第35話 親としての務め
夜更け。ニコラの寝かしつけを終えたエイデンは、家来の一人を呼びつけ、裏庭へと足を運んだ。
曇りがちの空模様だ。しかし時々、雲の隙間から月明かりが差し込み、相対するマキーニャの顔を照らし出した。驚愕と、憎しみに歪むその顔を。
「端くれ様。何と仰いましたか?」
わななく唇が言葉すらも震わす。普段の無味乾燥な響きからはかけ離れたものだ。感情に任せて今にも飛びかからんとするのを、ギリギリの線で抑えこんでいるらしい。足元が既に臨戦態勢を整えていた。
「ならばもう一度命ずる。以後、お前をニコラから遠ざける」
「何故でございますか!」
マキーニャは完全に怒りの形相となった。やや前屈みになり、腰まで中程まで落ちている。もはや一触即発の場面であった。
しかし、エイデンは涼し気な顔を崩さない。棒立ちのまま、あくまでも論戦で決着させようと決め込んだ。
「お前はニコラにとって、今や悪材料となりつつあるからだ」
「いったい何を根拠に」
「聞くまでもあるまい。最近の様子を見れば明らかであろう」
「ここ数日、御子様はおままごとにご執心のよう。端くれ様を姉に見立て、女装を強要して着せ替えを……」
「そこではない。言葉遣いの件だ」
2歳を目前に控えた幼子にとって、環境というのは極めて重要だ。若々しい頭脳が、人の口癖を真似るのも当然の事である。
「ゴミ、クズ、カス。全てお前の口から飛び出した言葉だ。とうとう覚えられてしまったぞ」
「お待ちください。ならば、あのクソッタレ豚足女も同罪にございましょう。私だけ罰が降るのは納得がいきません」
「残念だったな。今やシエンナに叱られなくなって久しい。ゆえに、汚い言葉を吐くのはお前だけだ」
一応正論に値する発言なのだが、どこか締まらない台詞である。それはどこか『ママに怒鳴られなくなったもんね』とイキがる子供を彷彿とさせるからだろう。
しかしマキーニャに効果はあった。すぐに視線を右往左往させたのは、突破口を求めたが為か。そうして長考をしたものの、やがて押し黙り、身じろぎを止めた。
「態度を改めよ。そうすれば、今の立場に据え置いてやる」
「出来かねます。アイデンティティを守るために」
「ならば役目を変えてもらう」
「固くお断りします。私から御子様を奪うことは、何人たりとも許しません」
「あくまでも逆らうと言うのだな?」
エイデンの利き手に魔力が集まる。その拳が握られると、力の行き場を求めて一迅の風が吹く。もはや言葉は要らなかった。
「ならば良い、このまま眠れ!」
エイデンは神速により間合いを詰め、拳を真っ直ぐ突いた。それはマキーニャの鳩尾(みぞおち)を容易く貫いた。
金属生命体である彼女の急所は、腹に埋め込まれた『核』と呼ばれる鉱石だ。そこから管を伝って全身に魔力を行き渡らす事で、自立が可能となっている。その管も今は無い。産みの親の手によって全てが断ち切られたからだ。
「呆気ないものだ。もっと全力で抗うと思ったのだが」
どこか拍子抜けした気分で、横たわるマキーニャを眺めた。投げ出された四肢は動く気配すらない。後は事後作業を残すだけとなる。
「メンテナンスか、それとも作り直しか。いずれにせよ、部屋に連れ帰らなくては」
エイデンはマキーニャにゆっくりと近づいた。そう、極めて無防備な足取りで。
それが起きたのは膝を折った刹那であった。突然、甲高い音が鳴った直後、胸に衝撃が走った。エイデンの脇が衣服の上から切り裂かれたのだ。辺りが鮮血による飛沫で濡れる。
「何だと、なぜ動ける!?」
エイデンに攻撃を加えたのは、他ならぬマキーニャであった。重症とは思えぬ身のこなして飛び起き、去り際に回し蹴りを浴びせたのだ。
まさに設計外の動き。自然と刮目して睨む最中、マキーニャが恭しく頭を下げてみせた。礼を尽くす為ではなく、相手を煽る為に。
「お生憎様。自身の弱点はとうに克服しています」
彼女はそう言うなり、己の手を胸元に差し込んだ。乳房を模した塊の隙間から取り出したのは、ひと欠片の水晶だ。
「お前、魔水晶を持ち出したのか!」
「全ては自分を守るため。僅かな気後れすらありません」
