第37話 湯がくれたモノ

 城下町の端で人だかりが出来ていた。今年一番の目玉ともいえる巨大建築物が完成したからだ。付近に住まう人々が仲間に声をかけ、その物珍しさから見物にやって来たのである。


 集団の先頭に立つのはエイデンだ。まず入り口を眺め、それから左右に視線を巡らせ、


「半ば予想をしていたが、武骨なものだ。まるで砦のようではないか」


 と言った。それは決して大袈裟な言い方ではない。広大な敷地は一般家屋の10軒分に相当し、その外周を板塀でグルリと囲んでいるのだ。事情を知らぬ者からしたら、何か物々しい施設と思うだろうが、一応は憩いの場である。


「そう仰いますな。デザインに明るい者が居らぬのですから」


 取りなす様にクロウが言う。彼は暗に、担当者に落ち度無しと告げたのだ。


「責めているのではない。ただ、この国にも華やかさは必要だと感じたまでだ」


「実際に使われれば、外見など気にならなくなりましょう。いかがですか、さっそく湯浴みなされては?」


「そうだな。ではお前も供をせよ」


「私が、でございますか?」


「裸の付き合いというものだ。ついて参れ」


「いや、私は風呂が苦手で……!」


 こうしてエイデンは、困惑するクロウを強引に露天風呂へと誘った。そのあとにマキーニャが続くが、当然ながら追い返される。


 同席を断られた彼女は「せめて御子様だけでも」と食い下がり、ニコラを預かる事には成功した。こうして小さな御輿をかつぐなり、女湯へと続く隣の入り口をくぐった。


「はぇぇ、すっごいねぇーー!」


 脱衣所を過ぎ、風呂場までやってくると、ニコラが感嘆の声をあげた。床は全てがヒノキで、木の豊かな香りが鼻を愉しませる。湯船も大理石を部分的に平たく削り、それを組み合わせるという造りであった。隙間には粘土を詰め、魔法で接合されているので、存分に湯を溜め込む事が出来るのだ。


 新築の湯船に人影は無い。一般開放されるのは明日以降ということもあり、今は貸切状態なのだ。


「ではニコラ様。一番風呂をどうぞ」


「あははっ! あっちぃねぇー!」


 かけ湯を終えたニコラが湯船に浮かぶ。白くポッコリとしたお腹が、小島のように水面を漂った。


「では私も失礼します」


 続けてマキーニャも体を湯に浸した。金属の肌は熱伝導率が高い。全身に迫る強い熱気は、ひとまず心地よいものとして受け入れる事にした。エイデンが良しとする物を好意的に感じねば、適切な奉仕は不可能だと言えた。


「それにしても、静かなものですね……」


 板塀が外界の細々とした騒音を遮っているのだ。聞こえるものと言えばニコラの戯れる音と、湧き出る源泉が筒を伝って、湯船に落ちる音くらいだ。マキーニャは風呂そのものよりも、静けさの方を愛したくなった。しかしその静寂も、脱衣所からやってきた2人によって破られてしまう。


「ほらシエンナちゃん。早く行くべよ」


「ナテュル様、布! 前を隠してください!」


 元気な娘たちは、ナテュルとシエンナである。彼女たちは体を洗うのもおざなりに、温かな湯船に体を沈めた。


「あぁぁぁ! 冷えた体には、もう、たまんねぇべぇーー」


 ナテュルが年寄りめいた呻き声をあげ、両手足を投げ出した。この天真爛漫な振る舞いから忘れがちだが、彼女は大貴族のご令嬢である。いつもに増して奔放であるのは、衣服という枷が外れた為であろう。


「おや、ナテュル様に豚足さんですか」


「露天風呂ができたって聞いて飛んできたんだべ。入っちゃマズかったけ?」


「御子様さえ宜しいようでしたら」


「ニコラちゃん、一緒にお風呂いいべか?」


「いっしょ! いっしょにあそぶの!」


「うんうん。楽しく暖まるべよぉ」


 普段、城に設えた風呂に入るニコラにとって、大勢での入浴は新鮮だった。エイデンと肩を並べて入るのも良いが、これはこれで楽しいようである。広い風呂で舟遊びでもするようにして泳ぎ、時おり顔に湯を被ってもケタケタと笑い、裸の付き合いを満喫するのだ。


