第38話 打開策を求めて

「ご多忙の中、お呼び出ししてしまい申し訳ありません」


 そう口火を切ったのは、やつれ顔のクロウだ。ここは作戦会議室。火急の話があるという口実で、2人だけで話し合いの場を設けたのだ。


 エイデンはいくらか機嫌が悪い。せっかくニコラとのおままごとを中断させられた為だ。


「まったくだ。主人を呼びつけるなど、ふざけておるのか?」


「傍目から見たら、私の方が数段は真面目に映るでしょうな」


 エイデンは衣服を整える前に現れたが為に、普段とは随分と雰囲気が異なる。頭をピンクのリボンで可愛らしく飾り、後ろ髪はポニーテイルに結んでいる。首から上だけ見れば、エイデン子さんモードとなっていた。


 クロウは吹き出しそうになるのを堪えながら、厳めしい書状を卓上に並べた。笑ってはいけない。重大な話なのだ。


「本国の元老院より。攻略はまだかと催促が来ています」


「いつもの様にはぐらかせ」


「そうしたいのは山々ですが……」


 クロウは書状に目を落とした。促されたようにしてエイデンが端から手に取り、流し読みする。事ある毎に発せられた指令書は、全部で10枚にも及ぶ。


「魔界の連中は相当に焦れているらしい。最後の方など脅迫文そのものではないか」


「笑い事ではありませんぞ」


 書面は2年という月日を経て、大きく変貌していた。初回などは礼節を弁え、美辞麗句を散りばめ、結びで健闘を祈るという丁寧な文面だ。


 それが回を重ねるごとに簡素化し、6通目以降は王を讃える言葉も罵詈雑言に差し変わっていた。やれ「王位を剥奪する」だの、または「国賊として討伐する」だのと散々に脅かし、最後は「地上を支配したなら罪を赦す」と締めている。


ーーこれが魔界の、実質的な支配者か。


 エイデンは失笑とともに紙を放った。


「これまでと変わらん。引き続き『諸般の事由により』で押し通せ」


「さすがに限界でございますな。無理を通せば、まことに国賊と認定されかねません」


「それがどうした。この私が連中に敗れるとでも?」

 

「まさか。魔王様は武力において天下無双です。政治手腕と感覚は酷いものですが」 


「後半部分は口に出さずとも良かったろう」


「問題は押し寄せるだろう討伐軍ではありません。魔界からの補給が途絶える事です」


 エイデンの国は必需品の過半数を、御用聞きを通して魔界から取り寄せている。手狭な領地で得られる物も少なくないが、千人規模の国民を食わせていくには足りない。ましてや昨今は、流れ者や食いつめ者が集まり、数が増える一方なのだ。補給線を断たれる事は、いかに強大な魔王であっても怖じ気づく程の作戦なのだ。


「確かに、本格的に魔界と敵対するのはマズいな。遠くない先にはニコラの2歳健診を控えているのだ」


「何をノンキな。兵糧攻めは我が国にとって死活問題ですよ。文字通り飢える事でしょう」


「かと言って、現時点で地上を侵略するのも得策ではあるまい」


「そうですね。陥とした城を支配するだけの兵も士官も足りません」


 エイデンが出陣すれば連戦連勝は確実だ。しかし拠点を手に入れたとしても、維持する事が出来ない。ガラ空きにすれば人族が再度支配するし、主力をグレイブかクロウに委ねて派遣しても、せいぜい一城を防衛するのがやっとだ。


 この広大な大陸を手中に収めるには、駒が明らかに足りないのだ。


「人手を増やすとしても、急に兵は集まらん。優秀なる指揮官となると尚更だ」


「ですので、別の手段を考えねばなりません」


「具体的には?」


「強引な力攻めです。魔王様が全拠点を攻め落とし、敵軍を殲滅するという、策とも呼べぬものです」


「やると思うか。それを実行したとして何日かかる?」


「およそ半月、かかっても1ヶ月ほどでしょうか」


「お断りだ。その間にニコラが寂しい想いをするだろうが」


「ええ、承知の上で申し上げましたとも。手法はさておき、何らかの実績は作らねばなりません。歩は遅くとも侵攻している事を示せば、いくら元老院とて強くは出られますまい」 

 

 話としては、ここで終わったようなものである。お互いに2、3の意見を交わし、お茶を濁しただけだ。エイデンは会議室から出ると、溜め息をひとつ落とす。そして緩やかな足取りでニコラの部屋へと向かった。


ーーどうにかして対策を考えねば。侵略の実績を作らねばならないな。


 最善は地上を掌握してしまう事である。当初に授けられた命令は、今も変わらず効力を発揮している。本国の重役たちは、エイデンであれば可能と見積もっており、その辺りの分析は的確だと言えた。


 その目論みどおり、ニンゲンの軍を撃破する事は難しくない。堅牢な砦も巨大な城も、万余の軍勢ですら、彼の手にかかれば1日もあれば十分だ。余程の事態にでもならない限り、魔族の勝利は揺るぎないのだ。


 しかしこの魔王、腰が極めて重い。大陸に散らばる数多の拠点を、延々と湧き出るような人族の軍を攻める気になれないのだ。戦が長く続けば、それだけ城を空けざるを得ない。即ちニコラの育児に響いてしまう。愛する妻の忘れ形見をぞんざいに扱うくらいなら、人族魔族の双方を相手取り、死体の山を築くつもりですらいた。


