第43話 診療所の同窓会
魔界の診療所に用があるとすれば、ニコラの定期健診だけだ。その用事も全て終えたので、後はもう帰るだけである。しかしながら足は出口に向けられず、一画に設けられた談話室から動こうとはしなかった。
ニコラを膝に抱いたまま、厳めしい顔つきで座るエイデン。彼の苦悩は、泣いて暴れるニコラの相手に疲れた為ではなく、弾みで壊れた機器の請求から生じた訳でもない。
「陛下。医者の話をまだ気にしてるんですか?」
付き添いのシエンナが顔色を窺いながら言う。たしなめる様な口調も、今のエイデンに響くものは無い。彼の頭にあるのは、娘に宿る特性についてのみであった。
医者の診断によれば、ニコラに新たな特性は発見できなかった。より正確に言えば『判別不可』との結果だ。つまり、何らかの性質が宿りつつあるのだが、芽吹くまでに至っていないのだ。
もったいつけられた形だが、父としては気が気でない。果たして如何なるものか。そう考えるだけで心は揺れに揺れるのだ。
「特性も良いものばかりとは限らん。厄介なものであったら、私はどうしたら……」
「心配なのは分かりますが、ここで気を揉んでても仕方ないですよ」
「たとえば『強欲の権化』だとしたら大変だ。際限の無い物欲に苛まれるだろう。『血酔いの王』も困る。どれほどの屍体(したい)が積み上がる事になるか……」
エイデンは堪えがたい煩悶(はんもん)に襲われた。寄る辺なき未来が視界を閉ざすようで、見通しのつかない予測が恐ろしくて仕方がないのだ。
しかし、ある意味もっとも辛いのはシエンナだろう。付き添いの為に休日を潰した挙げ句、こうして重たい場面に招かれたのだから。慰めも助言も意味を為さず、ただ時間だけが過ぎていく。せめてニコラが退屈がれば移動もするだろうが、眠りに落ちたばかりだ。
どうにかならんもんか。シエンナは救いを求めるように視線を漂わせた。すると願いが通じたのか、助け船に等しい人物が傍に現れたではないか。若い男だ。彼が発した探るような言葉は、シエンナを素通りし、嘆きに徹する男へと投げ掛けられた。
「もしかして君は、エイデンかい?」
その声に反応して、おもむろに顔が持ち上がる。胡乱気(うろんげ)な瞳は徐々に焦点を定め、仄かに温度を帯びたようになる。
視界に映る男は、頭頂に小さな二本角を備え、白銀の髪は短く切り揃えられていた。丸みを帯びる頬と垂れ下がった目尻が、押しの弱さを感じさせ、佇まいからも気弱な性質が推量できそうだ。
そしてそれらの特徴を、エイデンはハッキリと記憶していた。
「そういうお前はフレッドか。久しいな、いつぶりだろうか」
「学校を出て以来だよ。懐かしいなぁ!」
「まさかこんな所で顔を合わせようとはな。病でも患ったのか?」
「僕じゃないよ。奥さんが妊娠中でね、ちょうど今診察室に入ったところさ」
フレッドは人の良い顔をさらに綻ばせると、右手を差し出した。交わされる固い握手。それからは並んで座り、旧交が温められる事になる。
「君の活躍は聞いてるよ。その若さで王になったんだってね。大出世じゃないか」
「別に良いものではない。元老院の尖兵(せんぺい)として奉り上げられただけだ」
「それでも王は王だよ。僕も同じ魔王種なのに、大きく差をつけられちゃったなぁ」
「何を言う。お前はゴーガン家に連なる男だろう。将来が約束されたようなものではないか」
エイデンはそう口にしながらも、言い募りはしなかった。旧友の装いは質素である上に、裾もいくらか擦りきれている。楽な暮らしでは無いのだろうと察しがついた。しかし不思議にも、幸薄そうには見えない。
「辿った道筋は君と同じさ。押し付けられた縁談を断り、愛する人と逃げたんだ。そのおかげで親類には絶縁されてしまったよ」
「そうなのか。後悔は、していないようだな」
「もちろん。慎ましい暮らしだけど、毎日満ち足りてるよ」
「職には就けたのか?」
「今は国立図書館の司書を任されていてね。本に囲まれながら生きるのは、僕にとって性に合っているみたいだ」
「天職を得たのなら良いことだ。しかし、国立図書館の司書なら高給だろう。暮らしに困窮するとは思えんのだが」
エイデンは不謹慎にも嬉しくなった。かつての友も、自分と同じく贅沢暮らしが抜けないのだと予想したからだ。
「いやさ、奥さんが『食べつわり』になってね。最近はとにかく食費が凄いんだ。あれこれ節約して、ようやく凌いでいる感じだね」
彼は想定以上に真面目な男であった。下衆の勘繰りをしてしまったエイデンは、人知れず胸の中で恥じ入った。
「そ、そうか。まぁあれだ。困ったことがあれば我が城に来ると良い。いつでも力になろう」
