第45話 金色を纏う愛娘

 エイデンは百官を揃え、城門前に整列させた。どの顔を見ても、緊張から唇を固く引き結んでいる。間もなく魔界より使者が訪れるのだ。雑談はおろか肩の力を抜く事すらできず、直立不動となる姿が目立つ。


 ナテュルを迎えた時とは違い、景色に飾り気や遊びの類いは一切ない。城内から敷地に至るあらゆる所を清掃させただけである。何を切欠に難癖つけられるかとクロウは憂慮し、それこそ柱と壁の隙間やら、螺旋階段の裏側まで磨かせた。エイデンには大きな意義を感じられなかったが、口を挟まずにおいた。


「来たか、招かざる客め……」


 晴れ渡る空に、突如として黒い渦が生じた。魔界の門が開いたのである。宙から現れたのは二匹の犬。あまりにも巨大で、人など容易く丸のみ出来そうに見えた。それらが騒がしく喚きながら、一台の車輌を牽くのである。


 御者は暴れる二匹を手綱だけで巧みに操ってみせると、見事に停車した。耳に痛いほどの静寂を挟むと、居丈高な音声を辺りに響かせた。


「コビル家よりケンシニー男爵のお越しであるぞ。ものども、拝礼せよ!」


 その声にメイドや下士官は慌てて頭を下げ、組んだ両手を高く掲げた。不躾を許すような気配は微塵もない。


 これにはエイデンも、傲慢な男が来たものだと感じる。元老院より派遣されたとは言え、あくまでも位は男爵。その人物の御者ごときが王の家臣に命じるのだから、ただ事とは思えない。


 冒頭からキナ臭さが漂う。大勢が固唾を飲んで見守るなか、漆黒の馬車が乗り口を開けた。そこから転がるように落ちてきたのは初老の男だった。


 種族は犬人なのだが、あまりにも肥え太っているために、外見から識別するのは難しい。弛みきったアゴ肉が輪郭を隠し、身のこなしも緩慢だ。かの種はどちらかと言えば軍人向きの性質なのだが、今回は当てはまらない様である。


「これが噂に聞くエイデン城か。下劣、貧相……いかなる言葉も凌駕する、何ともさもしいものよ」


 ケンシニーは聞こえよがしにも独り言ち、突き出た腹を見せびらかすようにして進んだ。歩みがぎこちないのは、後足で砂を舞い上げるからだ。砂ぼこりが下士官たちの頭に降り注ぐのだが、拝礼を崩す者は居ない。


 大仰すぎるほどの間をおいて、エイデンと使者は向き合った。軽く拝礼を挟み、歓迎の意が述べられる。


「ケンシニー殿、よくぞ参られた。まずは会議室にて元老院の要望を……」


「無礼な。遠路で疲弊した身体に務めを求めるとは」


「歓待の用意はすでにある。だが、使者としての本分を全うするのが先ではないのか?」


「急ぎ酒と女を用意せよ。それが通例である」


「よかろう。ではこちらに」


「ともかく早くせよ」


 仕事の前に酒色とは聞いた試しが無かった。通例と断言されたものの、どこかの界隈だけで成立する不文律のようなものかもしれなかった。仕方なくエイデンは予定を変更し、大広間へと通す事にした。当然下働きの者たちは慌てふためき、城の裏手を騒がしくするのだが、大した混乱もなく小宴を用意してみせた。


 室内には個人向けの食卓がいくつも並ぶ。エイデンとケンシニーを上座に、他はクロウと参謀部、グレイブと武官たちが顔を揃えた。


 メイドたちによって滞りなく料理が次々と用意されるのだが、ケンシニーはそれらを口つけるなり、


「要らぬ。下げよ」


 と突っぱねてしまった。エイデンには、料理の質が悪いとは思えなかったが、相手の不興を買ったことは理解が及ぶ。


「これが貴様のもてなしか。愚弄しているのか、この私を、ひいては元老院を」


「満足して貰えなかった事は詫びよう。だが、最後の一品は喜んで貰えるはずだ」


「もう十分だ。何が出されようと、これまでの失点を挽回できるはずもない」


「そう言わずに。まずはその目で確かめてもらおうか」


 柏手がふたつ。それを合図に、メイドたちは銀のさらを掲げつつ現れた。ボウルで隠されているために品を察する事はできない。


 皿が音もなく供出される。エイデンが目配せで次を促し、中身が明らかとなる。


「こ、これは……何だ!?」


「我が国自慢の名物だ。名を『春風のざわめき ~桜花をそえて~』と言う」


「料理の銘などどうでもよい! これが何なのかと聞いている!」


「クレープと名付けた。余所で口にする事の叶わぬ物である」


「く、くれぇぷ?」


 ケンシニーは眼を丸く見開いて凝視した。皿の中央に一口サイズのクレープが寄り添うようにして並び、空き部分にはストロベリーソースで桜の花が描かれている。眼と鼻が瞬時に春の甘味に包まれるような想いになった。


 未知なる料理に、ケンシニーは狼狽えた。フォークでクレープをつつき、食べられそうだと判別するや、ナイフで切り分けていく。そして口中に放る。すると、衝撃を覚えたようにして、顔の肉が微かに震えた。


「なんという新感覚……! フワリと舌に柔らかな食感の後に滑らかで優しい甘味が顔を除かせたかと思うと、緩やかに酸味が押し寄せてくる! こんなもの、何をどう考えれば思い付くというのか!」

 