ーーまぁ、どうにかなるであろう。


 考え込むうちに楽観さを取り戻すと、すでに3階の回廊までやって来た。そのまま愛娘の部屋に直行し、


「待たせたな。ニコラに異変は無いか?」


と声をかけつつ入室した。そこで最初に視界へ飛び込んできたのは、頭をリボンだらけにした女の姿だ。疲れきった顔をしている。その口がゆっくりと、酷く緩慢な様子で開いた。まるで錆び付いた蝶番が、動くのを拒むのにも似て。


「ニコラ様は大丈夫です。さっきまでグズッてたけど、ようやく落ち着きました」


「お前、もしかしてシエンナか?」


「他に誰が居るってんです」


 人相も髪型も豹変しているので、初めは見分けがつかなかったが、冷静に眺めれば知った顔である。そもそも呼び出しを受けた折りに、ニコラの世話を任せた事も失念していた。


「まぁ、その、なんだ。可愛らしいぞ」


「あぁ、リボンですか。これはニコラ様が着けたんですよ。1個2個と結んでいくんですけど、何か気にくわないらしくて」


「その結果、どんどん追加されていったと?」


「そうです。こんだけやっても満足してくれず、最後は大泣きでしたね。ギャンギャン泣きまくって、ついさっき落ち着いたんです」


「ふむ。ご苦労だった。後は私に任せておけ」


「頼みますよ、マジで」


 エイデンは部屋の奥へと足を踏み入れていった。それはまさに『踏み入れる』といった様子で、ぬいぐるみや木彫りのオモチャなどが散乱する中を、足場に苦心しながら歩を進めた。


 窓際でニコラが長椅子に座っている。テーブルに顔を乗せる事で、ぽってりとした頬が滑らかに歪む。この年齢でアンニュイな気配を発するのかと思うと、成長の跡が嬉しくも感じられた。


「エイデン様。お待ちしておりました」


 不意に椅子が喋った。いや、改めて見たならマキーニャだった。首から上だけはそのままに、胴を長く引き伸ばして座席とし、両手足を支えにして長椅子の形状を保っていた。傍目からは辛そうに見える態勢だが、この時でさえ彼女は顔色を微塵も変えようとはしない。


「念のためご報告を。本日の御子様はご機嫌斜めのご様子。何をきっかけに癇癪を起こされるか不透明です」

 

「分かった。頭に入れておこう」


 そうなると刺激する訳にはいかない。静かに歩み寄り、膝を着いて目線を揃えた。


「ニコラ。何を見ているんだ?」


 その幼い眼は窓の向こう、中庭を映していた。そこには城下からやってきたらしい、幼き獣人姉妹の遊ぶ姿が見えた。年の頃は、まだ10にも満たないように思える。


「あはは、こっちこっちぃーー!」


「こら。待ちなさぁーい」


 戯れ半分の追いかけっこだ。その様子を眺めたニコラが、


「おねえちゃん、ほしいな」


と呟いた。ひどく湿った声だ。顔を見なくても表情が手に取るように分かる程に。


 しかし、ご機嫌とりについては極めて難解であった。せめて妹を望むのであれば、何とかできなくもない。生物学上の意味で。しかし姉となると、難易度は相当に跳ね上がる。


 これにはエイデンだけでなく、シエンナも困惑した。2人は顔を見合わせたかと思うと、所在なさげに視線を落とした。そうして気の利いた言葉も浮かばないうちに、ニコラの声が真に迫るようになった。


「おねぇちゃん、ほしいの。ニコ、おねえちゃん、ほしいぃ……!」


 つい先程シエンナが玩具にされてしまったのも、姉欲しさからであった。ニコラがイメージする丁度良い年頃の少女に変貌させようとした為だ。もちろん年齢の壁を越えるのは容易くはない。そもそもシエンナは大柄な女性であるので、幼さを押し出すには不向きな体型である。


 そんな経緯を知ってか知らずか、エイデンは凄まじい事を口走った。どうにかして娘を泣き止まそうとして、出任せが飛び出したと言った方が良いか。


「そうかそうか。では姉を用意してやろう」


「ほんとう? おねえちゃん、くれる?」


「もちろんだとも。今連れて来るから、良い子にして待ってるんだぞ」


 あまりにも無責任すぎる約束に、シエンナがリボンを振り乱して叫んだ。


「陛下、いったい何を考えてるんですか!?」


「案ずるな。どうにかして四方丸く収まるよう、名案を思い付いてみせよう」 


「いやいやいや、無理に決まってます! 姉ですよ、どう考えたって不可能じゃないですか!」


「シエンナ、マキーニャ、後は任せた」


「承知しました。吉報をお待ちしております」


「アンタも無闇に背中を押さないの! それよりもホラ、ニコラ様の世話を変わってください。アタシはこれから仕事が……」


 シエンナが言い募るのも聞かずに、エイデンは窓から大空へと飛翔した。その背を追うようにして「このクソ領主がーー!」という叫びが、虚しく冬空を響かせて消えた。


 ニコラのために姉を用意する。この自己矛盾する目標をどう達成すべきか。エイデンは極寒の風が吹き荒れる空模様の中で、頭を何度も捻りながら漂い続けた。時間の猶予はそれ程ない。少なくとも、日中のうちにはケリを付ける必要がある。


 エイデンが突発的に始めた『姉の捜索』だが、この些細な思いつきを切っ掛けにして、大陸は動乱期を迎える事になる。後世で歴史を編纂する者たちは、口を揃えて言う。


ーー運命の歯車は静かに、だが着実に回り始めたのだ、と。

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