第36話 さまよえる妄執

 この日、謁見の間には珍しくエイデンの姿があった。やや張り詰めた空気は、季節の冷え込みからくるものではない。これより、王直々による取り調べが始まるからだ。


 この重々しい場において口火を切ったのは、片腕たるクロウだ。


「魔王様。この者にございます」


 後ろ手に縛られた女が引き立てられる。魔族ではなく人間だ。装いからして平民や末端兵ではなく、それなりの地位にあるように見えた。有り体に言えば女騎士である。


「クソッ。殺せ!」


 囚われの身にも関わらず、気丈な言葉が飛び出した。周囲を魔の者が固め、強大なる王を前にしても、彼女の闘志は微塵も揺らぎをみせない。


「貴様、名をなんと申す?」


「魔族に名乗る名などない!」


 取りつく島もないとはこの事だ。経緯を知るには、捕縛者に尋ねるしか無かった。


「グレイブよ。説明を頼む」


「ハッ! 時間は今朝まで遡ります!」


 勤勉なる兵士長が語る。調練の一貫として、外郭(かいかく)エリアで歩行訓練を実施していた折りに、遠くから城を眺める人物を見かけた。流れ者であれば見逃すところだが、武装をしていた為に捕らえたという。


「つまりは偵察者の疑いがある、と」


「まさしく。そしてこの女、なかなかの強者にございます。捕縛を完遂するまでに、多数の怪我人を出してしまいました」


「分かった。ところで、その剣は何だ?」


「こちらは、女が履いていた物にございます」


 グレイブが献上品だとばかりに、両手に捧げるようにして差し出した。エイデンは手にするなり、鞘を払ってみた。


「やめろ! 汚い手で触れるな!」


 罵声は耳に届かない。というのも、その刀身の美しさに眼を奪われたからだ。


 片刃の刃には一点の曇りすら無く、凄まじいほどの磨きこみだ。鏡のようだというレベルを超え、まるで、その先にもう一つの世界が広がっているような錯覚を覚えた。


 思わず見惚れてしまう。我が物としてしまいたくなる気持ちを、際どいところで抑え込んだ。


「良い剣だ。手入れも存分に行き届いている」


「ふん、魔族ごときが。知ったような口を聞くな」


 悪意に満ちた返答に、エイデンは苦笑してしまうのだが、収まりのつかない男が居る。忠義心あふれるグレイブは憤激し、鼻息を荒くしながら自身の剣を抜き放った。


「黙って聞いておれば! そこまで死にたいのなら、今すぐにでも冥府へ送ってくれよう!」


「よせ、グレイブ」


 振り上げられた剣が宙で止まる。エイデンの元には、なぜと問いかけるような視線が集中した。


「これほどの武芸者だ。縄で辱めた上に殺す訳にはいかぬ」


「し、しかし!」  


「お前も武人であれば、言わんとしている事が分かるだろう」


「……御意」


「そういう事だ女騎士よ。このまま放免するので、どこへでも行くが良い」


 女は一度眼を見開いたあと、眉間のシワを深くし、歯をギリリと噛みしめた。


「恩義など感じぬぞ」


「無論だ。次は戦場で会いたいものだな」


 それから縄を解かれると、愛剣もその手に返される。女は去り際に、幾度か振り返るそぶりを見せたのだが、やがて扉の向こうへと消えた。


 辺りが静けさと安堵を取り戻した頃の事。クロウが溜息混じりに主人をたしなめた。


「あのまま帰してよろしいのですか? 野に放ってしまえば、後々面倒となるでしょうに」


「良いのだ。正々堂々と干戈(かんか)を交えてみたい。そんな気にさせる眼であった」


「……私の理解を超えております。強者ならば切り捨てるべきでしょう。それだけ敵が弱体化するのですから」


「損得でものを測れば、そう考えるのだろうな」


 エイデンの瞳が獰猛(どうもう)に笑う。それは剣撃で舞う血飛沫を夢想するが故か。戦いから遠のいて久しい彼の胸は、いつぶりかの高揚で染められた。


 さて、この女騎士との再会だが、それは予想以上に早いものだった。さすがのエイデンも計算外の事態である。なにせ、それが翌日の事であったからだ。


「クソッ。殺せ!」


 既視感を覚える光景だ。吐き出された台詞も寸分違わない。エイデンは訝しむ気持ちを隠さず、随行するルーベウスを問いただした。


「これはどういった事だ?」


「旦那。こいつは壁をよじ登って、城に侵入しようとしたんですよ。あんまりにも怪しいもんだから捕まえておきました」


 エイデンは頭痛を覚えたように、こめかみに指先を当てた。グレイブの報告によれば、昨日は女を郊外で解放したとの事だ。それが何故今になって、付近をうろついているのか。意図がサッパリ理解できず、頭を悩ませるのだ。