魔水晶とは、いわゆるマジックアイテムだ。魔力の貯蔵と出力を可能とするもので、容量はサイズによる。極めて有用である為、軒並み高級品だ。彼女が手にする物も、20万ディナは下らない価値を有していた。
再び両者が相対する。マキーニャの動きは滑らかで、怪我の影響は見えない。高品質な魔力供給源を用いた事で、むしろ快調な様子だ。
一方でエイデンも戦う姿勢となった。先程の傷は完全に塞がっている。魔王特性のひとつ、『超回復』が機能した為だ。
「最後の警告だマキーニャ。大人しく投降しろ」
「察しの悪いお方。お断りです、とハッキリ言わねば分かりませんか?」
「敵うと思うか、 産みの親たる私に」
「子は親が無くとも育つものです」
「それを育児中の私に言うとはな……」
両者の狭間で闘気がぶつかり合い、にわかに地面が震えだす。睨み合い、力が満ちるのを待つ。やがて機は熟した。
「魔王が力、その身で味わうが良い!」
凄まじい圧力の拳打が放たれる。狙うは魔水晶。しかし空を切り裂くのみ。マキーニャが骨格からかけ離れた動きで避けたからだ。
エイデンの体が宙を泳ぐ。その背中に蹴りが飛ぶ。鞭のようにしなやかで、鋼よりも硬い材質は、かつてない威力を発揮した。
「食らいなさい!」
「クッ。厄介な体をしおって!」
腹這いに倒れかけるも、両手の力だけで天高く跳躍。瞬時に詠唱を終え、宙に赤黒い光で2本線を描く。その交点を拳で殴りつつ叫んだ。
「火焔よ、走れッ!」
それはさながら、闇夜を駆ける彗星だ。赤い光球がマキーニャの足元に落ちると、直後に大きな炎が立ち上った。空を焦がすほどの大火であるが、エイデンは構えを崩さない。
「これで、水晶の力を枯渇に追い込めるか?」
この一撃で終わるはずが無い、と見込んでいた。狙いは魔水晶の力を使い切らせる事。延々と吐き出される魔力を相手にするには、さすがのエイデンも骨が折れるというものだ。
魔法は完全に相手の体を捉えている。吹き上がる炎の中で、焼かれ続けるマキーニャ。それも衣服が燃え尽きてしまうと、姿形すら見えなくなる。唯一難を逃れたヘッドトレスだけが、焦げ付きながら地面に横たわるばかりだ。
このまま優位を保てるのか。そう思案するエイデンの顔の脇を、何かが飛び去っていった。頬が熱い。焼き切られたような感覚だ。
その影を眼で追いかけようとするも、今度は背後から突かれた。頭蓋を強打しかけた所を、辛くも寸前で避けたのだ。
「これは、一体!?」
「フフ。これぞ金属体である私にのみ許された、究極の攻撃法!」
「おのれ、いつの間にこのような技を!?」
マキーニャは魔力を防御に回さず、焦がされるがままになった。そうして体が融点に達した瞬間に地を這って逃れたのだ。液体となれば、普段より輪をかけて変形に制限が無くなる。今も全身を槍状に伸ばし、エイデンを貫かんと襲いかかるのだ。
「これでは、回復が間にあわぬ……!」
絶えず死角から迫り来る攻撃は防ぎようが無かった。それと同時に、居場所の探知すらも難しい。気づいた時には既に、切っ先が眼前に迫っているのだ。時には回避すら間に合わず、少なくない魔力を用いて防御壁を展開せざるを得なかった。
「あれが本体か。しかし、今は手が出せん」
飛び退る槍状の液体は、水晶を体内に飲み込むようにして保持していた。あれが第二の『核』ともいうべきものだ。しかし急所が分かった所で、翻弄されたままでは知らないも同然だった。今は凌ぐ事だけで精一杯である。
「仕方ない。この手は使いたくなかったが」
エイデンは地に降り立つと、両手を組んで魔力を高めた。瞳すら閉じて、かなり深くまで意識レベルを落としている。他を寄せ付けない程の力が集められるが、生じた隙は致命的なものだった。
「無防備にも限度がありますよ、端くれ様ァーー!」
マキーニャによる渾身の一撃が、魔王エイデンの腹を貫いた。しかし、それは誘いだった。液体の中にある水晶が、エイデンの手に掴まれたのである。その瞬間に罠である事を悟り、今は無き背中に冷たい物が走った。
「な、何を企んでいるのですか。放しなさい!」
「クッ。やはり魔力のあるうちは、容易に砕けぬか」
「ふふっ、何と浅はかな。叡智の王と呼ばれる男も大した事がありませんね」
