第47話 メイの日常風景
歓待が終わりを告げると、ケンシニーはエイデン城を後にした。去り際に「小国のひとつでも陥として貰えたら」と告げられた。やはり、実績の有無で結果は大いに変わるのだとか。
「どこか適当な国は無いものかな」
エイデンは居室で地図と睨み合った。いずこからか仕入れた人間世界の地図は、随分と小さなもので、国境線と著名な都市が描かれているくらいだ。地形や地名は無いに等しい。詳細な地理情報は国家機密に値するので、入手することは難しいのだ。
「居城より西と北は海。残るは東と南か」
南は大国である。名を『グレート・セントラル』と言い、情勢に疎いエイデンですら耳にする言葉だ。大陸の中央に首都を構え、東西南北に広大な領地を有している。この国と戦うには骨が折れそうである。
一方で東は、滅多に聞かない国であった。隣国とは思えない存在感は地図からも明らかだ。グレートセントラルに追い詰められたかのように、大陸の北端に慎ましく存在しており、その東もそれなりに大きな国がある。領主の青色吐息な様子が浮かぶ想いだ。
「やるとしたら東だな。さて、どちらが楽であろうか」
エイデンは天秤にかけた。実績作りのために国を陥とすか、それとも現状を維持し、元老院との敵対路線に舵を切るか。いずれにせよ、こなす自信は揺るぎ無いが、ともかく手間が増える。特にニコラと過ごす時間が減るのは腹が立つ。選ぶなら、出来るだけ短期間で済む方にと、方針は徐々に象られていった。
「そういえば、メイが言っていたな。仇を討ちたいと」
どうせなら一緒に片付けた方が良いだろう。そこを起点に考えるうち、いつしか眠りに落ちてしまった。 どれだけ時間が流れただろう。エイデンは微睡みの中で足音を聞いた。小さなものが2つ。それらは近寄ってくると、傍で止まった。
「おとさん、おっきーおっきー!」
「お父様。もう朝ですよ」
「うん……、そうか。寝過ごしたらしい」
顔を持ち上げたエイデンの額から、ハラリと地図が舞い落ちる。窓の外からは日差しが燦々(さんさん)と降り注いでいる。
「腹が減ったろう。今すぐに用意する」
「いえ、朝ゴハンならシエンナさんが用意してくれました」
「パンー! おいしいパンー!」
「お父様の分をお持ちしてますが、食べますか?」
「そうだな。もらおうか」
メイはバスケットの蓋を開け、中から小麦のロールパンを取り出した。焼きたてなのか、受け取る手に仄かな温かさが伝わる。香ばしさと、魔ーガリンの混じり合う薫りが何とも食欲をそそった。
「おとさん、おいしい?」
「美味いぞ。柔らかくて匂いも良い」
「そーなの? やったぁーー!」
そう叫ぶなり、ニコラは狭い室内を駆け回った。所々に手をぶつけてしまい、積み上がった本が積み木倒しになる。
「ダメよニコラちゃん。こんな所で遊んでは!」
「えぇーー!?」
「気にするな。それより、もうひとつ貰えるか?」
「あっ、はい。わかりました」
追加のもうひとつが手渡される時、おやと思う。相手の手に触れた瞬間、奇妙な固さを感じたのだ。
「メイ。ちょっと手のひらを見せてみろ」
「えっ? ええ、わかりました」
差し出された手を見て、エイデンは驚かされた。あちこちに血豆が出来上がり、うち幾つかは潰れていた。どれも新しいものばかりである。
「これは、一体どうしたのだ?」
「気にしないでください。剣術とか色々がんばった結果なので」
「痛むだろう。すぐ治してやる」
「待ってください。このままが良いんです。努力の証拠ですし」
「……そうか。それも良かろう」
相変わらず研鑽は過酷を極めているらしい。先日も、片手腕立て伏せが300回を超えたと、嬉しそうに語っていたものだ。そんなメイが自身に課しているのは、肉体改造だけでない。掌が何よりも饒舌に物語る。しかし、あくまでも察しがついただけで、エイデンは全容を把握してなどいなかった。
「お前は普段、何をしているのだ?」
「もちろん、お父様とニコラちゃんの遊び相手を……」
「それは知っている。聞きたいのは、自由時間についてだ」
「ええと、うーん。別に変わったことはしてないと思うんですけど」
「よし。では今日一日、好きに振る舞ってみてくれ。それでおおよその事が分かるだろう」
「はぁ、ではそのように」
困惑気味なメイをよそに、行動観察は始められた。話は別に難しくはなく、自由に動き回る後ろを付いて回るだけだ。その間ニコラは、父親に抱っこされながら供をする。
回廊を歩くなか、エイデンは漠然とした予測を立てた。これから大人に向かって成長していく少女が、果たしてどのような事に興味を示すのか。朴念人(ぼくねんじん)と言っても差し支えない男からは、平凡なものしかイメージできなかった。