「私の自由を奪った挙句に何をするつもりだ! 不埒な真似をしたら承知しないぞ!」


「そんなつもりは無い。ルーベウス、摘み出せ」


「ええ!? 釈放するんですか?」


「構わん。ただし、城から離れた場所で解き放て」


「はぁ。分かりました」


 ルーベウスが女騎士を肩にかつぎ、部屋を後にした。去りゆく間際に「どこへ連れて行くつもりだ、邪淫の園にでも閉じ込める気か!」などと叫びだし、エイデンは更に困惑してしまった。ニンゲンの女とはよく分からない、と改めて思う。


 その翌日の事。散歩がてらタピオの店に寄る事を決め、城下へと繰り出した。肩にニコラを乗せて歩き、いくらか遅れてマキーニャが付いてくる。


 今日も買い求めるのはバナナジュース。大通りを進み、店に立ち寄ろうとしたのだが、遠くが騒がしい事に気づく。普段とは打って変わって、何やら人だかりが出来ているようなのだ。


「どうした、何事だ?」


 エイデンが側まで寄ると群衆が割れた。そして、人垣の先にあるものを見るなり、再び強い頭痛に襲われた。


「お前か、なぜ舞い戻ってくる!」


 またまたあの女騎士である。周囲を威嚇するように剣を抜き放っているが、乱闘沙汰に発展する前であった。辺りには血の一滴すら溢れていない。


「エイデン様、聞いてくださいよ! この女、突然やって来たかと思えば、ウチの亭主を誘惑したんですよ!」


「それは事実なのか?」


「そりゃもう、この目と耳がシッカリと覚えてますよ」


「エイデン様、ウチの父にもつきまとってました!」


「アタシの弟もだよ!」


 方々から似たような苦情が次々と噴出した。エイデンはとにかく理解に苦しめられるが、どうにかして場を治めなければならない。まずは武器を取り上げよう、と考えたのだが。


「クソ! さすがの私も、魔王相手になど戦えん。もはやこれまで!」


 女騎士はそう宣(のたま)うなり、手の物を鞘に収めた。そして、その場で仰向けになって倒れて四肢を投げ出すと、ついには空に向かって声を張り上げた。


「何という事だ! 私の純潔が、おぞましい魔の者共に汚されようとは! いかがわしいオークや触手によって、途方もない汚濁に塗れるのだろうな!」


 その声は虚しく辺りを響かせた。エイデンはもとより、誰も二の句が告げずにいる為だ。その場の全員が『何言ってんだコイツ』という疑問で頭を満杯にしてしまう。


 静けさに耐えかねた女騎士が、伺うようにして顔を持ち上げた。エイデンの顔をチラリと覗いては、再び頭を戻し、先ほどのセリフを繰り返す。これをどう読み解けと言うのか。難解すぎる謎解きを前にして、とりあえずエイデンは、町の男を豚舎へと遣いに出した。


 しばらくして男が戻って来る。彼の腕に抱かれたオークを受け取ると、女騎士の側に放った。


「オークがどうのと言っていたな。これで満足か?」


「何だこの豚は。オークとはもっとこう、威圧的で、女と見るや襲いかかるような怪物だろうが」


「そんな危険人物はここには居らん。そういった輩は、魔界でも無法地帯でしか見かけんぞ」


「何だと……!?」


「アテが外れたようで悪いが、事実だ」


 訳も分からず連れて来られたオークが、女騎士の耳を嗅いだ。ひとしきり鼻を鳴らすと、『ポェェ』と鳴く。ちょっとだけ緊張しているらしい。真珠のような円(つぶ)らな瞳も、いくらか潤んでおり、愛くるしさがフルバーストしてしまう。


 カワイイの概念は万国共通。荒れ狂う心にとって、一層強いの衝撃が走る事になる。


「やめろ! そんな純真な眼で私を見るなァーー!」


 女騎士はとうとう泣き出してしまった。両手で顔面を覆い尽くして、辺りを憚らずに声をあげる。何をどうすれば収拾できるかも分からず、周囲は途方に暮れてしまった。これには叡智の王たるエイデンであっても、突破口が見えないままに命令を下すしかなかった。