「斯くなる上は……」
「さぁ、潔く散りなさい。御子様は私が代わりとなって育てあげましょう!」
「これを食らうが良い!」
エイデンは空いた左手を天に向かって突き出した。すると、たちまち暗雲の中で稲光が生じ、落雷が2人の頭上に降り注いだ。間断なく轟く雷鳴。その威力は地を激しく穿つ程であり、両者が如何に強かろうと無事では済まない。
「なっ!? なんという無茶を!」
「この根比べ、どちらに軍配があがるかな!」
「キャァァーーッ!」
先に力を使い果たしたのはマキーニャであった。水晶からはみるみるうちに魔力が浪費され、やがて枯渇した。エイデンがわざわざ握り潰さなくとも、自ら幕を引くようにして粉々になった。
こうなってしまえば終いである。マキーニャに供給される魔力は無い。すると液体という形状を維持出来なくなり、冷えた体は固形化し、元の人型へと戻ってしまう。
「こ……ここまで、か」
霞む瞳が映すのは、エイデンの歩み寄る姿だ。その足取りが妙に遅く見えるのは、意識を失いかけているからか、それとも実際に鈍足なのか。そんな些細な事を考えるうち、歩みが止まった。見上げたくても体は動かず、眼前の足先を眺めるしか出来ない。
マキーニャは死を覚悟した。いつかは体も再生されるだろうが、この自我が消された後だろう。それに見合うだけの反抗戦だったのだ。言い訳の余地の無い反乱だったのだ。あとはただ黙って散るのみ。
静かに瞳を閉じ、ニコラの笑顔を思い浮かべながら、最後の時を待った。だが、彼女の思い描くような事態にはならなかった。
「マキーニャ、大義であった」
「えっ……」
致命の一撃を浴びせられると覚悟していたのだが、かけられたのはエイデンのローブだった。それが一糸すら纏わぬマキーニャの体を包み込んだ。どこまでも優しく、暖かく覆い尽くしたのだ。
「なぜ、どうして……」
「戦いの最中に感じた。ニコラに対する想いを感じた。単に魔水晶を手にしただけで、あれ程の力は宿らぬわ」
魔力は、心の強さに大きく影響される。それは金属生命体であっても同じであった。
「ほんの一瞬とはいえ、よくぞ私に匹敵する域にまで達したものだ。消すには惜しい。今後も同じように仕える事を許す」
「では、私はこれまで通りに……」
「ただし。ニコラの前では、暴言を控えてもらう。完璧でなくても、努力はしてもらうからな」
エイデンはその場にマキーニャを残し、立ち去ろうとした。遠のく背中に縋り付きたくても、今は指先ひとつすら動かせなかった。
「お、お待ちください」
「安静にしていろ。もう夜が明ける」
言葉の通り、遠くの空は赤みを帯びていた。やがて陽射しが届く事だろう。
「それは分かります。ともかくお待ちください」
「陽射しによる微量な魔力を浴び続けたなら、体内の損傷も回復しよう。それまで待つのだ」
「我が身の行く末が気になるのではありません。私がお尋ねしたいのは……」
エイデンが振り返りもせず遠ざかっていく。見送ろうにも胸が締め付けられ、思わず叫び声をあげてしまった。
「あなたはもしや、これから謝りに行くのですか!?」
立ち去ろうとする足が止まる。それからエイデンは城の方へと眼を向けた。
その視線の先には、窓越しにこちらを眺めるクロウの姿があった。とても良い笑顔で。それはもう、満面の笑みで。純粋な感情から笑うのではなく、何らかの想いが限界突破したが故の表情だった。
「私闘に魔水晶を用いた挙句、粉砕してしまった。頭を下げねばなるまい」
「しかし、それは私が勝手にやった事です」
「私はお前の産みの親だ。親であれば、常に責任がつきまとう。他人のフリなど許されるはずも無い」
マキーニャはそれ以上何も言えなかった。後はジッと見送るばかりである。
そのうちに地平線から朝日が昇った。降り注ぐ光の筋が、彼女の顔を耳まで真っ赤に染め上げる。
「……エイデン様」
小さく呟き、また黙る。それから体の自由を取り戻しても、ローブを纏ったままでいた。布地をより肌に密着させ、微かに残った体温を感じるよう、神経を注ぐばかりとなった。
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