ーーまぁ有り体に考えれば、好物を食らい、着飾る事を望むだろう。もしかすると、異性に憧れでも抱いたりするだろうか。
とりとめもなく思考を巡らせていると、メイが足を止めた。練兵場である。彼女の視線の先には、激しく叱咤するグレイブの姿があった。その様子を遠くから熱っぽく眺めているのだ。
ーーおや、これはもしかして。
異性への憧れ。早速ひとつ当てた気がして、エイデンは複雑な気持ちになる。確かにグレイブは実直で信頼のおける男だが、親子ほどに歳が離れている。さすがに仲が進展したりはしないだろうが、一抹の不安を拭いきれなかった。
「全体、小休止!」
兵士たちは号令とともに体を緩めた。グレイブが兵舎へ戻ろうと足を向けるが、行く手をメイが遮った。それを驚く者は見当たらず、誰もが見慣れた光景として受け止めていた。
「おや、メイ殿。いかがした?」
「すみません、今日も質問良いですか!」
「休憩の間だけでよければ」
「ありがとうございます!」
その時、グレイブがエイデンの姿に気づいて居住まいを正した。それを手で制する。構うなと告げた仕草は伝わり、小さな拝礼が送られるに留まった。
「して、本日はどのような御用かな」
「嘆きヶ原の決戦について知りたいです。大兵の籠る砦を、なぜ小勢の寄せ手が攻め落とせたのですか?」
「ふむ、それはだな。守備側が堅牢なる砦に胡座をかき、気を緩ませたからだ。軍学でいう『堅はときに脆なり』の典型であったと結論付けられている」
「なるほど、なるほど」
メイは懐から手帳とペン一式を手早く取りだした。細かな相づちを重ねながら、要点を書き込んでいく。左手の三本指を使って手帳を開き、残りの二本指で絡め取るようにして、小瓶や蓋を器用にも手のひらの中に収めている。その状態でスムーズに筆記できるのだから、相当に慣れている事が予想できた。
ちなみにだが、エイデンは軍学など修めてはいない。大抵の戦を拳ひとつで制してきた男には必要無いのだ。
「こちらからは以上だ。満足していただけたかな?」
「もちろんです! 大変参考になりました!」
「ではこれにて。じきに休憩も終わる」
「ありがとうございました、失礼します!」
メイは勢い良くお辞儀をするなり、その場を立ち去った。それからエイデンの元へ戻ると、満面の笑みをみせたのだ。
「今のは何だ?」
「お勉強です。軍記物の本を読んで以来、グレイブさんにはお世話になりっぱなしですよ」
「そ、そうか。そもそもメイは文字が読めたのか」
「シエンナさんに教えてもらいました。分かりやすくて、すぐ覚えちゃいましたよ」
吸収率が凄まじい。若いとはいえ、彼女の場合は異常に思える。成長に対する欲求は、貪欲という言葉すら生ぬるいほどだ。
「お父様、次の場所に移りたいのですが」
「わかった。どこへ向かうのだ?」
「お城の2階ですね。そろそろ頃合いだと思うんで」
「では参ろうか」
そうしてやって来たのは客間の一室だ。最近では、すっかり特定の者が占有している部屋でもある。
「ナテュルさん、メイです。起きてますかー?」
そう声をかけると、扉越しから『うぁーーい』という、輪郭のぼやけた返事があった。内から扉が開く。隙間から覗いたナテュルは、手櫛(てぐし)すらいれていない頭だった。わずかに見える肩や腰は素肌を晒しており、裸なのではないかと思えた。
「あーい、メイちゃん。おはようさん」
「もう昼前ですよ。今までねてたんですか?」
「いやさ、この前でた新刊がめちゃくちゃ面白くてよぉ。昨晩は眠い目を擦りながら読破……」
話の途中でナテュルの視線は横に降れた。自我の薄い瞳がエイデンを捉えるなり、少しずつ見開かれていった。
「ええ!? 今日はエイデン様も居たんだべか!」
「あっ、ごめんなさい。言い忘れてました」
「ちょ、ちょっと待つべよ! 服着てくっから!」
乱雑に扉が閉められると、騒々しさが廊下にまで伝わってきた。やがて『爺、助けんべよ!』という絶叫が聞こえると、隣室の扉が開いた。従者のコローネが控えていたのである。
こちらは悠然としたものだ。フワリ、フワリ。宙に浮遊する小さな体が、のんびりと目の前を横切っていく。そしてメイたちの方を振り向くと、丁寧な仕草で拝礼した。
「これはこれはエイデン様にお嬢様方。ご機嫌麗しゅう」
「コローネさん。約束どおり、ナテュルさんから本を借りたいんですけど」
「ふむぅ。今から準備をするとなれば……昼過ぎには万事整うかと」
「わかりました、後でまた来ます。急がなくて大丈夫ですよ」
「ご迷惑おかけします。よぉぉく言ってきかせておきますので」
