第39話 尊きは命の輝き

 エイデンは灰色がかった空の下をさすらっていた。今、割と後悔している。「姉を見つけてくる」と断言したが為に、やや途方に暮れているとも言えた。


 時間の制約も厳しい。ニコラの様子からすると今日中、遅くとも明日には解決せねばならない。そう思えば、長考するゆとりすら惜しく感じられた。


「ともかく探そう。先の事は都度、悩めば良い」


 実に潔い思考回路だ。この切り替えの早さだけは叡知の王と呼ぶに相応しいかもしれない。


「では、人物像を考えねば。極力面倒の無さそうな者が良いな」


 消去法にて頭を回す。まずはどこかの姫君や公女を拐うパターン。これは無しだ。教養に優れるという点は高ポイントだが、人族界隈が騒がしくなるのは必定だ。捜索隊やら討伐隊が派遣され、やたらと煩くなるに違いないのだ。


 魔界から養子を迎え入れるという策も却下。手続きに日数を要するし、無用なしがらみを背負う羽目になる。フゴー家がチラチラとウロつくだけでも十分だと感じていた。


 となると、選択肢はだいぶ絞られる事となる。


「人族で平民の娘だな。浮浪児など困窮する者が最も良し」


 エイデンも人の親である。子供と引き裂かれる苦痛は、想像するまでもなく理解していた。更に言えば、無理矢理に連れ去るのも良くない。同意無き誘拐では、逃亡リスクが大きすぎるのだ。家族と引き離され、魔族の集う住処に身をおけば、故郷が恋しくなるのは自然の理だ。


 そんな危うい状況下で、義理とはいえ姉妹の情など生まれるはずもない。それゆえに、社会から浮き上がって零れた者を探すのである。敵対種族の壁をいとわない程に困窮する者を。


「などと決めたは良いが、そう易々とは見つからぬか」


 ふと喉の渇きを覚え、胸元から革の水筒を取り出した。生憎にも飲み干した後である。仕方なく水場を求めて辺りを見回すと、傍に湖が見えた。


 小さく舌打ちを鳴らし、ただ無言のままで降下していく。


 そうして泉のほとりに立つと、脇目も振らずに水を手で掬い、喉を鳴らして飲んだ。冷たい。だが美味い。辺りの景色も、緑豊かな草木がうっすらと雪化粧を施している。


 実に良い隠れ家だと思う。所有者が不快で無かったなら、だが。


「これはこれは魔王様! ご機嫌麗しゅうございます!」


「泉の精霊か。何用だ」


「用も何も、ここは僕の庭でしてねぇ。どうですか、指輪のひとつでも放ってみませんか?」


「お断りだ、金の亡者め」


 エイデンは男に目線すら向けず、水筒を泉に沈めた。先日のトラブルなら解決済みなのだが、仲が深まるかは別問題だ。


「でも水を飲むんでしょ? テイクアウトもするんでしょう? だったら、お気持ち分くらいは良いじゃないですかぁ」


「うるさい。今は人探しで忙しいのだ」


「ほうほう、どういった方をお探しで? 何かお役にたてるかもしれませんよ」


「辺鄙な森に住むお前が何を知るという」


「まぁまぁ、ダメもとで教えてくださいよ。たまぁーになら来客もあるんですから」


 一理ある……かもしれない。エイデンは眉間のシワをそのままに、短く説明した。捜索対象の条件がひとつ、またひとつと発せられる度、男がいちいち鷹揚(おうよう)に頷く。鬱陶しさが喉を這い上がるが、ひとまず腹の奥に押し込んだ。


「なるほど、なるほど。そんなニンゲンなら、つい先日見かけましたねぇ」


「本当か!?」


「ええ。ボロッボロの汚いガキでしたね。捧げ物も無しに水を飲もうとしたんで、追っ払ってやりましたよ。野良犬みたいにね」


 邪悪な発想だ。いや、酷薄と言うべきだろうか。さきほどの鬱陶しさは吐き気に変わり、握る拳が固くなるのが分かる。長居は無用。そうでなければ、鉄拳が炸裂しかねない。


「その子供は今どこだ?」


「さぁてね。森の奥へと行きましたよ。こんな所で独りなんて、きっと訳有りなんでしょ」


「奥か。分かった」


 用済みとばかりにエイデンが駆けるが、その背中にすがり付く声が飛んだ。


「魔王様、そりゃ無いですよ! タダ聞きなんてあんまりだ!」


 批判めいた言葉は、指輪のひとつを放る事で抑え込んだ。事実、効果的だった。泉の精霊は眼の色を変え、両手で掴みかかったのだから。まるで獲物の尻尾を捕らえるかのように。


