第30話 あの時のままで

 午後の眩しい日差しが室内へと降り注ぐ。それは暖かというよりは、むしろ暑さを覚えるほどだ。


 昼食を終えたエイデンは、その幸福感に浸る間もなく、会議室へと連れ去られた。対面するのは、しかめ面のクロウ。もちろん愉快な話では無い。


「魔王様、今日という今日は言わせてもらいますからな!」


 そう叱られるのは、災害クラスの力を誇る魔族の王。方や、弁は立つが戦闘力の乏しい参謀役。仮に両者が殴り合えば、どちらに軍配が上がるかは考えるまでもない。だが、そんな力関係など意味を為さないほど、正当性はクロウ側が承諾しているのだ。


 エイデンもそれを十二分に承知しているため、ともかく歯切れの悪い言葉を吐いた。


「そう怒鳴らずとも聞こえる。ともかく、落ち着いたらどうだ」


「これが叫ばずにいられますか! 貴方は節約を誓ったにも関わらず、一向に改善しようとなさらない!」


 互いが挟む机の上に紙束が叩きつけられた。御用聞きのノルムから提出させた買い物リストである。納品日は本日付け。所々に赤線が引かれているのは、直前にキャンセル扱いとなり、心苦しくも突っ返した為である。


 食品や衣類、布地や建築資材は予定どおりの取引が完了させており、不審な点は見当たらない。しかし娯楽や嗜好品のジャンルになると、途端に様子は怪しくなる。


「この閃光石は一体何なのですか」


「閃光石とは、太陽の光を浴びる事により、暗がりでも淡く輝くという……」


「伺いたいのは、性質ではなく用途です。サイズも値段も巨大な代物ではありませんか」


 額面にして8万ディナ、それを2点。総計16万ディナという大出費を、寸での所で避けたのである。


「少し閃くものがあってな。趣味の造形に使おうと考えていた」


「別に楽しみを奪うつもりはありません。ですが、新たな材料を求めるなら、これまでに買い求めた物を使い切ってからにしてもらえますか」


「そうしたいのは山々だが、今の所アテは無い。いずれ使う事になるとは思うが」


 以前に取り寄せた巨大な水晶やら緑銅などは、ほぼ手付かずのままだ。倉庫に収まる大きさでないため、今も裏庭に放置されている。とにかく洗濯の邪魔だと、もっぱら不評であった。


「それからこの魔剣フルティング。なぜ唐突に高価な武器を?」


「いや、二刀流というスタイルに憧れがあってな。もう一振り欲しくなったのだ」


「要りません! 陛下は素手でもお強いのですし、そもそもクラガ・マッハの維持でさえ金が必要なのですぞ?」


「分かった、分かった。それは諦めよう。という事でもう良いか?」


 エイデンは物分かりの良い振りをして、そそくさと立ち去ろうとした。しかし、それは許されない。まだ今回の主題について触れられていないのである。


「帰れると思いますか。この品について話をしないうちに」


「クッ……。やはり感づかれたか」


「気付かないハズがありますか! すべり台に500万ディナもかけるなど、とても正気とは思えません!」


 クロウが激昂して糾弾したのは、純金製の遊具についてだった。不純物はほぼゼロ。手や目に触れる部分はもちろん、裏側や部品に至る全てが金という、豪奢の極みとも呼べる品であった。


 財政難が囁かれる中で、一時的な娯楽品に大金を投じるなど、控えめに言って阿呆の所業である。発覚した折りには、流石のクロウも引き付け笑いを止められなかったとか。本人が自嘲気味にそう語る。


「待て、少しは私の話も聞け。何の考えも無しに大金を払うと思うか?」


「……ならば伺いましょう。なぜ求められたかについて」


「想像してみろ。ニコラがニッコニコで眩い遊具で戯れるのだ」


「はぁ、それが?」


「尊いだろう、素晴らしいだろう。娘のすべり台デビューを飾るには打ってつけではないか!」


「なりません! それを世間では『考え無し』と言うのです」


「おのれ……この冷血漢め!」


 その言葉に眼前の顔色が更に暗くなる。言い過ぎを詫びようとしたのだが、一歩ばかり遅かった。


「私は冷血ですか。血も涙も無いと罵りますか。収入の伸び悩むなか、どうにか頭を捻り500や1000ディナを浮かそうと苦心する私は、情の無い男だと」


「いや、その、なんだ」


「更には城下の造営という大事業に加え、あらゆる内政の管理、果ては外交までをも一任されているのですよ? 全ては陛下が子育てに集中したいからと、無茶を承知で引き受けているのです」


