第42話 メモリアルディ
「ねぇ、まだぁ?」
手を引かれながら歩くニコラは不満げだった。この問いかけも、もう何度目になるだろうか。
「ダメよ。まだ眼を開けちゃあ」
ニコラの手を握りしめて先導するメイは楽しげだ。思えば随分と仲良くなったものである。やはり子供というのは順応性の塊であるし、無駄な先入観が無いだけあって、親しくなりやすいのだと思う。
そうこうしている内に大扉の前までやってきた。エイデンは極力物音を殺し、ゆっくりと開け放つ。
「さぁ、もう良いわよ!」
メイの言葉で、ようやく見る事を許される。そうして眼にした光景は、
「ニコラ様、お誕生日おめでとうございます!」
という祝福とともに、城の者たち総出による出迎えだった。大広間には、割れんばかりの拍手や歓声が存分なほどに響き渡る。床も一面に季節外れの花びらで埋め尽くされており、眺めるだけでも濃厚な香りがする思いだ。
「わぁーー! すっごぉーーい!」
ニコラは早くも大興奮になった。とあるメイドの股下をくぐり抜け、花の海に飛び込んだかと思うと立ち上がり、下男の肩を中継して壁まで飛んだ。そして石壁の繋ぎ目に指を這わせると、器用にも天井まで登りつめてしまう。彼女なりの感情表現であった。
「こら! ダメよニコラちゃん。遊ぶのは後にしなさい!」
たしなめながらメイが後を追う。彼女は壁を蹴って高く跳び、ニコラの体を背後から抱き寄せて、床に着地して見せた。
今となっては当たり前の光景であるが、一部の者にとっては初見である。何人かが呆気にとられて凝視してしまう。お祝いムードに多少の水が差されたようになるも、すかさずエイデンが気を取り直したように手を叩いた。
「さぁさぁ、いつまでも突っ立っているものではない。席についてくれ」
テーブルには既に料理が用意されており、皆は座る側から喜色に染まった。メインメニューはA5ランクのミノタウロス肉。比較的安く仕入れたのだが、肉質は柔らかく上等であると、料理人たちの評判も良好なものだ。
「では、グラスを」
全員に飲み物が行き渡るのを見て、エイデンは立ち上がった。大人はワイン、子供は葡萄ジュース。広間は花の香りに加え、果実の甘酸っぱさが上積みされる。
「乾杯!」
掛け声とともに、各人が好きな様に飲み始める。早くもグラスを空にして2杯目を注ぐ者、半分だけに留める者、形だけ口に含む者とそれぞれだ。
そうして儀式を終えたら食事である。方々からナイフによる金属音が鳴り、それだけでも活気めいたものが感じられた。
「どうだニコラ。おいしいか?」
「おいひーね、これ!」
小さなスプーンを握りしめながら言う。ニコラには特別にサイコロ状のものを用意させていた。一枚肉を食べさせるには、まだ色々と早いのだ。
ちなみに料理の反響はというと上々だ。あちこちから唸り声や舌の鳴る音が聞こえ、存分に堪能しているのが分かる。老若男女問わず好評であり、早くもイベントの成功を予感させた。
そうして定番の品を味わい尽くした頃の事。入り口の大扉が開き、新たな来訪者が現れた。その2人は城勤めで無いのだが、今や馴染み深い人物である。
「おお、タピオか。随分とやつれているが、大丈夫か?」
「これは寝不足なだけです。病気では無いのでお気遣い無用でございます!」
軽食屋を営むタピオ夫妻は見るからに不健康そうだった。頬はゲッソリとこけ、目のクマも酷いものだ。そのくせ瞳には不敵な光が宿っているので、何やら独特な迫力が感じられた。
「それにしても、その大荷物はどうしたというのだ」
エイデンが台車の方へ目を向けた。全体的に布で覆われているが為に、荷の様子は全く判別がつかない。
「本日はニコラ様のお誕生日との事で、我々も頑張らせていただきました」
「ほう。という事は、面白い料理でも持ってきたのか?」
「もちろんでございます。あちこちから珍品を取り寄せ、試行錯誤すること幾昼夜。苦心の甲斐はありました。恐らく、世界初の料理でございましょう!」
意気揚々と布が取り払われた。鳴り物入りで見せつけられた料理の山だが、誰一人として理解できず、声を発することさえも忘れてしまう。エイデンから見ても、黄色い紙を丸めた様にしか思えなかった。
「タピオよ。どうやら説明が必要のようだ」
「もちろんでございます。せっかくですから、実際にここで作ってごらんにいれましょう」
夫妻の顔色に変わりはない。反響が今ひとつであっても、彼らの自信に揺らぎは無いらしい。開きテーブルに材料や道具を展開する間も堂々としたもので、動きに迷いを感じさせなかった。
「それでは始めます。まずは生地ですね。こちらは既に焼いた物をご用意しています」