「ところでシエンナちゃんよぉ。この国で覗きって罪になるんだか?」


「そりゃなりますよ……って、もしかして?」


「そこの板ん所にずぅーっと誰かいんべよ」


「えっ! 嘘でしょ!?」


 弾かれたようにして視線を飛ばすと、板塀の一枚に節穴が空いているのが見えた。高さも中を盗み見るのに丁度良い位置にあった。


「ナテュル様。そういった悪事に国境はありません。厳罰を与えてしかるべきです」


「そうなんけ、例えば?」


「両目をくりぬいた上で百叩き、などが相応しいかと」


「ちょっとマキーニャ、それじゃ死んじゃうでしょ。拳で一発ぶん殴るくらいにしときなよ」


「龍の拳で制裁ですか。控えめに言って死刑ですね」


「うっ。ちゃんと加減するもん!」


「つうわけで覗きの人、早く謝んねぇと殺されちまうべよぉーー」


 その呼び掛けで外が慌ただしくなり、足音が駆け去っていった。おめおめ逃す気の無いマキーニャは、自身の右腕を切り離し、超高速で飛ばした。それは不届き者を正確に追尾。やがて顔面を鷲掴みにしたすると、湯船の側まで帰還した。


 同時に顔を掴まれたルーベウスが、宙で無様にも暴れ続けた。


「いでででっ! 骨が折れちまう!」


「覗きは貴方でしたか。発情期にでも突入しました?」


「人を犬扱いすんな……アイダダダ!」


「マキーニャちゃん。すごく痛そうだから、いっぺん放してやったらどうだべ?」


「ナテュル様、情けは無用です。この男はあろう事か、御子様の入浴を覗いたのですから」


「えっ! ニコラちゃんが目当てなんだべか!?」


「んな訳あるか! そんなチンチクリンに用はねぇ……って、ギャアアアーーッ!」


 悪人に制裁の電撃が走る。ニコラに対して暴言を吐き散らした事で、首の仕掛けが作動したのである。エイデンによる魔法の枷は実に有能だった。


「この程度の雷撃で失神ですか。情けない」


 マキーニャは煤の付いた腕を装着し、湯ですすいだ。気絶したルーベウスは外に投げ捨てて放置。これにてようやく、平穏は取り戻された。


「それにしても、しょうがねぇ兄ちゃんだべぇ。こんなもん見て何が楽しいんだか」


 ナテュルが湯に浮かぶ乳房をベチベチと叩きながら笑った。それはシエンナにとってちょっとイラつくポイントであったのだが、悪気が無いものとして堪えた。


「異性の体とは、湯に濡れる事で3倍も魅惑的になるのだとか。邪な目線を集めてしまうのも、そんな背景がある為です」


「ちょっとマキーニャ、適当な事言ってんじゃないわよ」


「疑うのですか? では想像してご覧なさい。白い肌に朱が差し、角ばった腕や手の甲に血管が浮かび上がる姿を」


「はうぅ! 言われてみれば、たまんねぇべぇ! シエンナちゃんもそう思うべ?」


「あ、アタシは別に!」


「嘘は良くねぇんだなぁ。耳まで真っ赤だべよ」


「違います!これは、のぼせたんです!」


 言葉とは裏腹に、シエンナは鼻まで湯に浸かって口撃から逃れようとした。しかし追撃とばかりにナテュルの囁きが飛ぶ。


「エイデン様がこう迫って来たらどうだべ? 『シエンナ、お前が欲しい。今宵は心ゆくまで肌を重ねあおう』とかさぁ」  


「ブハァ! 何で陛下が出てくんですか!」


「それを説明するほど野暮じゃねぇべや」


 尾を引くような笑い声の後、皆は一様に黙り込んだ。そんな3人の前を泳ぐニコラの体が、のどかにも横切っていく。


「あーぁ、見てぇなぁ。エイデン様の裸……」


 ナテュルがボウっと呟く。


「それは夫婦の間柄にならねば、難しいのでは」


 マキーニャが正論で潰しにかかる。言わずもがなの直球は苦笑いを誘うだけだった。


