第46話 使者が抱く密約

 エントランスで異常現象を目の当たりにした後、再び宴会場へと戻った。一同が胸を撫で下ろす中、エイデンたちは席に腰を落ち着けた。


 その中で最も耳目を集めたのはケンシニーだ。毒気がすっかり抜け落ちた様子は、思わず別人による成りすましを疑いたくなる。


「エイデン殿、度重なる無礼は万死に値しよう。しかし、この首を一度だけ預けてはいただけませぬか?」


 恭しい拝礼とともに放たれた言葉は、決して軽いものではなかった。言葉の上では命乞いとも取れるのだが、死を恐れる気配がない。何か腹を決めたような響きすら感じられた。


「首を取るも何も、憤激していたのはそなたであろう。いや、憤激の芝居かな」


「やはり見抜かれてしまいましたか」


「どうにも噛み合わないものを感じたからな」


「やれやれ……慣れぬ事とは難しいものですな」


「さてケンシニー殿。許すのは良いとして、経緯を話してもらえるのだろうな? 詫びる気持ちがあるのならば」


「勿論にございます。これよりご説明いたしましょう」


 ケンシニーが語ったのは元老院の策謀である。極力、諍(いさか)いを起こすようにと厳命されていたのだ。そのため、思い付く限りの無礼を働いたのだと言う。


「なるほど。つまりは元老院、いや、ゴーガン家の差し金であったと」


「左様。仲違いすれば良し。エイデン殿の逆鱗に触れ、殺されれば尚良し。そのような密約がありました」


「苛烈なことだ。死ぬことまでを視野に入れるとはな」


「ゆえに無法の限りを尽くしました。しかし、エイデン殿は誘いに乗る気配を見せませんでした。獰猛なるお方と聞いておりましたが、噂とは当てにならぬものです」


「子が出来てから、私は変わったらしい。自覚は無いのだがな」


「なるほど。あれほどに素晴らしき御子であれば、父心も相当なものにございましょう」


 得心がいったように、深く頷きが返される。これもニコラの力によるものだと直感した。


「それにしてもだ。元老院の腹が読みきれぬ。なぜ今ごろになって、私と敵対しようというのか」


「愚考しますに、今だから、かと存じます。本国にも派閥があり、決して一枚岩ではありません」


「なるほど。続けてくれ」


「内部の意見はおおまかに2つ。ひとつは、引き続きエイデン殿に委ね、ゆくゆくは地上を支配する案。もうひとつはエイデン殿を誅し、代役をたてるというものです」


「となると、コビル家は後者となるのか?」


「まさしく。穏健派とも言うべき前者はフゴー家、後者はゴーガンとコビルが主たる勢力となります」


「ほう、フゴーがか」


「面(おもて)だって言明しておりませんが、事実上のお味方かと存じます」


 もちろんナテュルとの縁によるものである。そうでなければ、とうに意見は統一されていただろう。それ程までにゴーガンの権勢は凄まじく、同時にフゴーも侮れない勢力を有していた。


「ひとつ気になる事がある。ゴーガンは私を誅滅したとして、どのようにして地上を制するつもりだ?」


「考えなど、有って無いようなものです。途方もない軍を送り込めば制圧できると、高を括っております」


「だったら今すぐにでもやれば良い。私は邪魔などせぬよ」


「連中は気が小さいのですな。軍の背後をエイデン殿に撃たれると心配しておるのです」


「随分と嫌われたものだな。別に構わぬが」


「ゆえに、貴国討伐の大義名分を求めたのでしょう。結果として、私に白羽の矢が当たった次第です」


「それにしてもだ。ゴーガンや魔界の連中が欲するのは何だ。地上に何を求めているというのか」


「富です。地上の珍きものは高値がつきます。ニンゲンも全てを奴隷としてしまえば、計り知れぬほどの金額になるでしょうな」


「そうか。おおよそは理解した、感謝する」


「お役に立てたのであれば、至上の喜びにございます」


 エイデンは眼を瞑り、話を振り返った。元老院はこちらを邪魔に感じている。一方的に戦を仕掛けないのは、擁護派と思しきフゴー家の存在があるからだ。いかにゴーガン家といえど、理由なき討伐は許されないらしい。しかし、地上がもたらすであろう財貨を渇望しており、侵攻の止まった現状に苛立っている。一計を案じ、罠にはめようと試みる程度には。


「こんなところ……か」


 人知れず呟いた声は床を這うような響きがあった。敵の攻勢が今回で終わりになるとは思えなかった。むしろより狡猾に、そして執拗な策謀が仕掛けられる事は想像するに難くない。面倒が増えるのは確実で、その予感が頭痛を引き起こすようで、気づけば眉間を解していた。


「エイデン殿、魔界への抑えを私めに任せてはいただけませんか?」


「良いのか。そなたもコビル家の一員。すなわち、ゴーガン側ではないのか」


「確かにコビルの名を持ちますが、支流も支流。本家とは浅い付き合いすらありません。私が離反したとて、誰も咎めたりはしないでしょう」


「その気持ちは嬉しく思う。しかし、ゴーガンと相対するのは危険であろう」


「お気遣いは無用です。私の影響力など微々たるものですが、弁舌にはいささか自信があります。うまくやってみせましょうとも」


「ならば頼もう。だが、くれぐれも気をつけるのだぞ」


「任されました。大船に乗った気でいてくだされ」


 ケンシニーは背筋を伸ばし、やや大げさに胸を叩いて見せた。すると、太鼓腹からは空腹を思わせる音が鳴った。


「いや、これは、とんだ失礼を……」


 みるみるうちに頬が赤く染まる。強く引き結んだ唇には、恥じ入った想いがありありと浮かびあがった。


「そういえば、ろくに食べていなかったな。すぐに新しい料理を用意させよう」


「いえいえ、拒んだのは私の方ですから。どうかご放念くだされ」


「まぁそう言うな。城の者たちも、そなたに食べて貰った方が喜ぶはずだ」


「……では、お言葉に甘えます」


「さぁさぁ、堅苦しい話は終いだ。ものども、ケンシニー殿を存分にもてなすのだ!」


 オウ、という活気のある声とともに、室内はにわかに賑わいをみせた。場の全員がグラスを片手に立ち上がり、ケンシニーの傍に寄って挨拶を交わした。最初は固さを残した対話も、酒が進むほどに砕けたものになっていく。


 そして宴もたけなわの頃、あちこちでは飲み比べが始まった。ワインボトルを開けては飲み干し、また開けるという事を繰り返した。酒豪と自称する者が次々と倒れる中、場を制したのはシエンナである。唯一無二の王者となった今でさえ、ボトルを口から離さないという、桁外れの飲みっぷりを披露したのである。


 それらの様子を、ケンシニーは赤ら顔を綻ばせながら眺めていた。先ほどのような、偽りの表情ではない。別に何を言うでもないのだが、浮かべた笑みは心底愉快そうに見えた。

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