「あははっ。それじゃあ失礼しますね」
お辞儀をするなり、メイは足を外へと向けた。練兵場とは反対方向だ。
「次はどこへ向かうのだ?」
「エレーヌさんのところです。剣を習おうかなと」
「武技か。そんなものにまで手を出していたとはな」
「やってみると楽しいんですよ、奥が深くて」
「分からんでもないが」
話し込むうちに、城壁の外までやってきた。そこにポツンと建つ一軒屋の傍で、エレーヌがちょうど素振りに励んでいる所だった。
「来たか。よく飽きもせずに通うもんだ」
エレーヌは一瞥もしないままに小屋へ入り、戻った時にはもう一振りの剣を携えていた。メイは片方を受け取ると、鞘から抜き放ち、一礼した。
両者ともに白刃を向けあって構える。手にしているのは真剣ではなく模造刀だ。斬れないように刃を潰してはいるが、打ち込まれれば痛むだろう。場合によっては骨折くらいするかもしれない。
「では、参ります!」
鋭い声。メイは超高速で間合いを詰めると、激しく打ち込んだ。腰の入った斬撃は重たく、切り結ぶ剣が甲高い悲鳴をあげる。
しかし、力の差は大きかった。
「踏み込みが甘い!」
「ゲフッ!」
腹を足蹴にされたメイが地を這いつくばる。それもすぐに飛び起き、再び構えを整えた。
「もう一本、お願いします!」
「ああ来るが良い。何度でも押し退けてやる!」
それからも、ひたすらに打ち合いが続いた。時おりメイが際どい攻撃を繰り出すも効果的な打撃とまではいかず、投げられ、あるいは転ばされた。そうして全身をすっかり砂に塗れさせたころ、ようやく稽古は終わりを迎えた。
あとは淡白なものだった。エレーヌは短く別れの言葉を告げるなり、振り返りもせずに小屋へと戻ってしまった。もうエイデンたちの相手をするつもりは無いらしい。
「メイ、大丈夫か。回復は必要か?」
「平気です。打ち込まれてはいませんので」
「しかし汚れたな。風呂に入ってきたらどうだ」
「そうですね。でもその前に、ナテュルさんから本を借りたいです」
「風呂の前にか? 体を洗い流してから向かっても遅くはないだろうに」
「これはワガママなんですけど、できればお湯に浸かりながら、じっくりと本を読みたいなぁって」
入浴中に読書とは、エイデンには馴染みの薄い習慣であった。メイが言うには、随分と捗るのだとか。ちなみに防護魔法が施されていれば、万が一ウッカリ本を落としても、水濡れする心配は無いのだとか。
そんな事を泥だらけの顔を綻ばせて言うのだ。生き生きとしているとは思う。しかし、どこか激しいものが多すぎる。父としては、もう少し淑やかというか、子供らしい趣味も見つけて欲しいと思う。
ーーだが、いちいち口出しするのも良くない。おそらくは。
軍学や剣術に勤しみ、書に親しむ。何か偏りのようなものも感じられるが、当人の生きたいようにさせるべきか。城に戻る最中、小さな背中を視界に捉えながら、そんな事を考えていた。
道すがら、遠くから駆け寄る女の姿を見た。爪先から天辺まで完璧な身だしなみは、離れていても目立つものだった。
「おーーいメイちゃーーん!」
「ナテュルさん、着替えは終わったんですね」
「さっきは悪かったべぇ。ほれ、約束の本を持ってきたべよ」
「うわぁ! ありがとうございます! 読み終わったらすぐにお返ししますね」
「別に構わねぇべ。その本、父様の書斎にあったらしいんだけどよ、もう要らねえって言うんだわ。だからメイちゃんにあげっぺよ」
「本当ですか!? 嬉しい、大切にしますね!」
お世辞ではないらしい。まるで宝物でも抱くかのようにして、本を両腕で包み込んだ。よほど欲しかったようである。
ーーさて、一体どのような書物なのか。
エイデンはそっと回り込み、背表紙の方を見た。するとそこには、どこか厳めしい書体で『愚者のはらわた』と書かれていた。それを眼にした瞬間、思わず思考が凍結してしまった。
「しかしよぉ。チラッと読んでみたけど、だいぶ過激な内容だったべよ」
「そこが良いんですよ。この作家先生は描写が濃厚で、処刑シーンなんか最高なんですから!」
「好みってのは分かんねぇもんだなぁ。流血だの腐肉だのって話、オラは苦手だぁ」
エイデンは迷った。本を取り上げるなら今だ、いやもう遅いか。至福の顔を見せるメイから奪い取る事は、果たして正しいのか。
人族の少女メイ。花も恥じらう程の器量と、健気な魂を備えた娘だが、若年とは思えぬほどの歪みをみせた。どこかで矯正すべきか、育つままにしておくべきか。エイデンの悩みは尽きないのだ。
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