第41話 養女の行く先は

 メイに与えた部屋はニコラのものに比べて狭く、質素なものだった。3階の空き部屋を片付け、必須家具を並べただけ。室内の光景は、無味乾燥とも言える程に退屈で、暗い気分にさせられる。しかし使用者たる娘は、気にも留めていないらしい。


「15……16……17……!」


 目につくものに何ら関心を示そうとしない。それは部屋を与えた時からずっと同じ調子で、今も冷たい石床に転がっては筋力トレーニングに勤しむばかりだ。


「31……さんじゅう……。ああっ! 腕がぁーー!」


 二の腕が限界を超えたのか、苦悶の表情を浮かべて転げ回る。そこへエイデンがすかさず魔法を唱えた。回復を促す光が少女の体を包み込み、筋肉のダメージを消し去ってくれた。


「ふぅ、ありがとうございます!」


 復調を告げるように、メイがケロッとした様子で微笑む。すると休む間もなく、腕立て腹筋背筋にスクワット。回数制限は無く、各々の部位が動くまで続けられるのだ。ある意味では職業軍人よりも過酷なメニューである。


「メイよ。なにもそこまで励まなくても良いのではないか?」


「私は強くなりたいんです! 今のままじゃ姉なんて務まりませんから!」


 エイデンとしては見守るしかなかった。というのも、先日の殺害依頼の代案として頼まれたのが、この回復係であったからだ。断る理由も無く、こうして引き受けたは良いものの、無茶な光景を見せつけられるのは閉口した。


 それにしても、メイの頑張りようはひたむきだ。語る動機もニコラの存在を匂わせはしたが、その向こう側に例の領主が居ることは間違いない。何がそこまで急かすというのか。保護者として尋ねずにはいられなかった。


「それほどに領主とやらが憎いか」


 その言葉でメイが動きを止めた。そしておもむろに座り、無言のまま視線が義父へと向けられる。瞳の色は闇夜の湖面を彷彿とさせ、どこか澱みのようなものすら感じさせた。


 そうして語られたのは、彼女が抱く心の傷であった。


「私の家は貧しい農家でした。朝も夜も休み無く働いて、とにかく働いて。それでどうにか家族3人で暮らしていけたのです」


「そこまでやっても困窮するとは。土地が痩せていたのか?」


「いえ。父が言うには良い土だったそうです。たくさん獲れても、そのほとんどを税で持っていかれてしまいます」


 似たような話を軽食屋のクラリーネから聞いた事がある。人間世界は、何かにつけ税や手数料やらで掠め取られると。しまいには、誰にいくら入っているのかすら分からなくなるのだとか。


「そんな中、今年は珍しく不作でした。作物が病気にかかってしまったのです。国が求める分も実りませんでした」


「その結果として飢えたと?」


「いえ。それだけじゃ済まなかったんです」


 小さな肩が震え、瞳に涙が盛り上がる。湖面のような静けさも、いまは荒れ狂う海に変わっていた。


「父が、作物の一部を隠したんです。税として取られないように。そしたら、どこかから知られてしまって……」


 声がつまる。息継ぎを数度跨いで、再び言葉は紡がれた。


「殺されてしまいました。父も、私を逃がすために囮となった母も。生きていくための、僅かな食べ物を隠してたばっかりに」


「待て。なぜ殺す必要があるのだ」


「見せしめです。そうしないと、他の人たちも真似してしまうから」


「なんと非生産的な……」


 国力とは人口に大きく左右される。さらに言えば民を富ませる程に文明は発展し、最終的には国が栄えるものだ。しかし、涙混じりに語られた話は、エイデンの知る統治法とは逆行する内容であった。


「私だけは、兵士の目を盗んで逃げ切る事ができました。人里離れた森の奥深くに。だけど、そこでも辛い日々が待っていました。不安で、悲しくて、心が今にも押しつぶされそうで」


