第33話 皆大好き水着祭

 夏と言えば海、海と言えば水着。今は北西方面の海岸に出掛けるため、手配した馬車で移動中だ。車内に男はエイデンだけ、他は女ばかりと華やかなものとなっている。ナテュルを始めとして、シエンナやマキーニャに加え、取材と称して同席したユーミルまでが顔を揃えた。


 これは、多種多様な美女の艶姿(あですがた)を目に焼き付ける、絶好のチャンスであった。一枚布で隔たれた楽園を、情欲の赴くままに貪り狂う潮合いなのだ。


 だがエイデンは例によって、愛娘の動向にしか興味を示さそうとしない。


「うーみ、うーみ、たのしーみ!」


 ニコラが車窓から海岸線を眺めては、楽しげに歌う。そもそもの発端は、彼女が海に興味を抱いたところから始まった。あれよあれよという内に企画が立案され、遠出をする事が決定されて今に至る。構成メンバーもニコラの指名によるものだ。幼いながらも、親しい者の枠組みはハッキリと持ち合わせているのである。


「ったく! 何でオレ様がこんな真似を……!」


 外から不平を漏らすのはルーベウスだ。4頭だての馬車を、馬に牽かせる代わりに、彼一人に任せているのだ。


「どうした。何か不満でもあるのか?」


 エイデンが窓から顔を覗かせると、ルーベウスは尻尾を逆立てつつ飛び跳ねた。


「い、いえいえ、とんでもねぇですよ! 魔王様の為に働けて幸せだぁ!」


「よく励めよ。酒を呑むばかりでは体も鈍るだろう」


 一見すると刑罰にも似た役目であるが、取りなそうとする者は居ない。独立部隊の面子は訓練も労働もせずに、とにかくグウタラ暮らしを続けてきた。特にルーベウスなどは事あるごとに暴れまわるので、一度は懲らしめるべき、という意見が方々から起こっているのだ。その手始めが牽引である。馬車の重量は相当なものなのだが、ルーベウスは順調に牽いてみせた。傍目からすると、筋力の負荷として程良いように思えた。


 それからも馬車は情緒溢れる道を行き、正午前には目的地へと辿り着いた。すぐにニコラは外へ飛び出そうとするが、シエンナにだき抱えられて場に留まる。


「ニコラ様。遊びに行くのは水着に着替えてからですよ」


 エイデンは、女性陣が手荷物を探り出したのを見て、馬車から降りた。これよりしばらくの間、中は更衣室として扱われるのだ。車外に降り立つと、疲労の色を浮かべて車体に寄りかかるルーベウスの姿が見える。その脇を通り抜けて浜辺に立つ。


 照りつける太陽と、穏やかに揺れる白波。初めて遊ぶ海としては相応しい。娘に最高の思い出をプレゼントしてやろうと、四方を眺めてはシミュレートを繰り返した。


「エイデン様、待たせたべよぉ」


 思索を破る声は薄く緊張を孕んでいた。振り返ったなら、眼福としか言えぬ光景が広がった。


 皆が、なめし革をベースとした水着に着替えていた。ワンピースタイプを着るニコラはさておき、大人用のデザインはほぼ同一である。というのも、ナテュルが自費にて全員の分を用意したからだ。そうなると、眼に取っ掛かりが無くなる分、体型の違いが如実に現れてしまう。


 ただ一人普段着でいるユーミルは、自発的に集団から外れた。飛び入り参加であるために水着の手配が間に合わなかったのだ。だが彼女にとっては好都合だ。神速とも言える動きでペンとインクを用意し、眼前の光景を紙に殴り書きした。


「まずはナテュル様。いや、たまんねぇっすわコレ。ビキニ水着がこんなに似合う人も中々居ないでしょう、上も下もパッツパツのパワフルボディ。大波に襲われてポロリする事を切に願う、と」


 とても同世代女性とは思えぬ言い草である。だが、彼女の筆はより滑らかさを加速させていく。


「次はマキーニャさんね。サイズはナテュル様と同等。まぁ体型変化なんて反則技を使ってるのでしょう。でも、そうまでして対抗しようって気持ちにはこう、ムラッときますな。彼女は羞恥心に欠ける所があるので、頼めばフルヌードくらいやってくれそう。いや、それどころか、エイデン様を茂みに誘い込んで一発二発なんて情事を拝めるかも」


 ユーミル曰く、女体を書き表す時はオッサンに成りきるべし、との事。心の中に巣食う何かを解放させずして、良きものは書けないのだとか。


「最後はシエンナだけど、たまんねぇなオイ! 2人と全然違う体型を恥ずかしがって、胸元を両腕で隠してんの。上下ともジャストサイズだから誤魔化しも利かないもんね。その羞恥心……うん、最高! ごちそうさんです!」