「んな事は分かってんべぇ。結ばれんのが難しい事もよぉ」


「では手っ取り早い方法をお教えしますと、そこから男湯を覗く事ですね」


「えっ? もしかしてエイデン様は?」


「湯浴みをなさっている最中です。今なら一糸纏わぬ姿を拝む事が出来るでしょう」


「そうなんけ? でも、覗いたらきつ〜い罰があんべよ」


「ご安心を。女からであれば罪には問われないのです」


 顔色を変えずに無茶を言うマキーニャを、シエンナがキツイ口調で咎めた。


「ちょっとアンタ。何をテキトーな事ぬかしてんのよ。ダメに決まってるでしょ」


「豚足さん、少し黙って。今はライバルを葬り去るチャンスなのですから」


「ちょ、ちょい待つべ。それはオラの事け?」


「まぁネタをばらされた今だから言いますが、貴女を嵌めようとしました。申し訳ありません」


「おおかた、エイデン様を怒らせようとしたんでしょ」


「うわぁ……助かったべぇ。シエンナちゃん、ありがとうな」 


 ナテュルは背筋が凍る想いだった。最近はずいぶん打ち解けたとはいえ、初対面の折に激怒させている。次に怒らせれば故郷送りとなるのは確実だ。 そんな結末に繋がる罠が、顔なじみからシレッと放り投げられたのだから、改めて痛感するのだ。エイデンと結ばれる道の険しさを。


 湯温に反して空気が冷え始めた頃、更に肝を冷やすような声が辺りに響いた。


「助けてくれシエンナァーーッ!」


 久方ぶりの絶叫である。それも男湯エリアからだ。ナテュルはこれ幸いとばかりに湯船から飛び出し、仕切り板をよじ登ろうとした。


「シエンナならここに居んべよ。ついでにオラも!」


「女湯にいたのか、ならば好都合だ! こっちに来て手を貸してくれ!」


「当然だべぇ! 男湯に入んのはこっ恥ずかしいけど、エイデン様の頼みじゃあ断れねぇべ」


 全裸のままで向かおうとするナテュルをシエンナが止めた。大きめの布を充てがわれ、シエンナ共々に体を隠した上で境界線を越えた。


 そうして目にしたものは衝撃的だった。一枚布で腰を覆うエイデンの姿よりも先に見えたのは、うつ伏せで倒れるクロウである。彼は全身を真っ赤に染め、全身を投げ出して、身じろぎすらしなかった。


 その様子から、シエンナには『カラスの行水』という言葉が浮かんだ。


「陛下、もしかして長湯を強要しましたか?」


「強要したつもりは無いのだが、財政やら戦略やらと、つい話し込んでしまったかもしれない」


「クロウ様は根が真面目だから、大事な話で途中抜けが出来なくって……」


「いや、今は原因よりも、カラスの爺さんを助けた方が良くねぇけ?」


「それもそうですね。ともかく水を飲ませて。それから冷水で絞った布で、手足や首を冷やしましょう!」


 辺りはにわかに慌ただしくなる。国の経営を一手に握る男が倒れたのだ。もし回復が遅れてしまったら、国政に多大な悪影響を及ぼしてしまう。シエンナたちは必死の想いで介抱に挑んだ。


 その様子を遠目から眺めているのはマキーニャだ。彼女は顔を綻ばせ、まばたきは一切禁じて、眼前の光景を目に焼き付けた。


「マキーニャ、たのしそう。いいことあった?」


 ニコラが足元から見上げて問いかけた。その声に応える代わりに、自分の胸元に抱き上げた。


 引き続き、マキーニャは顔を騒がしくする方へと向けた。その視線の先には、エイデンの腰に巻いた布の隙間から、たくましい尻えくぼがある。介抱に夢中のナテュルたちとは違い、マキーニャは漁夫の利に与るようにして、眼福を心ゆくまで味わうのだった。

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