第40話 逆境が育むもの

 魔界から呼び寄せた医師の触診は優しげだった。ベッドで寝入る患者を起こさない配慮からだ。首から脈を取り、額から体温を計り、呼吸音に耳を澄ます。つぶさに容体を注視しながらの診察は、終始穏やかなままに過ぎた。


「病魔の症状なし。どうやら栄養失調だと思われます」


 ニコラの健診で世話になった老齢の医師である。熟練者の放つ言葉は重く、たった一言でも周囲を安堵させる力を持っていた。単なる楽観論などと疑う者はいない。


 実際に少女の顔は多少の生気を取り戻していた。暖かな部屋と一杯のスープだけでも、生還するだけの活力を与えたらしかった。


「そうか。それは何よりだ。気をつけるべき事は?」


「食事はゆっくりと。消化の良いものから食べさせるように。湯でもどしたパン、スープは熱すぎない方がよろしい。人肌くらいになさい」


「分かった。そう厳命しておく」


「薬も置いておきます。咳が出るようなら赤の薬を、高熱に見舞われたら青の薬を、ぬるま湯で薄めて与えてください。原液を飲ませるのは避けて。苦すぎて泣かれるでしょうからな」


「委細承知した。支払いについては、この者が引き継ぐ」


 隣に控えるクロウが拝礼し、言葉を繋げた。


「ご足労いただき恐縮です。これより精算させていただきますので、別室にお越しいただけますでしょうか」


「分かりました。ではマルクナルド様、御機嫌よう」


「世話になった」


 どうにか急場を凌いだ形である。ここに来てようやく、エイデンは元より、シエンナたちも胸を撫で下ろした。あとは様子を見ながら回復を待つばかりだ。


 翌日にもなると自らの意思で寝起きが出来るようになり、その次の日にはベッドから立ち上がるまでになった。受け答えも明瞭であり、一度も飲み薬に頼る事なく復調してみせたのだ。


 そうなると次は身だしなみである。メイドたちの手によって隅々まで身体を洗われ、汚れた衣服は取り替えられた。伸び放題の茶髪は切り揃え、爪も整えられる。


 ひとしきり身綺麗にしてエイデンと再会した頃には、完全に別人のようであった。どこか良家の子女らしき風格すら感じさせる。


「調子はどうだ。どこか痛いところはあるか?」


 対面してはみたものの話題が見つからず、当たり障りのないセリフを選んだ。思春期の娘相手に苦心する父親にも似てなくもない。


「おかげさまで元気になれました。ありがとうございます」


 少女は緊張した面持ちだが、物怖じする様子は無い。肝が座っているのか、それとも過酷な暮らしから自立心を養ったのか、推し量るにしても判断材料は乏しい。


「不都合があれば、いつでも私に言うが良い。事と次第によってはすぐにでも応じよう」


「今のところは大丈夫です。城のみなさんも優しいですし」


「それは何より。ところで、まだ名を聞いていなかったな」


「私の名前は、メイです」


「ではメイよ。既に誰かしらから聞いてるだろうが、今後はニコラの姉として……」


 エイデンが言い終えるのも待たずに、メイは全身を床に横たえた。体調不良かと思って狼狽するが、そうではない。土下座である。魔族にとって馴染みの薄い作法であるが、どのような意味を持つかは知られている。ただし、少女にどんな意図があるのかまでは、エイデンに心当たりは無い。


「一体どうしたのだ、唐突に」


「魔王様。どうか私の願いをきいてはもらえませんか?」


「大袈裟だな。先ほども言ったように、気軽に話してくれればいい。それはさておき、畏まった態度をやめたまえ」


 とりあえず起立を促す。こちらを窺うような視線が数度あると、おもむろに立ち上がった。


 メイが居住まいを正す間、幾つかの予想が脳裏に浮かんだ。欲するのは、人肌恋しさを紛らわすヌイグルミか。それとも美しい輝きを誇る宝石だろうか。さすがに領地を分け与えろという強欲さは見せまい。今ひとつ女心に疎いながらも、彼なりに想像を巡らせていく。


 しかし、メイのあどけない唇から発せられた言葉は、少女が抱く願望からは遠くかけ離れていた。


「お願いします。どうか、私が住んでいた街の領主を殺してください!」


 思わず絶句してしまい、かける言葉に困る。真っ直ぐな瞳には、嘘や冗談の入り込む余地など無かった。


 領主を手にかけるとなれば、当然戦争を覚悟する必要がある。危機感を覚えた各国首脳が参戦し、大陸全土を巻き込む大戦争に発展する事も大いに有りうる。少なくとも、現在保てている不思議な均衡が破れるのは確実だ。おいそれと叶えてやる訳にはいかなかった。


「随分と苛烈な物言いをするのだな。悪いが、それは保留とさせてもらう」


「叶えてはもらえないんですか?」


「必需品などのささやかな頼みであれば、すぐにでも応じるのだがな」


「そう、ですか……」


 落胆した視線が床に落ちた。その瞳は、断られた今でさえも狂気を見せてはいない。何か深い事情があるのだろう。そう思いはしたが、エイデン側にも要求はある。慈善活動でメイを助けたのではないのだ。


「叶えてやるかは、そうだな。お前の働き次第という事にしよう」


「働き、ですか?」


「もう何かしら耳にしているだろう。今日より我が娘の姉として過ごしてもらいたい。それは同時に、私の義理の娘になるという事でもある」


「はい。それでしたら知ってます」


「ならば話は早い」


 エイデンは部屋の隅で戯れるニコラを呼び寄せた。マキーニャの首にぶら下がったまま、従者ごと傍にやって来ると足元に着地。それからはエイデンの膝に隠れ、足の隙間より義理の姉を見上げた。