 紙にヨダレが垂れたのを機に、ユーミルは我を取り戻した。改めて冷静になったなら、半裸を披露するエイデンの姿が見えた。ニコラと砂遊びに興じるためにローブを脱いだのだが、そんな経緯はどうでも良い。居並ぶ女性陣の頭は、彼の均整なる肉体美によって独占されてしまったのだ。客観視を決め込んでいたユーミルでさえ惑わす程だ。生半可な容貌では無かった。


 普段エイデンは細身に見られがちだが、そこは魔王である。肩や背中の肉は硬く膨らみ、余分な脂肪は一切無い。腹回りもよく引き締まっており、腹直筋は6つどころか、細かいシワも合わせれば無数の線が刻まれている。巨岩を直線的に削りだしたような概形は、まさにマッチョイズムの集約と言えよう。

 

「おや。どうしたお前たち。泳いだりしないのか?」


 利き手を砂まみれにさせたエイデンが言う。その言葉により『魔法』は解けた。シエンナたちも一斉に海へと駆け出し、浅瀬に身を投げ出していく。飛沫が高く舞い上がり、陽の光を眩く弾いた。夏の到来を強く感じさせる光景である。


「おとさん、ニコも、あっち!」


「どうした。砂のお城はもう良いのか?」


「いいの、あっち!」


「では海の方へ行こうか」


 砂の城は建設途中で打ち捨てられた。エイデンは思いの外楽しくなり、精巧なものを造ろうとしたのだが、娘が飽きればそれまでだ。


 そうして連れてきたのは波打ち際だ。ニコラの足が着く所でと考えていたのだが、浅瀬の方へ連れて行けとせがまれる。まだ幼いにも関わらず、肝は座っているらしい。エイデンは半ば諦めたような気持ちで、娘に肩車をしつつ、シエンナたちの側まで寄った。


「エイデン様、いきなり水泳訓練させるんだべか!?」


 ナテュルが目を見開いて言う。確かに、苛烈な教育法と見えなくもないが、エイデンに限ってそれだけは無い。基本的には娘の欲求が優先されるのだから。


「まさか。ニコラが望んだから来たまでだ。それに私は泳げないので、教える事など出来ぬ」


「えっ? 陛下は泳げないんですか?!」


 今度はシエンナが驚きの声をあげる番だ。万能型の魔王には似つかわしくないと思えたからだ。


「そもそも私は飛べるのだぞ。なぜ意味もなく水中を泳がねばならんのか」


「ちなみにオラも泳げねぇべ。山だの森だのには慣れてんだけどよぉ」


「そうなんだ。意外ですねぇ」


 シエンナがちらりとマキーニャを見た。すると即座に、鼻息混じりの自慢が飛んでくる。


「何ですか豚足女。言っておきますが、私の泳ぎは世界随一。下半身をミナミマグロに変形させる事で、他者を寄せ付け無い泳ぎを実現するのです」


「ああ、はいはい。そりゃ凄いっすね」


「そう言うシエンナちゃんは、泳げんだべか?」


「まぁそうですね。月並みには出来ますよ」


「じゃあさ、いい機会だから教えてくれねぇけ? エイデン様も、ニコラちゃんの為に覚えておいた方が良いべよ」


「ふむ。一理ある……のだろうか?」


「まぁまぁ、物は試しって言うべさ!」


 こうして急遽、水泳教室が開かれる事になった。その間ニコラの世話はというと、マキーニャに委ねられた。豪語した通り、ミナミマグロと化した姿で。


「ええと、それじゃあ要点をかいつまんで教えますね」


 話は極めてシンプル。両手で水を掴むように掻き、足は蹴るようにして進むというものだ。つまりはクロールなのだが、知らぬ者にとっては想像の外にある手法だ。よってシエンナは、手取り足取り教える必要に迫られた。


「まずは手の動きからやりましょうか。手のひらを閉じて、少し丸める感じにして。それで水を掻いてください」

 

「ええと、こうだべか?」


 ナテュルは、ダパンと大きな音を立てて海面を叩いた。すると付近の海面がいくらか下がり、高々と水を跳ねらかしてしまう。さながら噴水のようになり、勢いを失った海水が豪雨のように降り注いだ。未熟とはいえ魔王種の所業。失敗の結果も桁外れであった。