「気に入っていただけたかな?」


「フン! 多少気が紛れただけだ。それよりも女はどうした」


「では、そちらも」


 次に現れたのは、薄絹を身にまとったマキーニャと、居候騎士のエレーヌだ。どちらも儀式用の剣を携えているのは、剣舞を披露するためである。


「では、舞をご覧いただこう」


 両者が離れ、向かい合う。そしてたおやかな仕草で構えると、エレーヌが先に動いた。


「いくぞマキーニャ!」


 猛進し、勢いを乗せた斬撃が放たれる。マキーニャは滑らかな回避を見せつつ、横薙ぎに反撃した。ぶつかる刀身、飛び散る熱い火花。それを皮切りにして、激しい応酬が繰り広げられた。


 違う、そういうものじゃない。本来なら色香と優雅さを見せつける場面であるが、眼前では技の競いあいが展開されているのだ。それでも周りは盛り上がりを見せている。どちらに軍配が上がるか興味深々なのだ。


「いいぞ、やっちまえ!」


「オレはマキーニャに50ディナ賭けるぞ」


「いやいやエレーヌだろ、100出したって良い!」


 白熱した外野のあちこちから声があがった。室内のムードは加熱する一方で、イベントは成功したかのように思われた。しかし、これはいわゆる『内輪ウケ』である。当然、来客にとっては欠片すらも面白みが無いのだ。


「やめんか、暑苦しい!」


 ケンシニーの一喝で、辺りは水を打ったようになった。力を失くした切っ先が床を擦り、行き場のない音を鳴らす。


「そこの貴様、来い」


 アゴの動きで呼びつけられたマキーニャは、命ずるままに傍へ寄った。そこで待っていたのは、無作法に触れる手のひらだ。頬が、髪に手垢がつけられていく。その間、無機質な瞳に微かな蔑みを込め、不快な気持ちを押し留めた。


「ほぉ、よく出来た人形だ。生きた人間と変わらんではないか」


 触る仕草はいよいよ遠慮が無くなる。そして何の脈絡もなく、マキーニャの手首を掴んだ。


「こっちへ来い。何もかもが女と同じか、直々にあらためてやる」


「お断りします」


「嫌だと言うなら力づくで……のわぁ!?」


 ケンシニーが腕を引いた瞬間、それがグニャリと伸びた。思わぬ挙動にバランスを崩し、たたらを踏んで尻餅をついてしまう。最初は戸惑いと驚きに染まる形相も、やがて憎しみに支配されたように歪む。転倒の痛みが、恥をかかされた分だけ怒りの炎を焚き付けるのだ。


「何だ貴様! けったいな動きをしおって!」


「自由自在をモットーに生きておりますので」


「この失態、高くつくぞ! もはや慈悲も無いわ!」


 ケンシニーが顔を真っ赤に染め、がなり声を辺りに撒き散らした。口角の泡が飛ぶほどだ。相当な憤激である事は傍目にも明らかだ。


 しかしエイデンは思う。「これは怒りなのか?」と。


 確かに声はやかましく、見た目からしても騒がしいのだが、肝心の気迫がおろそかだった。どちらかというと逼迫というか、追い詰められている様な気配が感じ取れたのだ。


 それはクロウも変わらぬのか、困惑顔で成り行きを見守っている。彼も違和感を拭いきれないらしい。


「よいか、エイデンの下僕どもよ、貴様らは今日より賊徒だ! 元老院がすみやかに国敵であると認めるであろうよ!」


 足の裏で床を鳴らすようにして、ケンシニーは部屋を後にした。その背中をエイデンと、泡を食ったクロウが追いすがる。


「待たれよ、使者殿」


 呼び掛ける声は捨て置かれた。無言のままで一人先を行くばかり。このまま帰すとなると厄介なのだが、足を止める術はなく、とうとうエントランスまで無策に歩き続けた。そこへ折り悪く、ニコラが行く手を阻む形で現れた。傍には子守を任せたはずのメイの姿も見える。


「どけ、小汚いガキが!」


 ケンシニーが足で蹴り飛ばして道を空けようとする。無造作な靴先がニコラの体に触れようとした、その時だ。何の脈絡も無いままに、辺りは目が眩むほどの閃光に包まれてしまった。


「な、何事だ!?」


 エイデンは辛うじて瞼を開くと、一面が金色の光で溢れている事に気づく。なぜ、どうして、そして誰が。何一つとして判別がつかないまま、光は収束し、やがて形を変えた。一筋の光はニコラの額から直線を描き、ケンシニーの胸を貫いてしまった。


「ごはっ……!」


 うめき声とともに膝から崩れ落ちた。まさか死んだのか。恐る恐る顔を覗き込もうとすると、息はある。むしろ呼吸は小刻みであり、感情を高ぶらせてる様子が見て取れた。


 それからケンシニーはおもむろに上体を起こすと、両手で顔を包みながら叫んだ。


「なんという愛らしい少女か! それに引き換え、私の汚らわしさは! 濁りきった魂と言ったら……!」


 そこまで言い放つと、再びうずくまって泣き叫んだ。しきりに震える丸い背中を、程度を知らないニコラの手のひらが雑な仕草で撫でる。一応は慰めようとしているらしい。


 驚きをもって眺めるエイデンは、さきほどの光景が忘れられずにいた。


「今のは、ニコラがやったのか……?」


 誰が状況を理解し得ただろう。分かっている事と言えば、ニコラが想定外の『何か』をした事、そして傲慢極まる使者が別人の様に大人しくなった事である。

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