「この子が一人娘のニコラだ。よろしく頼む」


「ニコラです。さんしゃいです!」


「待て待て、まだ1歳だぞ。次が2歳だ」


「いっしゃい? にしゃい?」


「今は1歳だ」


「えぇーー?」


 何が不服なのか、ニコラが不満そうな声をあげた。その愛らしさが緊張を解したのか、メイは頬を緩ませ、膝を折って目線を合わせた。


「はじめましてニコラちゃん。私はメイ、よろしくね」


「メイちゃん、あしょぼ!」


「もちろん良いわよ。何して遊ぶ?」


「えっとね、おっかけっこ!」


「ニコラ。メイはまだ走れないぞ。おままごとにしなさい」


「えぇーー? ヤダヤダァ!」


 今度の不満は理由が明らかである。エイデンの足を叩くことで抗議の意思も示した。


「私なら平気です。少しくらいなら走れそうですし」


「そうか。まぁ無理はしないように」


「はい。そのつもりです」


「では場所を移るとしよう」


 やってきたのは城の南、桜の精霊が住まう園である。久々にやって来たのだが、知った顔を見かける事はなかった。冬に差し掛かった時分である。精霊もツボミと共に暖かな日々を待ちながら眠るのだ。


 枯れ草の目立つ園をニコラが歩く。いくらか侘しさを覚える景色だが、幼子にとっては関係ない。着いたとみるや、すぐに体の内から吹き出すエネルギーを爆発させてしまった。


「おとさん、こっちこっちぃーー!」


 ニコラが縦横無尽に走り出す。もはや闘気の扱い方は覚えたようで、今も幼児とは思えぬ動きを見せている。更には指輪がもたらす『軽業』の特性が磨きをかけた。


 獣のように野を駆け回り、高く跳んだかと思うと一息で木の天辺まで上り詰め、しなる先端を利用して真逆に飛ぶ。それからは両手足を器用に使い、枝づたいに木から木へと飛び移っていく。人型の魔族には困難な動きを、この幼児は当然の様にこなしてしまう。


「ニコラ。あんまりはしゃぐと怪我するぞ」


「おとさん、こっちぃーー!」


「やれやれ。元気過ぎるのも大変だ」


 エイデンは予備動作も無しに天高く跳んだ。しばらく空を泳ぐと、枝葉から垣間見えるニコラの姿を目にし、森の中へと急降下した。枝を蹴って駆ける娘、付かず離れず飛翔する父。そんな騒がしい父子の疾走は、ようやくフィナーレを迎える。森のど真ん中から射出されたようにして、ニコラが空を高く舞う。着地も完璧で、メイの眼前に両足を踏みしめて立ち止まった。反動で柔らかな頬がプニッと揺らしつつ。


「メイちゃんもいっしょ! あしょぼ!」


「ええっ!? ムリムリィ!」


 ただの人間に真似できる芸当では無かった。遅れてエイデンがやって来るなり、激しい拒絶の声を聞いた。そこはさすが叡智の王。一瞬で状況を完全に理解した。


「ニコラ。あまりワガママを言ってはいけない」


「えぇーー!?」


「メイは病み上がりなのだ。身体が回復するまでは、今みたいな運動はできない……」


「いやいや! 元気一杯でも無理ですってば!」


 残念ながら叡智は不発。人間のひ弱さを計算しきれないという凡ミスを晒してしまう。状況を見かねたマキーニャが、すかさずフォローに回った。 


「エイデン様。人族とは元来、魔族に比べて虚弱であります。そこを考慮せねば、取り返しのつかぬ事態になりましょう」


「随分と脅かすのだな。例えば?」


「ジャレついた御子様によって、メイ様が内臓破裂で即死。あるいは首に飛びついたばかりに、もげる。などでしょうか」


「それは宜しくない。すぐにでも対策せねばな」


 そう言うなり、エイデンは詠唱を唱えた。次いで現れたのは淡く光るベールにも似たものだ。それがメイの頭にかけられ、全身を優しく包み込もうとした刹那、フッと消えた。


「あ、あの、今のは?」


「防護魔法だ。衝撃に特化させたものでな、物理的ダメージを大きく軽減させる働きがある」


「そうなんですか……ゲフゥ!?」


 メイは早くも身をもって体験した。ニコラの体当たりによる無邪気なる打撃を。そして軽減させた割には、そこそこに痛い事を。


 脛に強めの痛みが走り、思わず膝を折ってしまった。そこへニコラは続行だと言わんばかりに、丸まった背中をよじ登り、遂には甘えるようにしてへばり付いた。まだジンジンとした痛みが引いていないのだが。


「なぁ、メイ。もしあまりにも辛いようなら、その時は言ってくれ。城下に住むニンゲンに預ける事だって出来るのだから」


「分かりました。でも、大丈夫です……!」


 返答を詰まらせながらも、瞳の覇気は陰らない。むしろ逆境こそ彼女が得意とする戦場であるからだ。人間社会で虐げられた苦労は伊達ではないのだ。


 こうしてメイという、不屈の闘志を宿した少女は徐々に魔族の世界へ馴染んでいった。しかも魔王の娘という肩書き付きである。それが今後いかなる結果を生むのか。この時点では当人も含め、誰ひとりとして知らないのである。

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