「さて、私もやってみるか。掻くように動かせば良いのだな」


「ええ!? 陛下、ちょっと待って……」


 シエンナが止めようとするが、無情にもダパンと音が鳴る。すると、浅瀬にも関わらず、辺りは嵐を迎えたように荒れ始めた。エイデンの馬鹿力によって衝撃波が生まれ、周囲の海水が一気に押し出されてしまったのだ。幸いにも沖合に向けて放たれた為に、特に被害を生み出すには至らなかった。強いて言えば、異変に驚いた海鳥たちが、慌てて高度を変更したくらいである。


「泳ぎの訓練はやめましょう。このままじゃ何らかの騒ぎを起こしちゃいますって」


「待てシエンナ。私は何も習得していないのだが」


「いや、良く考えてみたら、今の泳ぎ方はニコラ様に早すぎますよね。だから陛下が覚える意味も薄いんですよ」


「そうなのか。では他の泳法を教えてもらおうか」


「これ一つしか出来ませんよ。少なくとも、幼児に覚えられそうなのは知らないです」


「なんだ。骨折り損ではないか」


「えっ? これって私が悪いんです?」


 エイデンの揶揄にシエンナが色をなして詰め寄る。にわかに険悪になる空気をナテュルが取り成そうとするが、それ以上に周囲を和ませたのはルーベウスだ。妙に和やかな犬かきで、目の前を横切ったのである。


「シエンナ。あの泳法であれば、ニコラも習得できるのでは?」


「まぁ、そうでしょうね。見たところ、手足をバタつかせてるだけですし」


「ルーベウス、こっちへ来い。その泳ぎ方を我らに教えるのだ」


「ええ!? 一体何の話ですかい?」


 呼び寄せてはみたものの、彼は事情を全く把握していなかった。そこでエイデンは経緯を語ろうとしたのだが、何かに気づいたルーベウスは腹を抱えて笑いだした。


「ブヒャヒャヒャ! 貧相な体してんなぁ! 隣のとは大違いだぁ!」


 ルーベウスの視線がナテュルとシエンナの胸元を何度も往復する。その度に顔を仰け反らせながら盛大に笑うのだが、それは余りにも悪手であった。デリケートな話題で嗤(わら)ってはならない。暗黙の了解の中でも、鉄の掟に入る部類のものだ。


「死にたいのかテメェ!」


「ブヒャヒャヒャ……ギャウンッ!」


 龍の末裔が怒りの拳を放つ。その鋭い拳打は精密にルーベウスの顎先をとらえ、骨を砕き、勢いで首をあらぬ方へと曲げた。当然ながら致命傷だ。犬かきの教師は、瞬時に土左衛門へと鞍替えする事を強要されたのだ。


 この結果に驚いたのは当事者のシエンナだった。何も本気で命を吹き飛ばそうとまでは考えていなかったのである。


「えっ、えぇ? どうして!?」


「何を驚いている。その拳は、私ですら痛みを覚える程なのだぞ。他の者に浴びせたなら、大抵はこのようになろう」


「そんな事言われたって、陛下以外は殴った事無いですもん! まさかこんな大事になるなんて!」


「まぁそう慌てるな。車内から回復薬を取ってくる」


「ああ、お願いしますよほんと。出来るだけ急いで」


 飛び去るエイデンの背を、シエンナは祈るような気持ちで見送った。そんな彼女の肩をナテュルが優しく撫でる。


「ナテュル様、私、どうしたら……!」


「なぁシエンナちゃんよ。やっぱりオラは最初の泳ぎ方のが好きだぁ。もっぺん教えてくれても良いけ?」


「今それを言いますか! こちとら非常事態なんですけど!?」


 あまりのマイペースぶりに、シエンナもつい激昂してしまう。そんな彼女を更に追い込んだのが、エイデンのささやかなミスである。言葉通り回復薬を手にして戻ったのだが、あろうことか海上で使用してしまった。当然薬の成分が分散してしまうので、効き目がすこぶる悪かった。


「おっと、いかん。うっかりしていた」


「何やってんですか! 早くしないと命に関わりますよ!?」


 「まぁ、こやつは生命力の塊であるから、これで十分であろう」


「ダメですよ! 砂浜にあげて蘇生させましょうって!」


「なぁシエンナちゃん。足はどんな風に動かせば良いんだべ?」


「だから! その話は後にしてください!」


 それから水を吐かせたり、介抱したりするうちに、海水浴は終わりを迎えた。満足度はというと今ひとつだ。もちろん土左衛門騒動が原因である。一応ルーベウスは帰りの馬車を牽ける程度にまで回復したのだが、車内は浮かない顔ばかりが並ぶ。


 しかし、ニコラは存分に楽しんだようである。マキーニャによる遊覧をいたく気に入った様子なのだ。初めての海遊びを満喫してくれた事が、数少ない収穫の中で救いのように輝くのだった。

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