 そうして探索に出たエイデンだが、間もなく暗礁に乗り上げてしまう。人の手が及んでいない森は、木々が鬱蒼と繁っており、ともかく見通しが悪いのだ。


「奥の方と言われてもな。目視で探すのは不可能だろう」


 そこで瞳を閉じ、意識を集中させた。生者の気配を探る為である。聞こえるのは、大型獣の足音、小動物が木々を昇る音。望ましいものはまだ見当たらない。


ーー集中せよ。きっと、かの人物は弱っているはず。もっと細やかに探るのだ。


 より深くまで意識を潜らせる。無用な感覚は全て手放し、耳に全神経を預ける。そうして聞こえたのは、何千何万種ものざわめきだ。小虫の羽ばたきまで把握するレベルに達することで、ようやく感じ取った。その微かな息づかいを。


「居た。しかも遠くではない」


 エイデンは深い森を疾走した。枝を払い除け、獣道を掻き分けて進む。すると、ようやく見つける事ができた。大木の幹に背中を預け、薄く雪の積もる上に腰を降ろしている。


「おお! 10歳弱、孤独で困窮。まさに求めていた人物ではないか!」


 不謹慎である。どんな経緯であれ、そう評されて喜ぶ者など居やしない。ただし、少女が不満を示す事はない。それどころか、今にも意識を手放す寸前であった。


「あ……あぁ……」


 少女は魔族の出現に驚かなかった。それどころか、反応が酷く乏しい。何か不吉さを纏う子供だった。痩せ細った手足が、そう思わせるのかもしれない。


「人の子よ。私は魔王エイデンだ。そなたの命を助ける代わりに、我が命に従えるか?」


 短的に要求した。膝を着き、傍に侍りながら言葉を待つ。それすらも野暮か、自由意思など後回しにすべきではないか。そんな迷いが脳裏を過り、背中に冷たいものを走らせた。


 すると、か細い声とともに、小さな手が差し出された。風前の灯火のように、儚く宙で揺れる手が。


「た、たすけて……」


「よし。契約成立だ!」


 言うが早いかその手を掴み、少女を胸に抱き寄せた。そして間髪いれずに大空へ向けて飛び立つ。


「城へ行くぞ。全速だ!」


 エイデンの胸に死の気配が漂う。少女の体は冷たく、そして哀しくなる程に軽い。なぜ、か弱き子供が打ちのめされねばならないのか。同族同士で助け合うべきではないのか。人間社会システムの杜撰(ずさん)さに激しい憤りを覚えた。


 その想いが魔力の源泉となり、途方もないエネルギーを授ける。おかげで想定外の速さで帰還する事が出来た。城を目にするなり3階の窓から潜り込み、ニコラの部屋へと戻った。


 待ち受けた面々が困惑顔で迎えるが、エイデンは話し込む猶予を与えなかった。


「陛下、その子は……」


「説明なら後だ。シエンナは大至急、暖かな食事を用意せよ!」


「は、はい! ただいまお持ちします!」


「マキーニャ、お前は医者の手配だ。魔界より腕利きの者を呼んで参れ!」


「承知いたしました」


 最低限の指示を飛ばすと、急ぎ暖炉の側へと寄った。煌々と燃える赤い炎。多少の安らぎを感じるが、気を緩めるには早すぎる。胸の中の少女は顔面蒼白なままだ。暖色の光を浴びたことで、悲壮感をより強めてしまう。


 死の気配は今もなお濃い。


「おとさん。この子は?」


「姉となってくれる、かもしれぬ。だがまずは、助けてやらねばならん」


「いたいの? つらいの?」


「そうだ。辛くて苦しくて、大変なのだ」


「そう。いいこ、いいこぉ」


 ニコラが少女の頭を撫でる。それで僅かではあるが、確かに反応があった。まだ命はある。今にも消え入りそうだが、魂の光は輝いているのだ。


「死んではならぬぞ。その歳で死出の旅など、許される訳がない」


 エイデンは治癒魔法を発動させた。しかし、手応えは薄い。外傷がもとで昏睡している訳ではないからだ。


 レイアの時と同じだ。魔法といえど、いかにエイデンが優れていても、病を治すことは出来ない。衰弱にも効果はない。最新の魔法技術を駆使した所で、出血を止め、傷口を塞ぐのがせいぜいだ。


 そうと分かっていても、エイデンは魔力を弱めようとはしない。無意味な助力と分かっていても、結果を左右するかもしれないと思えば、手を休める気になれないのだ。


「シエンナ、まだかーーッ!」


 いつものように絶叫が響く。だが今度ばかりは真に喫緊のものだ。この憐れなる少女の命運は、魔王たちの働きに委ねられたのだから。




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