「生地? 紙か何かに見えたのだが」
「これは小麦粉を元に作ったものです」
「となると、食べられるのか」
「もちろんでございます。形式上、包み紙のように扱いますがね」
生地は概ね黄色で、所々焦げ目らしきものが付いていた。形は円形。これがどのように発展していくのか、エイデンには予想もつかなかった。
「まずは生地の上にストロベリーのペーストを塗ります。食感を残す為に、荒く刻んだ果実も乗せます。分量はお好みで」
流れるような動作で整えると、次にボウルを取り出した。そこにナイフを差し入れ、再び取り出すと白く染まった。まるで雪でも掬い取ったようである。しかし、塊は妙な弾力を持っており、タピオの手の動きに合わせてフワフワと揺れた。それも生地の上で平たく、均一に塗られていく。
その上に乗せられたのは白桃だ。比較的大きく切り分けられており、等間隔に並べられた。
「そして最後に生地をクルリと巻けば、完成でございます!」
周囲の面々が、オォという声とともに拍手した。何が良いのかは分からないが、とにかく新しい調理法を目の当たりにした気にはなる。この時点で既に、感銘に近しいものを受けてはいるのだ。
「こちら、まずは魔王様にご賞味いただきたく」
「そうか。ならばいただくとしよう」
手に取ってみると、感触は柔らかだ。うっかりすると握り潰しかねない危うさがある。そうっと指を絡め、端からかぶりついてみる。するとどうだろう。思わず目を見開いてしまうほどの衝撃に襲われてしまった。
「これは、なんという美味! この白きものは何だ。蜂蜜とは違う滑らかな甘み、まるで空をたゆたう白雲でも口にしたかのようではないか!」
「お気に召していただけたでしょうか?」
「もちろんだとも。これ程の物、魔界はおろか、人間世界にだって有りはしないだろう!」
「お褒めに与り光栄です。寝る間も惜しんで生み出した甲斐がありますよ」
「皆にも食べさせてやりたい。数は用意できるか?」
「そちらも抜かりはありません」
台車には既に完成品が満載されていた。まずはニコラ、メイに手渡され、順次全員の手元に配られる。恐る恐る噛る者、訝しがって嗤う者と最初の反応は様々だが、たちまち歓声で溢れかえった。
「よくぞ素晴らしきものを創り出してくれたな。感謝するぞ」
「いやはや。自信はあったのですが、実際に喜んで貰えて安心しました」
「ちなみに、この料理は何という名だ?」
「実を言うと、まだ何も。よろしければ魔王様に決めていただけたらと」
「ふむ。私が名付け親になるのか。どうしたものか……」
唐突な願いに思考を巡らせてみるも、名案はなかなか浮かばなかった。そこで不意に目を横にやると、ニコラたちが戯れる姿が見えた。
「おいしいね、これ。もいっこ、くれぇー」
「ニコラちゃん。言葉が汚いよ。せめて頂戴って言うの」
「くれぇーー。もいっこ、くれぇーー!」
「だからもう。ダメだったら」
その会話から、エイデンに閃くものがあった。悪ふざけと言った方が良いかもしれない。
「タピオよ。クレープというのはどうだ?」
「クレェプ……でございますか。何か由来などはあるのでしょうか?」
「一切無い。だが語感というか、言葉のイメージが合致すると思うのだが、どうだろうか」
「確かに、仰る通りの気がします。柔らかで、そして爽やかな響きが感じられます」
「よかろう。ではこの料理は今後クレープと呼ぶ事にしよう」
「ありがとうございます! これからは軽食屋改め、クレープ屋として誠心誠意仕えさせていただきます!」
「頼むぞ。皆を大いに喜ばせてやってくれ」
評判はすこぶる良い。クレープ片手にあがる歓喜の声。それがいくつも重なりあうと、個々の喜びようが一層深まっていくようだった。
「ねぇねぇ、みて! おじいさん!」
「まぁニコラ様ったら。お口の周りが真っ白ですよ」
「本当だ! そこだけクロウ様にソックリだな!」
「待て待て、私のヒゲはここまで白くはないぞ!?」
珍しくおどけた調子のクロウにより、座が一段と明るくなる。どこに眼を向けても爆笑という光景は清々しさ満ちており、叶うなら、額縁に飾っておきたいくらいだ。
エイデンは思う。やはり統治とは、こうでなくてはならないと。多くの者を幸せに導いてこそ、さらに大きく、深みのある幸福が実現できるのだ。
瞳を閉じ、グラスを口に傾けた。微かな酔いが心地良い。一人では生み出しようもない愉悦の波。そっと心を通わせながら、小さく微笑んだ。
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