「その気持ちは分かる気がする」


「そこで私は誓ったんです」


「領主への報復を、か」


「必ずやあの男の眼をくりぬき、歯を砕いて四肢を割こうと。国旗は剥いだ皮と差し替え、歴史書も改竄して名誉を永遠に汚してやろうと、心に決めたのです」


「うむ。分かる……ような気がせんでもない」


 少女の生真面目な性質が凄惨な仇討ちを計画させた。ある意味、魔王より激しいものを内に秘めている。やはり恨みは買うものではないのだ。エイデンは顔も知らぬ何者かに、僅かな同情心を寄せた。


「さて。そろそろ向こうへ戻るぞ。ニコラが起きる頃だからな」


「はい、わかりました!」


 返答は爽やかである。これは演技によるものか、それとも二面性があるだけか。今のところ判別はつきそうにない。


 それからニコラが目覚めたのは夕刻だ。晩餐の用意をとエイデンが席を外す。その間はメイとマキーニャの2人が構う事になる。相性は思いの外良いらしい。料理を携えて戻った頃には、歓喜に沸く声が廊下中に響いていたのだから。


「さてと。そろそろ食事にしようか」


「わぁーー! おいしそぉーー!」


 ニコラは漂う香りだけで、早くも喜色を示した。その後ろでメイも、皿の方に視線が釘付けとなっている。


「準備ができたぞ。久々にヒュドラが手に入ったからな。腕によりをかけた」


「いただきまーーす!」


 献立はヒュドラのヒレステーキ、マンドラゴラのガーリックソテー、そして闇落ちベリーのヨーグルトだ。評価が上々であるのは、2人とも夢中で頬張っている事から分かる。


「おいしーね! メイちゃん、おいしーね!」


「本当! こんなもの初めて食べたわ!」


 ちなみにニコラの分は薄味かつ脂を落とし、メイの分は肉を細切れにし、消化しやすいよう配慮してある。その気遣いが効を奏したのか、おかわりを求める声が飛んだ。


「おとさん、もっぱい!」


「そうか。それはそうとニコラ、ちゃんと最後まで食べられたのだな」


 これまでエイデンを悩ませ続けた、遊び食べの癖は見られなかった。メイが目の前で行儀良く食べる姿が好影響を与えたとしか思えなかった。


 良く出来たとニコラの頭を撫でてやる。こそばゆいのか、肉汁で汚れた頬が揺れた。ナプキンで拭こうとすると、それは嫌だと顔を背けてしまう。急激に育つ訳ではない。ひとつひとつ、教えてやらねばならないのだ。


「ところで、メイはどうする?」


 こちらも既に完食していた。エイデンの誘いに対し、上目使いの視線が辺りをさまよう。


「遠慮するな。料理なら余っているぞ」


「えっと……じゃあ、パンとソテーを」


「ニコもパン! パンーーッ!」


「わかった、わかった。今用意してやるから」


 人数が増えたせいか随分と賑やかになったものだ。もちろん好ましい変化である。この後も終始和やかに過ごし、夜は更けていった。


 このような按配で数日が過ぎた。その頃になるとメイも完全に復調し、痩せ細っていた姿が遠く感じる程だ。エイデンによって振る舞われた、滋養に良い食事の賜物でもある。これには皆が祝福し、当人も微笑みをもって受け入れた。


 さて、メイが当然のように口にした料理の数々だが、材料は極めて高価なものである。それらは稀少性も去ることながら、食育の性能もズバ抜けて高い。平たく言えば魔力の増強に役立つ。それを育ち盛りの、しかも人族に食わせたならどうなるのか。まともな臨床記録が存在しないために、全くの予測不能であった。


「メイちゃん、こっちこっちぃー!」


「ニコラちゃんそっちはダメよ。シエンナさんが洗濯してるの!」


「えぇーー? じゃあこっちぃーー!」


 中庭で仲睦まじく過ごす2人。変化に気付くとしたらこのシーンだろう。愉快そうに駆けるニコラの側を、メイがピタリと離れずに付いているのだから。


 しかし、エイデンは気にも留めなかった。彼にとってニコラと走り回ることは日常茶飯事であり、極ありふれた光景であるのだから。

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