「マキーニャ、手を貸せ」


「はい、エイデン様。忠実なるしもべならば、ここに」


「あいつから事情を聞いてこい。女同士であれば、何か知り得るかもしれん」


「必ずやご期待に応えてみせましょう」


 言うが早いか、マキーニャは女騎士の手首をひっつかみ、まるでズダ袋でも引きずるようにして遠のいた。そうして路地裏に引っ込むと、聞き取りが始まる。ここから随分と離れているにも関わらず、女騎士の声は良く響いたものだ。マキーニャの声は輪郭すら聞こえないのに、だ。


 しかし、そうして一方通行の言葉を耳にするうちに、断片的な情報であっても事情が見えてきた。やがてマキーニャが戻る。それからエイデンの前で跪くなり報告を始めた。


「聴取は困難を極めましたが、どうにか把握できました」


「私も何となくは理解した。婚約破棄をされてヤケになっているのか?」


「おおよそは仰る通りです。そして、なぜ何度もエイデン様のお眼汚しに参ったのかと言うと」


「そう、それだ。やっと理由が分かるのだな」


 エイデンはようやく胸のつかえが取れると、顔を綻ばせた。次の言葉を聞くまでは。


「陵辱の限りを尽くされたかった、との事です。やたらと男に声をかけたのは、痺れを切らした為でした」


「ダメだ。さっぱり理解できん……」


「どうやら、自身をボロ雑巾のように汚される事で、元婚約者に精神的ダメージを与えたかったのだとか」


「それは復讐として成立するのか?」


「時と場合によっては、有り得るかと」


「ニンゲンの情とは複雑怪奇だな」


 エイデンはチラリと女騎士を見た。これまでに見せた覇気など微塵もない。両目を真っ赤に腫らし、呆けたようにしてヘタリ込むだけだ。その姿は戦人ではなく、傷心に苦しむ少女に他ならなかった。


 その辛さは理解出来なくもない。もし仮に、レイアが別の男に走ったとしたらどうだろう。嫉妬と絶望に狂い、冷静さなど保てやしない。そう考えると、ようやく親近感にも似たものが湧き上がってきた。


「そんな自暴自棄が何になる。不毛な振る舞いは止めよ」


 女騎士は顔を伏せたままで、弾けるように震えた。声は十分に届いているようだ。


「その身の上であるなら、最大の復讐は傷つく事ではない。誰よりも幸せになってみせる事だ」


「私が、幸せに……」


 顔がいくらか持ち上がる。僅かに見える瞳に、自我の光が灯りだすのが分かった。


「そうだ。その婚約者と想い描いた未来よりも、遥かに有意義で幸福な暮らしを実現してみせるのだ。それを成し得たとき、初めて復讐が完了すると心得よ」


 その言葉が強く響いたらしい。女騎士の顔からは悲痛な気配が消え、元の精悍(せいかん)な表情へと戻っていった。


「そこまで言うのなら、実現してくれるのだな?」


「何がだ」


「魔族の王たるお前が、私を幸せにしてくれる。今の言葉はそういう事だろう?」


「お前には、地に足を着けるという発想が無いのか?」


「では早速だが繁殖行為に勤しもう。朝も夜も無い、ただれた日々を満喫しようじゃないか」


「よせ、近寄るな!」


 女騎士がゆっくりとにじり寄る。そこへ、自発的に立ち塞がったのはマキーニャだ。全身に漲る闘気は、戦闘態勢のそれであった。


「ニンゲン風情が。エイデン様には指一本触れさせません」


「退いてもらおう。丸腰の女を斬る趣味は無い」


「お生憎様。あなたごときに遅れを取る事は、決してありませんから」


「よし、マキーニャ。こやつを追い出せ。私は城で休ませてもらう」


「必ずや!」


 エイデンは、成り行きを見守る気すら失せていた。激戦の気配を背中で聞き流し、ニコラを連れてタピオの店に寄り、城内へと帰った。そして昼の寝かしつけは、自分も隣で眠る事にした。


 後に報告を聞くに、激戦を制したのはマキーニャだった。カウンター気味に蹴りが炸裂し、勝負が決まったという。事態の解決を知ったエイデンは、とにかく胸を撫で下ろした。


 しかし悪夢は終わらない。城下町の更に外側に、いつしか掘っ立て小屋が建つ。それは女騎士が所有するもので、明らかに住み着くつもりだ。ちなみに彼女は名をエレーヌと言うのだが、避けに避けるエイデンがそれを認識するまでは、かなりの時間を要する事になる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る