「あはは、ありがとう。差し当たって世話になる予定は無いけど、ピンチになったら頼ろうかな」
「そこまで大きく構えずとも良い。フラリと遊びに来るだけでも歓迎する」
「そうだね。じゃあ出産と育児が落ち着いたら、顔を見せに伺うよ」
フレッドはそう言うと、心底嬉しそうに微笑んだ。しかしそれも長くは続かない。彼自身の瞳が細められる事で、和やかさは静かに霧散した。
「ところで、随分と悩んでいるようだね。僕で良ければ相談に乗るよ?」
「話せば長くなるぞ。身重の妻がいるんだろう?」
「診察ならいつも長いんだ。それに、終わったらここで待ち合わせる決まりになっているよ」
「ではまぁ、手短に」
エイデンは要点をかいつまんで説明した。特性が現れないこと、そして不明なる性質が芽生えそうだが、気になって仕方がないと。
断片的な情報から把握しきる事は難しいだろう。それでもフレッドは持ち前の賢さを発揮し、たちどころに悩みの種を看破してみせた。
「親心だね。娘がどう育つのか、心配で堪らない訳だ」
「そうなのだ。もし危険な性質であったなら、ニコラの将来に暗い影を落とすのではないかと……」
「悲観する必要は無いんじゃないか。今になって出るのなら後天性だろう。つまりは、これまでの暮らしから大きな影響を受けているはずだ」
「無論だ。それくらいは知っている」
「だったら尚更、心配は要らないよ。君との暮らしから生まれた特性。言い換えれば君の生き様から派生した性質だ。悪いものであるはずがないよ」
「そう言ってくれるか」
フレッドの視線が下に落ちる。その瞳は、今も安らかな寝息を立てる幼児へと向けられた。
「この子の寝顔をごらんよ。幸せそうに眠っているじゃないか。きっと良い特性が宿るに違いないよ」
「そうだと良いのだが」
「心配性だなぁ。隣に美人を侍らせておいて、それでもまだ悩むってのかい?」
「へっ? アタシですか?」
唐突に視線と話題を向けられたシエンナは、珍しく慌てふためいた。完全に気を抜いていたのである。
「ごめんよ、横から入って長話して。退屈だったよね」
「い、いえいえ。とんでもないです。ただのメイドですから、お気遣い無く……」
「へぇ、そうなんだ。それにしては随分な美人さんだなぁ」
「待てフレッド。もし気に入ったとしても、お前にはやらんぞ」
「あはは。そういうんじゃないよ。確かに長身女性は好みだけど、僕は奥さん一筋だからね」
フレッドはひとしきり笑い声をあげると、あらぬ方を見た。さながら壁の染みでも眺めるように。
「噂をすればってやつかな。診察が終わったみたいだ」
すると、辺りに微かな揺れが生じたかと思うと、徐々に振動が激しさを増した。気づけば、腹に響くほどにまでになった。
「妻を紹介したいんだけどさ、出てもらっていいかな。部屋が小さすぎて入れないからね」
「う、うむ。よかろう」
フレッドが退室すると、エイデンたちも訝しむ顔のままで後に続いた。そうして対面したのは巨人も巨人。首を持ち上げねば顔も見れぬ程の女が現れた。
「紹介するよ。僕の妻クリエンティーナ。見ての通り、種族はギガント・オーガだよ」
「フレッド。コノ者ラハ、何者ダ?」
見かけ同様に声が太く、強い。呟かれただけでも、肌がビリビリと振動が伝わる程だ。エイデンは面食らった気持ちを飲み込み、すぐに体裁を整えた。
「私はエイデン。フレッドとは旧知の仲だ。よろしく頼む」
「ソウカ。本来ナラ我家二招キ、歓迎シタイガ、今ハ思ウヨウニ動ケヌ」
「気遣いは無用。妊娠中はとにかく体を労ると良い。交流は諸々が落ち着いてからでも遅くは無いのだ」
「それじゃあエイデン。僕たちは行くよ。こう見えて妻は消耗してるからね」
「そうか。では此度はこの辺りで」
「また会おう。必ず」
寄り添うようにしてフレッド夫妻が立ち去っていく。一見すると大人に連れられる幼子のようだが、どちらも成人である。地響きとともに遠ざかる友の背中を、エイデンはただ無言で見送った。
辺りが静まり返ると、ようやく口が開かれた。
「世の中には、色々な関係性があるものだな」
シエンナも、やや呆然とした面持ちながら、同意する。
「そうですよ。幸せの形なんて、人の数だけありますって」
「そのようだ。私の視野は狭かったかもしれん」
エイデンは視線を胸元に落とした。そこには今も寝息を立てるニコラの顔がある。
特性を気にするのはもう止めだ。愛し愛され、全うに生きてさえくれれば良い。そんな想いを込めて眺める娘の寝顔は、やはり安らかなままだった。
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