序 章 2 三〇年後の告白

 差し渡し数百メートルもある地底の格納庫は、プロヴィデンスの巨体を容れてもなおたっぷりと空間があった。


「カルマとユリーカの姿がないと、やっぱりずいぶんガランとした印象ですわね。その奥の鉄柱に支えられて立っている細長いものは、たしか――」

「四つめの飛空艦、『サトリ』です」


「そう、サトリでしたね。あんな風に直立していてるのは、プロヴィデンスとはまた違った壮観さがありますわね。でも、外に出すのがさぞ大変でしょうに」

「その通りですね。ですから、もう数百年も使われてないのです」

「まあ、そんなに……」

「あの艦には特別な用途があるようですが、われわれ艦長クラスにも明確には知らされておりません。整備や点検は行われているものの、艦長を含め、一人として正式な乗員はおらんのですよ。補助用ということであるにしても、なんとも謎めいておりますな」


「面白いですわね。威風堂々としたプロヴィデンスに……優美で軽快なユリーカ……どっしりとして勇壮なカルマ……そして神秘的なサトリですか。それぞれが個性的な英雄たちのような魅力にあふれていますわ」

「ほう。寮母さまは、アンジェリクはおろか、ほとんど外界にお出になったこともないとうかがっておりましたが、飛空艦のことをよくご存知でいらっしゃいますね」

「いいえ。今日格納庫を訪れたのは、幼年学校のときに先生に連れられて見学に来て以来のことですわ。機密保持にうるさい軍事施設ですし、ことにクレギオン閣下はお厳しかったから、わたくしがいくら頼んでもけっして見せてはくださらなかったでしょうね」


「クレギオンどのは名だたる堅物ですからな」

 ボルナーデは口元を隠して苦笑した。

「でも、あの方はブランカのすべてを管理する大変なお役目だったわけですから、それも当然ですわ。わたくしは形ばかりの統治者になったに過ぎませんが、あの方が背負っていらっしゃった責任の重さがようやく理解できましたわ。それに、その地位のおかげで、やっとこのように自由に格納庫に立ち入ったりもできるようになったのです」

「なるほど、そうでしたか」


「わたくしはね、ボルナーデ艦長――」

 ミランディアは、いたずらっぽい笑みを浮かべながら言った。

「はい、何でしょう?」

「見学会のとき、優美なユリーカがいっぺんに好きになってしまいましたの。あれに乗ってどこまでも遠くへ行ってみたいと、幼な心に夢見たものですわ」


「ほう、まことに奇遇ですな。私も飛空艦乗りになろうと心に決めたのは、見学のときの体験がきっかけでした。運動不足がたたってこのようなみっともない格好になっていますから意外でしょうが、これでも私は寮母さまとは幼年学校の同学年なのですよ。ですから、私とあなたは同じときにここで飛空艦を眼にしたことになります」

「本当? なんて素晴らしい偶然でしょう! なのにわたくしったら、そのようなことに気づきもしませんでしたわ」


「それも当然です。あの頃は、男女がまるで遠く離れた別の学校の生徒同士であるかのように分離されていましたからな。知り合う機会どころか、式典とか見学会のような特別な場合にしか同じ場に居合わすことはできませんでした。実を申しますと、私は……」

 急にモジモジと下を向いたボルナーデは、大きな身体を縮めるようにして言いよどんだ。


「はい?」

「見学の列の後方におった私は、このバルコニーの手すりから危険なほど大きく身を乗り出して飛空艦に見入っている、いかにも利発そうな美しい少女を眼にしたのです」

「まさか、それが……」

「ええ。女子生徒の名前を知るすべなどなく、それ以来お見かけする機会すらなかったわけですが、新皇帝の戴冠式典でオルダイン陛下の横に並ぶ輝くような美しいお姿を拝見して、初めてあなただったのだとわかりました。『あの少女を乗せて、いつか天空を翔けたい』……そう夢想したのが、飛空艦乗りを志した私の、ふとどききわまる本当の動機だったのですよ」

 ボルナーデは顔を真っ赤にして、しきりに流れてもいない汗をぬぐう仕草をした。


 ミランディアは大輪の花がほころぶような笑みを浮かべ、ボルナーデの腕にそっと手を差しのべた。

「そのようにおっしゃっていただけて、何よりの光栄です。でも、もしや……」

「それが私が独身を通した理由か、ということですか? いえいえ、とんでもない。そこまで純情ではありません。私は運よくというか、悪くというか、先代皇帝の旗艦のカルマからプロヴィデンスへと、アンジェリクに常駐せねばならない艦にばかり乗っていました。なかなか替えのきかない職種でしたので、ついに結婚する機会を逃してしまったというだけのことです」


「それはお気の毒でしたわね。では、いっそこの機会に思い切ってご結婚なさってはいかがです? 戦争で不幸にも夫を亡くされた女性がブランカには何人もいます。もしよろしければ、わたくしがお似合いの方をご紹介しますよ」

「いやいや、しばらくはゆったりと独身生活を楽しみますよ。寮母さまの執務室にお茶をいただきにうかがってもかまわないというのが社交辞令でなければ、私はそれだけでもう大満足ですから」

「もちろん、お気軽においでになって。皇帝陛下のお耳に不都合な噂などが届いたりしないように、そこはわたくしが抜かりなく配慮しておきますからね」


 余裕たっぷりの笑顔でそんな大人同士の会話を楽しんでいるうちに、二人はちょうどプロヴィデンスの迫力ある勇姿を真正面に見る位置に来た。

「そうか……。今なら寮母さまの夢をかなえてさしあげられるかもしれません」

「どういうことですの?」


「プロヴィデンスはこの後、長年の汚れを落として全面的な補修点検作業に入る予定ですが、浮揚気体を抜いてしまう前ならまだ飛ばすことが可能です。〝どこまでも遠く〟とはまいりませんが、寮母さまさえよろしければ、飛行を十分堪能していただけますよ」

「本当ですか!」

 ミランディアの端正なおもざしが、感激でパッと花開くように輝いた。


「ええ。どうかご遠慮なさらずに」

「でも、格納庫から出すだけでもまた大変な作業になるのでしょう? わたくし一人のために、勝手にそのようなことをしてもかまいませんの?」

「そういえば、何年か前にもだれかに同じことを言った記憶がありますが、飛空艦の艦長の地位は、旧帝国師団を率いた三人の将軍と同格なのです。将軍だった頃のクレギオンどのが偉そうにしていたのをご記憶でしょう。今でもその位置づけは変わっておりません。自分の艦を動かすのに、私にはだれの許可もいらないのですよ」


 ボルナーデは、誇らしげに胸をそらすようにして言い切った。

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