冶屋に緊急で作らせたものだ。
けっしてブレたりせず、真っすぐ飛んでくれることは保証つきだ。
オヤジたちが打ち込んだ大弓の火はすぐに小さくなって心細くまたたいていたけど、あたしの眼には火薬の目印に結びつけてある小旗がはっきりと見えた。
「いいよ!」
矢に点火するのと発射するのがほぼ同時だった。ゴールトもパコもそれほどせっぱつまっていたのだ。
赤い小さな点が、その場にいる荒くれ男たちの祈るような気持ちを乗せて飛ぶ。
鈍い衝突音がして光がフッと見えなくなった。
と思った瞬間、細かい火花が崖を横に走った。導火線に着火したのだ。
連続する爆発音が一呼吸おいて川の上に響きわたる。
雨のように降りそそいでいた矢が急にまばらになった。
いったい何が起こったのかと、敵兵は思わず頭上を見上げたのにちがいない。
暗闇にまぎれ、こちらにもはっきりとは見えなかった。
ただ、ガラガラと遠い雷鳴のような轟きが斜面をひどくゆっくりとつたい降りてくるのだけが感じられた。
まさに期待していたとおりになったとわかったのは、川面全体が一度に沸騰したように激しい破裂音を上げ、つぎつぎと高い水柱が立ったときだった。
「命中! 命中!」
上の見張り台から興奮した声が聞こえた。
湧き上がった水煙が収まっていくにつれ、どれほどのことが起こったのかがありありと見えてきた。
先頭の戦闘艇は大岩の直撃を受け、船体を真っ二つに割られて沈みつつある。
二隻めも斜めにかしいでいて、ひっくり返った油樽にでも火が燃え移ったのか、大きな炎が上がった。
乗組員たちはその火に追われ、つぎつぎこぼれ落ちるように水に飛び込んでいく。
三隻めはかろうじて岩の直撃をまぬかれたようだが、カイの動きは止まっている。
船にたどり着いてくる友軍を救助して退却するしかないと判断したのだろう。
ゴドフロアは片手を高く上げ、攻撃をやめさせた。
「やったぞ!」
「大勝利だ――」
城門のあちこちからいっせいに歓声が上がる。
「でかしたぞ、マチウ!」
パコが背負ったあたしのお尻をポンポン叩き、ランペルやゴールトがあたしの身体を奪い合うようにかわるがわる抱き上げる。
そこらじゅうから伸びてくる手が頭といわず肩といわずめちゃくちゃに触れてきて、くすぐったくてたまらない。
ひときわ大きな手があたしを救い出してくれた。
嬉しそうにキラキラ光るゴドフロアの眼には、はっきりと誇らしげな色が混じっていた。
(そうだ。あたしにはまちがいなくオヤジがいる――)
あたしは思わず太い首にすがりついた。
どんなときでも、たとえどんなことがあっても、あたしはオヤジに抱かれていたい。この岩のように硬い腕の中で安らいでいたい……
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