「うむ、そうだ。お前には苦労を……」


「陛下の想いを叶えんがため、老骨にムチを打って仕えて参りました。なのに、それなのに……」


 クロウの両目から涙が溢れ落ちる。血の涙だ。この顔色が悪く、頬の痩けた男がそれをやると、迫力は凄まじいものとなる。とにかく夢見が悪くなり、エイデンも幾度となく実際にうなされたものだ。


 こうなれば体面も無い。平謝りである。


「いや、済まなかった。お前たちに感謝しきりだ。無意味な負担を増やさぬよう、襟を正していこうと思う」


「そう願いたいものです」


 クロウは顔を拭うと、目の前のリストを前に押し出した。


「そちらは納品書の控えです。何が問題であったか、目を通してくださいますか」


「うむ、分かった……。かなり多岐にわたるのだな」


 エイデンが赤の本数にウンザリしていると、1つ意外なものに気づく。嗜好品である『貴人のほろ酔いセット』が納品されているのだ。高価な消えモノが何故、と思う。


「クロウよ。これは許されるのか?」


「ええ。本日の宵に愉しまれるのでしょう。私もそこまでは切り詰めようとは思いません」


「助かる。なにせ年に一度の事だからな」


 不意に暖かな空気が流れる。しかし、それも束の間だ。すぐに指導は再開され、いくつもの小言を投げつけられていった。


 解放されたのは夕刻だ。急ぎ離乳食を作り、寝かしつけまで終えた。体を落ち着ける暇は無い。次は宵の準備を進める必要があったからだ。


「よし、どうにか間に合ったな」


 胸を撫で下ろした頃には、満月が高いところにあった。最後の仕上げに、ニコラの部屋へと入る。ベッドの傍に寄れば、安らかな寝息をたてて眠る娘の顔があった。


「お前が大きくなったら、一緒にレイアを迎えような」


 小さな頭をひと撫でし、次は窓辺に向かった。テーブルには亡き妻の自画像を起き、所縁の品である純白のヴェールを、椅子の背もたれにかける。後は時を待つだけだ。


 星空に目を向けたなら、東の空で2つの光が合わさるのが見えた。金色と紫の星である。それらが完全に重なると、火を吹き消したかのように光が消える。


「いよいよ、か」

 

 空からは数えきれない程の、光の粒子が降り注いだ。まるで粉雪だ。城下でも待ち受ける人は多く、締め切った窓から歓声が聞こえる騒ぎとなっていた。


 これが『招魂の宵』である。冥府の門が開かれたことで、死者の魂がほんの一時だけ浮き世に現れる事を許される。更に、記憶の色濃く残る品さえあれば、それを依代(よりしろ)に甦る事が出来るのだ。


 粒子群のうちひとつが、エイデンの元にやってくる。そしてヴェールの端に触れるなり、光は人のものへと形を変えた。始めはうっすらとした容貌も、徐々に色濃くなり、やがて亡き妻は完璧に復元された。


「会いたかったぞ、レイア……!」


 抱き締めながら耳元で囁いた。ちょうど口元に当たる犬耳が、こそばゆそうに揺れる。


「私もよ、エイデン」


 お互いが確かめ合うようにして寄り添い合い、体温を感じ取ろうとした。何もかもが、かつてのままである。思わず死別した事実を疑いたくなる程、生き生きとした姿をしていた。


 それからどちらからでもなく、唇を重ねた。懐かしさと切なさで胸が張り裂けそうになる。互いの息も、ぬくもりも、今ばかりは全身で感じとることが出来るのだ。


 次の夜明けを迎える、その時が来るまでは。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る